プロ十傑戦
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プロ十傑戦(ぷろじっけつせん)は、囲碁の棋戦で、日本棋院と関西棋院の棋士が参加した。1964年から1975年までの12期行われた。優勝者から第10位まで順位を付けることが特徴。アマ十傑戦との入賞同士によるアマ・プロ対抗戦を行い、人気を集めた。
- 主催 朝日新聞
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[編集] 経緯
朝日新聞は読売新聞の名人戦創設により、大手合と最高位戦のスポンサーを下り、プロの棋戦の新聞掲載が無くなり、代わりに1961年から朝日アマ囲碁十傑戦を開始する。1964年に再度プロ棋戦を開始することとなり、プロ十傑戦を創設した。1968年からはプロ十傑とアマ十傑の対抗戦を開始する。
1968年に三段で出場した武宮正樹は、強豪を押し退けて8位入賞、翌年も5位入賞し、「十傑戦ボーイ」と呼ばれた。1975年に趙治勲は18歳で優勝し、当時の棋戦優勝の最年少記録となる。1971年には女流の木谷礼子が入賞するなど、話題を提供した。
1976年から朝日新聞は、主催棋戦を名人戦に移行し、プロ十傑戦は終了する。アマプロ対抗戦は、1976年は名人及び名人戦リーグ9人の計10名がプロ側で出場、翌年からはプロ選抜棋士が出場し、1982年までで終了する。
[編集] 方式
- 出場者は、アマ十傑戦出場者の人記投票による16位までの棋士と、4名の予選勝ち抜き者の、20名。投票4位までは3回戦にシードされる。
- トーナメント方式で、決勝は1-6期は三番勝負、7期以降は五番勝負。3-10位までは順位決定戦を行なう。
[編集] 歴代十傑
回次 | 年度 | 優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 |
---|---|---|---|---|---|---|
6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 | ||
1 | 1964 | 坂田栄男 | 高川秀格 | 藤沢朋斎 | 木谷実 | 藤沢秀行 |
佐藤直男 | 大竹英雄 | 島村俊宏 | 山部俊郎 | 前田陳爾 | ||
2 | 1965 | 藤沢秀行 | 高川秀格 | 大竹英雄 | 坂田栄男 | |
半田道玄 | ||||||
3 | 1966 | 林海峰 | 高川秀格 | |||
半田道玄 | ||||||
4 | 1967 | 坂田栄男 | 高川秀格 | |||
5 | 1968 | 藤沢秀行 | 坂田栄男 | 山部俊郎 | 高川秀格 | 林海峰 |
呉清源 | 宮下秀洋 | 武宮正樹 | 橋本昌二 | 半田道玄 | ||
6 | 1969 | 坂田栄男 | 林海峰 | 高川秀格 | 藤沢秀行 | 武宮正樹 |
橋本昌二 | 大竹英雄 | 久井敬史 | 橋本宇太郎 | 本田邦久 | ||
7 | 1970 | 橋本宇太郎 | 加藤正夫 | 大竹英雄 | 石田芳夫 | 呉清源 |
梶原武雄 | 橋本昌二 | 茅野直彦 | 高川秀格 | 坂田栄男 | ||
8 | 1971 | 石田芳夫 | 梶原武雄 | 林海峰 | 大竹英雄 | 橋本昌二 |
半田道玄 | 坂田栄男 | 木谷礼子 | 藤沢秀行 | 高川秀格 | ||
9 | 1972 | 石田芳夫 | 岩田達明 | 坂田栄男 | 橋本宇太郎 | 島村俊宏 |
半田道玄 | 杉内雅男 | 藤沢秀行 | 武宮正樹 | 高川秀格 | ||
10 | 1973 | 林海峰 | 橋本宇太郎 | 高川秀格 | 藤沢朋斎 | 坂田栄男 |
杉内雅男 | 石田芳夫 | 趙治勲 | 大竹英雄 | 羽根泰正 | ||
11 | 1974 | 林海峰 | 武宮正樹 | 加藤正夫 | 石田芳夫 | 橋本宇太郎 |
羽根泰正 | 大竹英雄 | 坂田栄男 | 大平修三 | 趙治勲 | ||
12 | 1975 | 趙治勲 | 加藤正夫 | 林海峰 | 小林光一 | 藤沢秀行 |
梶原武雄 | 大竹英雄 | 橋本昌二 | 坂田栄男 | 大平修三 |
[編集] 話題
- アマ十傑戦の前夜祭でプロ十傑戦出場者の挨拶が行われていた。人気投票1位は例年坂田栄男であり「みなさんのおかげで、1位に選ばれました。今年も1位をめざしてがんばりたい」と述べたところ、人気2位の高川格は「みなさんのおかげで、2位に選ばれました。今年も2位をめざしてがんばりたい」と挨拶し、その年の成績は言葉通り坂田1位、高川2位となった。
[編集] 関連項目
- 朝日アマ囲碁十傑戦