静岡県立韮山高等学校
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静岡県立韮山高等学校 | |
以前の名称 | 静岡県立韮山尋常中学校
静岡県立韮山中学校など |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 静岡県 |
設立年 | 1873年 |
創立者 | 江川坦庵・柏木忠俊 |
校訓 | 忍 |
学科 | 普通科・理数科 |
課程 | 全日制課程 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒420-8608 |
電話番号 | 055-949-1009 |
FAX番号 | 055-949-1074 |
外部リンク | 公式サイト |
静岡県立韮山高等学校(しずおかけんりつ にらやまこうとうがっこう)、通称韮山高校は、静岡県伊豆の国市(旧韮山町)にある県立高等学校。1873年(明治6年)に開校した小学校教員養成機関を由来とする県内最古の公立高校で、県内屈指の進学校でもある。愛称は韮高(にらこう)。
目次 |
本校の歴史
あゆみ
- 本校は1873年(明治6年)、韮山代官所の代官で江戸幕府砲術師範であった第36代江川太郎左衛門こと江川坦庵の高弟で足柄県令であった柏木忠俊が、小学校教員育成のため、足柄県韮山支庁(現伊豆の国市江川邸内)に仮研究所が開設し、近隣の本立寺で授業法を伝授したことを起源とする。1895年に旧制中学、1948年に新制高校となった。現在は普通科と理数科が設置され、県内屈指の進学校である。校訓は学祖江川坦庵の座右の銘である「忍」。また、本校では「韮高」とともに「龍城」という名前がしばしば用いられる。2006年現在、開学133年を誇る県下最古の公立高校であり、日本の高等学校設立年表によると、現存する高等学校としては全国で23番目古い。
龍城
- 本校は「龍城」という異名を持っている。これは室町時代後期から戦国時代にかけて、現在の本校の一部と隣接する龍城山に存在した韮山城の別名『龍城』に由来している。この韮山城は後北条氏の祖である北条早雲によって整備され、後北条氏の伊豆支配の拠点となっていた。詳しくは韮山城を参照のこと。
沿革
- 1872年-文部省が学制を頒布
- 1873年-足柄県令柏木忠俊が韮山支庁(江川邸内)下に仮研究所を開設し、小学校授業法を伝習させる
- 1874年-韮山城跡に校舎が完成し、韮山講習所対岳学校とする
- 1876年-足柄県を廃止し、伊豆国は静岡県に編入され、韮山師範分校と改称
- 1877年-韮山変則中学校と改称し、中学、師範の両科を置く
- 1878年-韮山中学校と改称し、更に県立韮山中学校となる
- 1882年-町村立中学伊豆学校と改称
- 1884年-県立豆陽学校と改称し、旧豆陽学校を分教場とする
- 1886年-町村立伊豆学校と改称
- 1887年-私立伊豆学校と改称
- 1895年-静岡県尋常中学校韮山分校となる
- 1896年-静岡県韮山尋常中学校と改称
- 1898年-静岡県立韮山尋常中学校となる
- 1899年-静岡県韮山中学校と改称
- 1901年-静岡県立韮山中学校と改称
- 1925年-校歌制定
- 1948年-静岡県立韮山高等学校となる
- 1948年-バレーボール部インターハイ3連覇
- 1948年-バレーボール部国体4連覇
- 1950年-第3回選抜高等学校野球大会優勝
- 1970年-理数科設置
- 1973年-創立100周年記念式典挙行
- 1978年-有慶館竣工
- 1990年-旧教室棟解体
- 1991年-新教室棟竣工
- 1992年-木彫レリーフ『生命』・『生涯』(下山昇作)除幕式挙行
- 1993年-ブロンズ像『富士に対す』(堤直美作)除幕式挙行
- 1993年-美術展『龍城山下の芸術家たち』を三島市佐野美術館において開催
- 1993年-創立120周年並びに新校舎落成記念式典挙行
- 1995年-第77回全国高等学校野球選手権静岡大会優勝
- 1995年-第77回全国高等学校野球選手権大会出場(3回戦進出)
- 1996年-プール(50m×8レーン)、プール付属棟完成
- 1996年-プール完成記念式典挙行
- 2003年-創立130周年記念式典挙行、オペラ『坦庵』上演
- 2005年-旧講堂解体
- 2005年-夜間照明施設(グラウンド)竣工
- 2006年-新講堂『志龍講堂』竣工
- 2006年-創立133年
学校案内
学校概要
- 2006年度現在、1・2学年は普通科6学級・理数科1学級で3学年は普通科7学級・理数科1学級である。
- 在籍生徒数は約850名。
- 文武両道をモットーとしているため、生徒全員が部活動に所属している。男子生徒の7割は運動部に所属している。
- 校歌の他に応援歌2つと寮歌がある。現在、寮歌は歌唱指導以外では使われていない。
- 2003年から2005年まで文部科学省から「学力向上フロンティアハイスクール」に指定された。
- 近年は特に学力強化に力を入れている。長期休業中にはたくさんの講習が開講される。予備校等が主催する模試は全生徒必修の学校参加とすることがほとんどである。
- 伊豆の国市に合併する前の旧韮山町のときの住所は「静岡県韮山町韮山韮山229」であった。
校則
- 校則は周辺の他校と比べるとかなり緩い方である。
- 髪の染色、アクセサリー等は禁止。ただし、校則の中では「染色等禁止」とは明記されていない。
- 携帯電話は授業中以外は教室内を問わず使用可能。また、稀に数学等の授業中に教諭から「携帯電話に付いている電卓を使って計算しなさい」と言われることもある。
服装
- 男女とも制服着用。
- 男子生徒は黒色・金ボタンの学生服(学ラン)、女子生徒は黒色のブレザーと黒色スカート。
- 略装(夏服)は男子がワイシャツとスラックス、女子がブラウスと黒色スカート、それと黒色のベスト(任意)である。
- 略装では開襟シャツの着用も可能である。
- カーディガン、セーターの着用は自由だが、これらを着用するときは学生服・ブレザーを上から羽織らなければならない(カーディガンやセーターで活動するのは原則禁止)。
- 男子生徒は学生服着用時はワイシャツを着ないことも多い。また襟のカラーを外している者も散見される。
- 学生服・ブレザーの襟とワイシャツ・ブラウスの胸ポケットに校章を入れる。校章の色は赤・青・緑の3色でこれは学年色となっている。
- 以前は衣替えの日付や期間が明確に決まっていたが、近年は比較的自由になってきている。
- 校舎内は土足厳禁でスリッパまたは室内用シューズ(学校指定)を用いる。スリッパは学年色で色分けされる。
- スリッパのサイズは「標準」「特大」「外人」等がある。外人サイズが一番大きい。
- 体操服は白色シャツ(半袖または長袖)が男女共用、短パンは男子が白色、女子が紺色である。
- 学校指定のジャージが存在しないため、ほぼ全ての運動部と文化部の一部が部活毎に独自のジャージを持っている。なお、これは体育の授業中も着用可能である(たまに禁止されることもある)。
校歌
- 1925年の制定で、穂積忠作詞、佐々木英作曲。
- 当時でも現在でも珍しい三拍子。
- 昔は、在籍生徒が男子ばかりだったので歌詞に「男」という文字が多く使われている。
- 歌詞は1番から3番まであるが、2番が省略されることもある。
- 本校ホームページには歌詞とピアノ伴奏を収録したファイルが掲載されている[1]。
- 歌詞
- 空を仰げば 魂(たま)ゆらぎ 地を踏みゆけば 肉躍る 歴史は古き 韮山の
- 男子(をのこ)の気噴(いぶき) 吹き明(あか)れ
- 勁(つよ)くますぐに 飾りなく いや伸びいそぐ 龍城の
- 松の太幹(ふとみき) とりどりに 生(おほし)立つべき 日は近し
- 空を睹(み)よ 地を践(ふ)みしめよ あくまで深き 天地(あめつち)に
- 生きの身力(みちから) 徹(とほ)らしめよ
愛唱歌
- 本校の愛唱歌は現在使われている「校歌」「応援歌第1」「応援歌第2」「寮歌」のほかにも十数曲が存在する。今のところ下記の20曲の存在が確認されている[2]。
- 同窓会が愛唱歌をまとめた『韮高愛唱歌集』を1999年8月に発行した。
- 韮山高等学校校歌(ニ長調)--穂積忠作詞、佐々木すぐる作曲
- 旧校歌--作詞者、作曲者不詳
- 寮歌--伊藤保三郎作詞、作曲者不詳
- 競技部応援歌1--長艮徳太郎作詞、作曲者不詳
- 競技部応援歌2--福間敏夫作詞、作曲者不詳
- 水泳部部歌--行力勲雄作詞、作曲者不詳
- 野球部部歌1-1・2--作詞者不詳、本歌・楠正一作曲
- 野球部部歌1-3--作詞者不詳、本歌・北村季晴作曲
- 野球部部歌2--伊藤保三郎作詞、作曲者不詳
- 野球部部歌3-作詞者不詳、本歌・奥好義原曲
- 剣道部部歌(1932年)--井原弘作詞、小田切信夫作曲
- 剣道部部歌(1935年)--井原弘・石井悦二作詞、本歌・須川敬太郎作曲
- 剣道部遠征歌--石井悦二作詞、作曲者不詳
- 剣道部応援歌--谷口武詞作詞、作曲者不詳
- 壮行歌--伊藤嘉一作詞、本歌・栗林宇一作曲
- 復興の歌--長徳太郎作詞、本歌・栗林宇一作曲
- バレーボール部部歌--木内敬作詞・作曲
- 韮高の歌--文芸部作詞、石垣綾子作曲
- 龍城音頭--森野彌良作詞、後藤脩作曲
- 勝利の歌--柏木俊孝作詞、飯田正紀作曲
- 韮山高等学校校歌(ホ長調)--穂積忠作詞、佐々木すぐる作曲
教育方針と重点目標
- 教育方針
- 校訓「忍」のもとに、
- 教科並びに諸活動に積極的に取り組み、
- 幅広い教養と高い志、
- 及び逞しい実践力を身につけた
- 有為な人材の育成を図る。
- 2006年度の重点目標
- 本校の伝統と実績を踏まえ、社会の変化に対応し、地域社会の要望に応え、21世紀の国家・社会を担うに足る人材の育成を図る。
- 文武両道と質実剛健を旨とし、自由闊達な中に、気概を持った若者の育成に努める。
- 「自ら思考し、自ら実践する」をモットーに、豊かな感性、優れた知性、健やかな心身と強い意志を持って未来に生きる力の育成に努める。
最近の話題
- ここ数年は夏の高校野球静岡大会でも大いに盛り上がっている。2004年ベスト16、2005年ベスト8、2006年ベスト16と好成績を収めている。なお、2005年には、グランドに念願の夜間照明(ナイター)設備が設置された。高校野球に関しての詳細は後述。
- 近所にある『たこ焼パパさん』は韮高生に広く愛されている。ここでは、たこ焼をはじめ、お好み焼、ピラフ、かき氷(夏季限定)、シェーク、ソフトクリームなどを食べることが出来る。同店はTBS系ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ』でも登場した。
- 本校が納入先の弁当屋「らんちてい(本店は伊豆仁田駅前)」が龍城門の近くに出店した。
- 「カップルロード」という韮高生カップル専用の登下校ルートがある。ルートは本校の龍城門を出てすぐに左折し、部室棟横の道路を韮山中学校付近まで直進する。その後右折して源頼朝の流刑地である蛭ヶ小島前を通り韮山駅南側の踏切付近に出るものが一般的である。
施設と設備
管理棟
- 管理棟は5階建の白壁の建物である。
- 階段が東西2個所ある。東側階段は5階へは通じていない。
- 校長室と応接室は中で繋がっている。
- 図書館は県内屈指の蔵書数を誇り古書も数多いが、近年では生徒のリクエストに答えて新刊や話題の本もたくさん納入されている。雑誌・新聞も各種取り揃えてある(映画等の娯楽雑誌やスポーツ新聞などもある)。
- 体育館と理科棟に繋がっている。体育館への空中通路は2階に設置されている。
- 耐震工事は実施済み。
- トイレは1、2、4階に設置されている。1、2階は教職員用。
- 東海地震発生時の災害対策本部設置場所に指定されている(玄関にその旨を示すステッカーが貼られている)。
- 1階-校長室、会議室、応接室、事務室、保健室、玄関、昇降口
- 2階-職員室、進路室、印刷室、社会科資料室、社会科準備室、社会科教室、国語科準備室、資料室、生徒会室、物理部部室
- 3階-図書館、美術室、パソコン教室、数学準備室
- 4階-音楽室、視聴覚室
- 5階-天文気象部部室、プラネタリウム、屋上入口
理科棟
- 理科棟は3階建の白壁の建物である。
- 中央に階段がある。この階段は昇降口から教室棟への通り道にあるため最もよく使われる階段である。
- 管理棟と教室棟に各階で繋がっている。ただし理科棟が3階建てのため、教室棟4階へは繋がっていない。
- 数学教室へは校舎内から直接行くことはできない。
- 耐震工事は実施済み。
- トイレは2階にのみ設置。
- 1階-化学第1実験室、化学第2実験室、化学準備室、数学教室
- 2階-生物室、生物準備室、地学室、
- 3階-物理第1実験室、物理第2実験室、物理準備室
教室棟
- 教室棟は4階建の白壁の建物である。
- 新講堂が出来る前までは1番新しい建物であった。
- 1991年竣工と比較的新しいため、耐震工事は行っていない。
- ほぼ全ての教室にエアコンが2台ずつ完備されている。2004年の夏期休業中に設置。
- 理科棟と4階以外の各階で繋がっている。3階部分の渡り廊下は屋根がないので雨天時には注意が必要。また渡り廊下2階で『志龍講堂』と繋がっている。
- 1階の購買の営業時間は原則として8時15分から15時30分。
- 1階の生徒ホールにはピアノのほか、彫刻等の美術作品、カウンター式のテーブルと椅子がある。
- トイレは各階に設置されている。
- 1階-生徒ホール、購買、英語科準備室、LL教室、保健体育準備室、茶道室、応援委員会室
- 2階-1学年教室
- 3階-2学年教室、選択教室
- 4階-3学年教室、選択教室
講堂
- 講堂は『志龍講堂』といい、2階建の建物で最新の設備を持っている。
- 講堂は2006年に本校OBであるシダックス株式会社の代表取締役社長志太勤氏の寄贈により落成した。
- 館内はエアコン完備でカフェテリア、「志の鐘」などがある。
- 旧講堂を解体し、発掘調査完了後に新講堂を建設したため、工事期間は長かった。
- 旧講堂は以前体育館としても使用していた(バレーボールの国際試合を開催したこともある)ため、吹奏楽部のほかに男女バドミントン部、空手道部が部活動で使用していた。
体育館
その他の施設
- プールは50メートル×8レーンで広い。そのため授業では毎時間500mも泳がされる。プールの下は自転車駐輪場と倉庫。プール横にはトイレと更衣室がある。
- 部室棟は2階建で東西に1棟ずつある他、部によっては独自に施設を持つ場合がある。
- 東側の部室の隣に屋外トイレがある。
- 合宿施設として「有慶館」がある。同窓会の事務所はこの中にある。
- このほかに野球の応援スタンド・弓道場・テニスコート(有慶館前と龍城山上の2箇所)がある。
歴史関連
- 現在の校地のほとんどが、韮山城跡や関連施設跡地である。このため、校内で発掘調査を行う度に歴史的価値のあるものが数多く出土する。
- 現在の校舎付近は韮山城の武家屋敷の跡地で教室棟2階の1年B組の真下あたりは濠があった場所と言われている。
- 創立が古く、戦禍も免れてきたため、校舎内に古く貴重な文献が保存されている。
- 古い歴史を持つため、多くの芸術家を輩出している。それらの人々の作品を展示しているのが龍城美術館で、澤田政廣などからの絵画や彫刻造形、書などの寄贈の品を展示している。
- 校内には銅像も多い。学祖江川坦庵像や「富士に対す(通称タイスマン)」などの銅像がある。
その他
- スクールバスが本校と東海道本線函南駅の間で行われている。途中の函南町立函南東中学校付近で途中乗車・下車ができる。
- 学校の裏には城池公園がある。体育でグラウンドの状態が悪く使えない場合、ここで体育をすることもある。また、このあたりは城池コースという韮高生のマラソンコースとなっている。プールが学校に併設されてない昔は城池で水泳の授業を行ったらしい。
勉学
学習
- 通常授業は65分が5コマである。短縮授業として1コマ50分~60分授業がある。なお、学年末などに1日で全科目の定期試験答案の返却するために20分授業が行われる。
- チャイムは朝の始業・朝読書終了・午後の授業の5分前予鈴・午後5時の終業以外は基本的に鳴らない「ノーチャイム制」。
- 休み時間は10分・昼休みは45分(昼休み終了5分前に予鈴が鳴る)。
- 1年次から普通科と理数科に分かれる(高校入試出願時に振り分け済み)。理数科は水曜日に6限授業が存在する。科目は理数数学または情報。
- 地学、倫理、政治・経済以外の授業が開講されている。ただし現代社会の授業では特に政治・経済分野を詳しく学ぶので、センター試験の政治・経済の受験にも十分対応できる。
- 2年次に文系・理系に分かれる。実際に文理希望を届けるのは1年次の11月ごろ。全体の生徒数では理系のほうが圧倒的に多い。男子は理系、女子は文系にどちらかというと集中する傾向がある。原則として文理独立だが、稀に文理混合クラスが存在する。
- 3年次には文系・理系内でさらに国公立大学受験組と私立大学受験組に分かれる。ここで文転(理系から文系にコース変更すること)が可能で毎年30人程が文転する。理数科内でも文転することは可能。ただし理転は原則として出来ない。大多数は国公立大学受験組となるが、クラス編成では国公立大学受験組・私立大学受験組には分けずに選択科目のパターンによってクラスを決める。
- 定期テストは5回ある。そのほかに実力テストや小テストなどが適宜行われる。実力テストは成績優秀者の順位が張り出される。
- 外部の模試が頻繁に行われる(原則として必修)。以前、1・2年生はベネッセの進研模試のみであったが近年は河合塾等大手予備校の模試の受験機会も増えている。3年生は、代ゼミ、河合塾、駿台の模試が長け続けに行われている。
- 1年生は11月に英語コミュニケーション能力テスト(読解・リスニング・英作文)が行われる。
- 「漢字KO戦」という難読漢字テストの大会が全校で年数回行われる。出題分野は植物・動物・外国の地名など多岐にわたる。
- 予備校の通学先は秀英予備校か東進衛星予備校韮山校が多い。他に三島進学ゼミナール高等部やエコール韮山に通う生徒もいる。
- Z会は地元企業ということもあってか、静岡県内に通う高校生の学校別登録者数は浜松北高校の295人、静岡高校の189人に次ぐ第3位の187人である。
- Z会の申込用紙記入例には「増進次郎」や「増進花子」といった名前が使われているが、在学高校は韮山高校ということになっている。
進学成績
- 毎年、半数の生徒が国公立大学に合格する。
- 2006年度入試では、現役で国立大学に106人、公立大学に32人、私立大学に517人合格している[3]。
- 2005年度入試では、現役で国立大学に110人、公立大学に30人、私立大学に449人合格している[4]。
- このほかに防衛大学校等の文部科学省管轄外の大学校や短期大学・専修学校に進学するものもわずかながらにいる。
- 下記のデータは2006年度入試の現役生の結果である。
- 東大4名・東北大9名、名古屋大7名など、旧帝大と一橋大、東工大に計28名合格している。
- 筑波大3名、千葉大12名、横浜国立大11名など、地方ブロック大(上位国立大)に計28名合格している。
- 私立大学では早大23名、慶大18名をはじめとする早慶上智理科大80人、明治大34人をはじめとするMARCH121人、関関同立に38人合格している。
学校生活
学校行事
- 4月は創立記念遠足を開催する。1年生は伊豆の国市周辺、2年生は箱根周辺、3年生は鎌倉周辺を散策する。
- 同じく4月に1年生は歌唱指導がある。これは1週間続き、中には声が枯れる者や応援団の怖さのあまり泣き出してしまう者もいる。ただし、近年ではあまり指導が厳しくならないよう自粛しているので上級生や卒業生からは不満も聞かれる。
- 5月下旬に行われる学校祭は龍城祭と呼ばれている。1日目に芸能祭、2日目に文化祭、3日目に体育祭と後夜祭を行う。龍城祭の詳細は後述。
- 7月に1年生は近隣の保育園、幼稚園で保育体験実習を行う。
- 9月下旬に全校で球技大会が行われる。種目はソフトボール・サッカー・バスケットボール・バレーボール・テニス・卓球など(年によって種目変更あり)で全てクラス対抗の団体戦。特にソフトボールとバスケットボールは観客が多い。もちろん教職員チームも参戦する。3年生は9月に入ると真っ先に球技大会の朝練・昼練を行うなど、かなりの熱の入りようである。1週間前になると1・2年生も練習を始めるので部活動の朝練はままならない。
- 11月に2年生は修学旅行がある。2004年度までの滞在先は、伝統的に、京都・大阪だったが、2005年度より長崎・福岡・大阪・京都になった。夜間に関西から九州までフェリーで移動する。
- 2月には1・2年生は龍城クロスカントリーがある。1月ごろから体育の授業で練習をし、特に男子は本番で約12km走る。完走後にはおいしい豚汁などを食べられる。男女各15位以内に入ると表彰される。
- LHR(ロングホームルーム)が月曜日の6時限に50分間設定されている。進路説明会や生徒総会等の行事がないときはクラスで自主活動となる。
- LHRで特に人気がある活動は「いちご狩り」、「バーベキュー」、「焼き芋」と「スポーツ」である。
- 毎年3月に「松籟(しょうらい)」という冊子が発行される。内容は各HR紹介や部活動成績・卒業生の「遺言」・先生方のエピソード・HR日誌の抜粋など。
- 理数科の生徒は、情報処理研修や富士山研修等の様々な研修を受ける機会が与えられる。
- 学科に限らず、希望者にインターンシップが開催されている。
- 夏期休業中には希望者での大学訪問(東京大学、お茶の水女子大学、一橋大学、東京工業大学から選ぶ)が行われている。
- 生徒の進路決定に役立てるために大学教授を多数招いて「大学レクチャー」を行う。選択できる学問分野は文学・法学から工学・医学まで幅広い。
- 韮山城を復元しようという運動が起きている。また、龍城山の黒松を再生する事業も行っている。
龍城祭
- 芸能祭・文化祭・体育祭・後夜祭を3日間一気に行う。連続しているので準備は大変だがその分大変盛り上がる。
- 以前、芸能祭は三島市のゆうゆうホールや伊豆の国市(旧伊豆長岡町)のアクシスかつらぎで行われていたが、2006年に新講堂が落成したので2006年度より外部施設での開催はなくなった。
- 前々日から学校を挙げての準備となる。会期は土日をはさむので後日振替休日がある。
- 芸能祭ではオープニング、体育祭の各軍団長の紹介・パフォーマンスと音楽部・吹奏楽部・演劇部の講演を行う。以前は一般公開を夜間の部で実施していたが2006年度より文化祭の日に変更された。最初30分のオープニングで流れる自作のパロディ映像(特に軍団長の紹介)がおもしろいと評判である。
- 文化祭では文化部による作品展示などのほか、有志(部活動単位が多い)による模擬店がある。この日は他校の生徒や父兄、一般の方々も多く見られる。このほかにも野球部の招待試合やイベント、ライブが開催される。2006年度より芸能祭の一般公開も同日に行われている。
- 体育祭では赤・青・黄・白の4軍に分かれ、各軍団長の指揮の下、生徒が体を張って競技に望む。伝統的な種目であり激しい肉弾戦となる男子種目の騎馬戦と棒倒しや女子種目の棒取り、軍対抗・HR対抗の選抜リレー、ユニークな女子玉いれ、部活動対抗リレーなどがある。最下位になった軍の軍団長には後夜祭で罰ゲームがある。
- 後夜祭ではサッカー部のダンスをはじめ、様々な催しがある。先生劇では普段見られない先生方の意外な一面を見ることが出来る。最後のフィナーレとして、大型の火文字・校舎文字と打上花火がある。ただし2006年度以後は都合により火文字か校舎文字の片方のみを実施する予定である。打ち上げ花火は花火大会で使われる本格的なものである。夜間に行うこともあってか、韮高生にとっては1年のうちで最もカップルが誕生しやすい日の一日である。
- 翌日は大抵休日となりその後片付けを行う。
部活動
高校野球
- 過去2回、甲子園に出場。
- 1950年の第3回選抜高等学校野球大会(春の甲子園)では全国制覇を達成した。
- 1995年に第77回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場。3回戦で秋田県代表金足農業に敗れた。
- 近年、全国選抜高等学校野球選手権静岡大会(夏の高校野球静岡大会)では、2004年ベスト16、2005年ベスト8、2006年ベスト16と好成績を収めている。なお、2005年度はシード校であった。
運動部
- ソフトテニス部
- バドミントン部
- サッカー部
- 弓道部
- 空手部
- 剣道部
- 山岳部
- 柔道部
- 水泳部
- 卓球部
- 男子バスケット部
- 女子バスケット部
- 野球部
- 陸上競技部
- 男子硬式テニス部
- 女子硬式テニス部
- 男子バレー部
- 女子バレー部
- ウェイトリフティング部
文化部
出版物
- 韮高百年(資料編)-1973年10月26日発行
- 韮高百年(写真編)-1973年10月26日発行
- 龍城山下の芸術家たち(写真集)
- 韮高百二十年
- 龍城物語 韮高躍動の百二十五年-1999年8月発行
- 韮高愛唱歌集-1999年8月発行
- 龍城(韮山高等学校バレーボール部50周年記念誌)
- 詳細は韮高出版物参照。
交通
- 伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅より東へ徒歩12分。
- 近年韮山駅東口が新たに開設されたため、登校時は東口、下校時は西口を使う。このため、登校時と下校時は通学路が異なる。
- 本数は少ないが、韮山駅西口から韮山高校方面(江川邸行き)へ伊豆箱根自動車の路線バスが運行されている[5]。
- 本校の始業時間は8時30分だが、韮山駅8時24分発の路線バスに乗車することで下記の電車でもぎりぎり間に合うようになっている。登校時間帯は韮高生以外の乗客が皆無なので、運転手の計らいにより降車時にブザーを押す必要がない。
修善寺行き | 三島行き | ||||
---|---|---|---|---|---|
三島発 | 大場発 | 韮山着 | 修善寺発 | 大仁発 | 韮山着 |
8:05 | 8:14 | 8:22 | 8:00 | 8:05 | 8:17 |
著名な出身者
- 穂積隆信(俳優)
- 亀山千広(フジテレビジョン映画事業局長)
- 石丸彰彦(TBSテレビのテレビドラマプロデューサー)
- 伊藤圭介(静岡放送アナウンサー)
- エリックまたひら(タレント)
- 杉原泰雄(法学者)
- ブリーフ&トランクス(フォークデュオ)
- しばしば誤解されるが、海外リーグやサッカー日本代表等で活躍した中田英寿元選手は本校ではなく山梨県立韮崎高等学校の出身である。
周辺施設
- 伊豆の国市韮山庁舎
- 伊豆の国市韮山文化センター(韮山時代劇場)
- 韮山農村環境改善センター
- 韮山体育館
- 韮山運動公園(野球場・多目的広場)
- 伊豆の国市立韮山小学校
- 伊豆の国市立韮山中学校
- 韮山郵便局
- JA伊豆の国 韮山いちご狩りセンター
- 江川邸
- 韮山反射炉
- 本立寺(江川家代々の菩提寺で江川坦庵・柏木忠俊らの墓がある)
- 蛭ヶ小島(源頼朝配流の地)
- 山木遺跡(弥生時代の遺跡)
- 伊豆の国市立郷土資料館