柔道
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柔道(じゅうどう)は、明治15年に嘉納治五郎が創始した武道であり、格闘技、スポーツにも分類される。正式名称は「日本伝講道館柔道」という。2人の選手が組み合って、相手を投げて背中から落とす、相手の足をはらい倒す、あるいは一定時間以上抑え込むことができれば勝ち。「精力善用」「自他共栄」を基本理念とし、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」を真髄とする。単なる勝利至上主義ではなく、精神鍛錬を目的としている。
学校教育において1898年に旧制中学校の課外授業に柔術が導入された際、柔道も、必修の正課になった。連合国軍最高司令官総司令部により学校で柔道の教授が禁止された以降武道は禁止されたが、昭和25年(1950年)に文部省の新制中学校の選択教材に柔道が選ばれた。昭和28年(1958年)の中学学習指導要領で、相撲、剣道、柔道などの武道が格技という名称で正課授業が行われた。平成元年(1989年)の新学習指導要領で格技から武道に名称がもどされた。ほとんどの学校が柔道場を有する。剣道や空手道と並び、日本でもっとも広く行われている武道の一つ。
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[編集] 歴史
[編集] 柔術から柔道成立まで
古くは、12世紀以降の武家社会の中で、武芸十八般と言われる武士の武術の一つとして江戸時代柔術が発展した。幕末までに百を越える流派が生まれていたとされる。
明治維新以降柔術練習者が減少していた中、明治15年1882年に、嘉納治五郎が、当身技、固技、絞め技を中心とする天神真楊流柔術、投げ技を中心とする起倒流柔術の技を基礎に、起倒流の稽古体験から「崩し」の原理をより深く研究して整理体系化し、修身法,練体法,勝負法として今までの修行面に加えて人間教育の手段として柔道と名付け、東京下谷の永昌寺に講道館を創設した。
講道館は新興柔術の少数派の一派であった。講道館四天王の一人である西郷四郎(小説「姿三四郎」のモデル)が警視庁武道大会で優勝し、警察庁が講道館柔道を正式に認めたため全国に広まっていった。
[編集] 国際的な競技としての普及
柔道の試合競技は1964年の東京オリンピックで、正式競技となる。女子種目も、1988年のソウルオリンピックで公開競技、1992年のバルセロナオリンピックでは正式種目に採用された。
現在は、世界中に普及し、国際柔道連盟の加盟国・地域も187カ国ある。日本以外では、欧州で人気が高く、特にフランスの登録競技人口は、日本の登録競技人口を大きく上回っている。 現在、国際柔道連盟の本部は韓国ソウルにある。
[編集] 技術体系
講道館柔道の技は「投げ」「固め」「当身技・当身(あてみ)」の3種類に分類される。練習形態は柔道形と乱取りがある。本来は形と乱取りは車輪の両輪として練習されるべく制定されたが講道館柔道においては乱取りによる稽古を創始当時から重視する。嘉納自身、当身技は危険として乱取り・試合では「投げ」「固め」のみとした。このゆえにスポーツとしての柔道は安全性を獲得し、広く普及していくこととなった。
当身技については、現在では昇級・昇段審査においても行われることが稀であるため、柔道修行者でもその存在を知らないことが多く、また指導できる師範も少ないのが現実である。
[編集] 段級位制
段級位制は、数字の大きい級位から始まり、上達につれて数字の小さな級位となり、初段の上はまた数字の大きな段位になってゆく。
段級位制は囲碁、将棋において古くから行われていたが、それを最初に武道に導入したのは、嘉納治五郎が講道館柔道である。現在、剣道や空手道など、他の武道においても段級位制が採られているが、柔道を参考にしたといわれている。
初段が黒帯というのは広く知られており、クロオビは英語圏でも通用する単語となっている(もともと道衣の帯は洗濯しないのが基本であり、稽古の年月を重ねるうちに黒くなっていくことから、黒帯が強さの象徴となったのであり、茶帯が白から黒に至る中途に設定されているのはこの残存形式であるとも言うが、茶帯を嫌う指導者も多い)。
成年部の場合の帯と段級位の関係は以下のようになっている(四級以下については、道場によって違いもある)。
※六段以上は黒帯でも構わない。
※女子部は国内ルールでは1/5幅の白線入りだが、国際ルールでは男女とも同じものを用いる。
※国際ルールを用いる国内の大会では、女子は白線入り帯を締めてもよいことになっているのがほとんど。
一般に最高段位は十段と思われがちだが、柔道の創始者である嘉納治五郎も『柔道概要』の中で「初段より昇段して十段に至り、なお進ましむるに足る実力ある者は十一段十二段と進ましむること際限あるなし」と述べている通り実際には上限は決められておらず、それ以上の昇段も可能になっている(ただし、前例はない)。
なお、2006年現在までの講道館十段所有者は、山下義韶、磯貝一、永岡秀一、三船久蔵、飯塚国三郎、佐村嘉一郎、田畑昇太郎、岡野好太郎、正力松太郎、中野正三、栗原民雄、小谷澄之、醍醐敏郎、安倍一郎、大沢慶己(昇段年順)の15人のみとなっている。また国際柔道連盟での十段所有者は、アントン・ヘーシンク(オランダ)とチャールズ・パーマー(イギリス)の2人となっている。
女子の場合はこれまで十段を許された例が無く、最高段位は九段の福田敬子ただ1人(2006年1月に昇段[1])で、それに続く八段所有者も二星温子ただ一人となっている。
[編集] ルール
ルールは講道館柔道試合審判規定(以降、講)と国際柔道連盟試合審判規定(以降、国)がある。
試合場内は、9.1m×9.1m(5間)(講1条)、もしくは8m×8mから10m×10m四方(国1条)の畳の上。(「試合場」は、講14.55m(8間)、国14~16m四方の場外を含めた場所を言う)講道館規定67種類,国際規定66種類の「投技」と29種類(講道館,国際共)の「固技」を使って、相手を制することを競う。
試合は、試合場内で行われ、場外でかけた技は無効となる。場外に出たとは、立ち姿勢で片足でも、捨身では半身以上、寝技では両者の体全部が出たときを言う。ただし、技が継続していている場合はこれにあたらない(講5条、国9条)。
審判員は主審1名、副審2名の3名が原則であるが、主審1、副審1、もしくは審判員1でも可能である(講17条、国5条は主審1、副審2の構成しか認めていない)。また、審判に抗議することはできない(講16条)。
試合は立ち姿勢から始まり(講10条)、一本勝負である(講9条)。試合時間は3分から20分の間で決められ、延長も可能(国10条では、世界選手権大会と、オリンピックの男5分、女4分しか決められていない)。ただし、「待て」から「始め」、「そのまま」から「よし」までの時間はこれに含まれない(講12条、国11条)。また、試合終了の合図と共にかけられた技は有効とし、「抑え込み」の宣言があれば、それが終了するまで時間を延長する(講14条、国14条)。勝敗は優勢なものの勝ちとなるが、「一本」の場合残り時間にかかわらずその時点で試合は終了する。また、両者に投げ技や抑え込みによるスコアがなかった場合には、試合を同じ時間延長しどちらかが先にポイントをとった時点で試合終了となる(ただし講、国ともに、ゴールデンスコア方式で行うとは明記されていない)。それでもなお時間切れになった場合は主審および副審の判定により優勢勝ちが告げられる。大会の規定によっては引き分けとする場合もある。
[編集] 国際大会の敗者復活トーナメント戦
また、オリンピックや世界柔道選手権大会では、3位決定戦を行う関係上、敗者組の復活トーナメントも行われる。これは予選トーナメントで敗れた選手の中から、ベスト4の選手と直接対決した選手が出場できる。
[編集] 投げ技
相手を制しながら背を大きく畳につくように,相当な強さと速さをもって投げたとき「一本」となる。「一本」に準ずるスコアは「技あり」、「技あり」に準ずるスコアは「有効」、さらに下には「効果」がある。「技あり」2回で、合わせて「一本」になる。「有効」・「効果」は、何回とっても上位のスコアに及ばない(講道館規定は有効まで)。
[編集] 固技
固技の勝ち方には次の3つがある(講37条、38条、39条)。(注:固技は抑込技、絞技、関節技の総称である)1つ目は、抑込技で、国際審判規定では相手の背、両肩または片方の肩を畳につくように制し、相手の脚によって自分の身体、脚がはさまれていない場合、25秒間経過すると、「一本」勝ちになる。20秒以上25秒未満で「技あり」、15秒以上20秒未満で「有効」、10秒以上15秒未満で「効果」である。なお、講道館規定では30秒で「一本」、25秒以上30秒未満で「技あり」、20秒以上25秒未満で「有効」となる。
2つ目は、固め技で、相手が「参った」と発声するか、その合図(相手の体もしくは畳を審判に分かるように2~3回たたく)をすれば「一本」勝ちになる。
3つ目は、絞技と関節技で、技の効果が十分に現れたときである。
- 3つ目の条件には、脱臼、骨折、「落ちる」等がこれにあたる。
- 大会参加選手の程度によって、関節技や絞め技が完全に極まっていれば、安全のため、選手が「参った」をしなくても「一本」になることがある。これを「見込み一本」という。これを採用するかどうかはその大会の前に決められる。
- 中学生以下は安全のため関節技・三角絞め禁止。(講・少年規定による)
- 小学生以下は安全のため絞め技・関節技禁止。(同上)
[編集] 歴史
- 明治33年(1900年) 講道館柔道乱捕試合審判規定。
- 大正13年(1924年) 引き込みを禁止。
- 昭和4年(1929年) 御大礼記念天覧武道大会柔道乱捕試合規定、審判員三人、姿勢・態度・技術等の基準による「優勢勝ち」制定。
- 昭和26年(1951年) 講道館柔道試合審判規定制定。
- 昭和30年(1955年) 講道館柔道試合審判規定改正、技あり後の「抑え込み」25秒等。
- 昭和36年(1961年) IJF体重別制。4階級。
- 昭和42年(1967年) IJF試合審判規定が制定・IJF体重6階級。
- 昭和51年(1976年) オリンピックモントリオール大会柔道競技にて「効果」が採用。
- 昭和52年(1977年) IJF体重別制、8階級制。
- 昭和57年(1982年) 講道館試合審判規定・少年規定。
- 平成10年(1997年) IJF総会でカラー柔道衣導入可決。
外部リンク
[編集] 流派
東海大学、天理大学等をオピニオンリーダーとする全日本学生柔道連盟(学柔連)と講道館の対立は政界をも巻き込み、1883年あたりから長く続いた。完全統一がなったのはニュージャパン柔道協会が講道館大阪支部となった1995年といわれている。学士インテリ対町道場主&骨接ぎとも揶揄された。学柔連側には山下泰裕ら主力選手が多くいたので無視できないものであった。
国際柔道連盟もすぐに合流したものの当初は講道館や全日本柔道連盟は不参加で欧州で設立された。
講道館が認めるものとは異なるルール(主に寝技)で競技を行う高専柔道や、前田光世から受け継がれたブラジリアン柔術の各派がある。また、柔道から派生した総合格闘技団体J-DOがある。
[編集] 柔道と空手道の道衣
柔道は当初柔術の稽古衣を着て稽古していたが、袖、と裾の長い現在の柔道衣を作成し稽古するようになった。もともと、琉球王国時代の唐手には道衣が無かった、というのが定説になっている(稽古衣としてズボンのような物は存在していたらしい)。1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、船越義珍に講道館で演武、指導した時に義珍が着用していたのが柔道衣である。動作も稽古内容も柔道とは違うため、柔道衣に徐々に改良がなされ、空手道に今のような空手道衣が誕生した。すなわち、空手道衣の元は柔道衣である。このように一般には別々と思われている柔道と空手道ではあるが、道衣において共通点が存在しているのである。
[編集] ブラジルでの異種格闘技戦
1951年、プロ柔道の木村政彦七段、山口利夫六段、加藤幸夫五段の日本柔道使節がブラジルに招かれる。この時、グレイシー柔術と異種格闘技戦を行っている。
9月6日に加藤幸夫がリオデジャネイロでエリオ・グレイシーと対戦。試合は10分3ラウンドのブラジリアン柔術ルールで行われ引き分けに終わる。9月23日に二人は再戦し8分目で加藤が絞め落とされエリオの一本勝ちに終わった。 10月23日に木村政彦とエリオ・グレイシーが対戦。木村が2R開始3分目で腕を取りエリオは意識がなくなっていたため兄のカルロスがストップを申し出し木村の勝利に終わった。
[編集] 関連項目
- 柔道技一覧
- 柔道形
- 近代オリンピック
- 夏季オリンピック
- 世界柔道選手権大会
- 全日本柔道選手権大会
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会
- 都道府県対抗全日本女子柔道大会
- 福岡国際女子柔道選手権大会
- 国民体育大会
- 金鷲旗全国高等学校柔道大会
- 全国青年大会
- 柔道家一覧
- 柔道の日本人オリンピックメダリスト一覧
- 帯 (柔道)
- 柔道整復術
- 日本拳法
- 自衛隊徒手格闘
- バリツ
- 帯をギュッとね!
- YAWARA!
- 柔道部物語
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
- 小俣幸嗣、尾形敬史、松井勲著、竹内善徳監修『詳解 柔道のルールと審判法』大修館書店 ISBN 4-469-26423-7
カテゴリ: 柔道 | 格闘技関連のスタブ項目