荀林父
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荀林父(じゅんりんぽ、生没年不詳)中国春秋時代の晋の政治家。中行の将に指名されたことから中行氏とも称した。謚は桓。荀桓子、中行桓子とも呼ばれる。
文公の御者を務めた。
景公の代には正卿となり、邲の戦いの時には中軍の将として荘王と戦ったが大敗した。
帰国した荀林父は景公に死を乞うたが、景公は士会(一説には士握濁とも)の助言を聴き入れてこれを許さなかった。
敗戦後に晋から背いた鄭を討伐する際は、鄭国内に侵入して閲兵のみをおこなって引き上げた。 鄭は晋軍の厳粛さをみて大いに恐れ、鄭襄公は楚に出かけて晋について相談した。
これによってようやく晋軍は荀林父の元にまとまり、その後は盛んに活動する狄を討伐した。
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