三々
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三々(さんさん)は囲碁用語の一つで、碁盤上の位置を指す言葉。碁盤の隅から数えて(3,3)の地点。布石の段階で隅の着点として単独で打たれる他、星や高目、目ハズシなど位の高い着点に対する隅への侵入手段として打たれることも多い。
┯┯┯┯┯┯┯┯┯┓ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨ 隅のaの地点を三々と呼ぶ。 ┼┼┼┼┼┼┼a┼┨ ╋┼┼┼┼┼╋┼┼┨ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
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[編集] 布石における三々
[編集] 特徴
単独の着点としての三々は、一手で確実に実利を確保して足早に辺などへの展開が図れる利点を有する。反面星や小目に比べ位が低く、上からの圧迫を受けやすいため模様の発展性には欠ける面がある。小目などに比べれば変化が少なく紛れにくいため、実利派のアマチュアには好まれる着点でもある。
[編集] 三々の活用方法
三々は一手で隅を完全に確保しているため、ここからのシマリ・カカリは小目の場合ほどに急がない。シマる場合は状況により下図a〜dなどへ展開する。カカる場合にもこれらの点にカカる時が多く、黒は対辺の一間・ケイマなどに受ける。
最も多い三々へのアプローチはeの肩ツキで、位の低い三々の弱点を直接にとがめる手である。特に三々から両翼の辺に展開された場合、模様を消す意味で肩ツキは急がれる着点となる。
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[編集] 時代による変遷
囲碁の歴史の初期に隅への着点としてまず発生したのは小目であり、室町時代後期から江戸時代、明治時代にかけては三々はほとんど省みられなかった。特に本因坊家では三々は禁手とされており、その他の打ち手が打つ場合にも相手への挑発的な意図を込めて打たれるケースが多かったとされる。
長らく一人前の着点と見なされていなかった三々に光を当てたのは呉清源で、一手で隅を打ち切って辺への展開のスピードを重視する手法としてこれを多用し、布石の考え方に革命を起こした(新布石)。特に1933年、本因坊秀哉との対戦で三々・星・天元という大胆な布石を披露し、大きな話題を呼んでいる。その後1960〜70年代にかけては坂田栄男・石田芳夫らが二隅三々を打つ「両三々」の布石などを駆使して好成績を納め、流行の着点となった。
しかし近年では布石において中央への発展性を重視する傾向が強くなり、この風潮の中で三々は徐々に打たれなくなってきている(武宮正樹などは「三々は盤から落ちそうで打つ気がしない」と冗談を言っている)。現代では三々は趣向あるいは特殊な状況での着点という認識が強くなっているが、簡明さと機動性からいまだこれを好む人も少なくない。
[編集] 星に対しての三々
現代囲碁の布石の花形である星の最大の弱点は三々に入られた場合はまず生きられてしまうということにある。上記は黒の星に対して白が他に石が無い単独の状態から三々入りした場合は黒有利と結論が出ており、星に構えた所にすぐに三々入りするのは不利である。周囲にカカリがある場合やヒラキがある場合など、状況に応じて三々入りが有利か不利かは変動する。そのため「いつ三々入りするか」「いつ三々入りされないように守るか」が星の布石の重要なポイントとなる。