NAVI
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NAVI(ナビ)は日本の出版社、二玄社が発行する自動車情報誌である。
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[編集] 概要
[編集] 社会派自動車雑誌
1984年4月に「カーグラフィック」の姉妹誌として創刊された。初代編集長は大川悠(現NAVI誌編集顧問)。当初は社会的な観点から自動車を取り上げるという、これまでの日本の自動車雑誌にはなかった比較的「硬派」な切り口を売り物にしていたが、次第に自動車そのものとそれを取り巻くライフスタイルにフォーカスするようになり、当初の愚直ともいえる硬派さは鳴りを潜めていった。現在はどちらかといえば「軟派」とも言える内容も多くなってきたが、交通安全や公害問題をはじめとする環境問題や、自動車そのものに対する姿勢は当初の硬派さを貫いている。
なお、輸入車、中でもマニアックなファンが多いとされるフランス車とイタリア車、イギリス車について多くのページを割く傾向が見られるが、近年は日本車についても多くのページを割くようになった。
[編集] 多彩な執筆陣
創刊当初より徳大寺有恒や吉田匠、清水和夫などの自動車評論家だけでなく、神足裕司によるコラム、田中康夫や渡辺和博、矢作俊彦、笠井潔、村上春樹、栗本慎一郎などの作家や学者による自動車評論や対談、小説の連載を売り物にしており、その路線は現在も放送作家のテリー伊藤やファッション評論家のドン小西(小西良幸)、ミュージシャンの近田春夫による対談評論などに引き次がれている。なお、自動車マニアの間で使われている「エンスー」(「エンスージアスト」の略)という言葉は、「NAVI」内の渡辺和博の掲載の中で生まれた。
人気連載も数多く、徳大寺有恒、舘内端、 大川悠の3人の論客による座談会形式批評「NAVI TALK」が人気企画として長年不定期連載されていたが(鈴木編集長時代は、司会は鈴木本人)、連載が終了された後も度々復活して人気を博している。他にも、文芸春秋のファッション誌「CREA」から企画ごと移動してきた田中康夫と浅田彰による対談「憂国呆談」も、「NAVI」での連載が終了した後も「GQ」、「週刊ダイヤモンド」とその舞台を変えながら、現在も人気連載として連載が続いている。
[編集] ファッション路線とタイアップ過多
1989年に編集長が元全共闘の活動家で、「共産主義者」を自認する鈴木正文に変わって以降、唐突に毛沢東の言葉を引用したり、湾岸戦争におけるアメリカ合衆国の行動を批判する論説を載せるなど、その編集内容が次第に左翼的な色調を濃くしていったものの、バブル景気絶頂期の1990年代初頭に相次いだ共産主義国家の崩壊以降は、その反動かの如く、急激にその編集内容が資本主義的かつきわめて権威的な高級ブランドを中心としたファッション重視に傾いて行った。
鈴木編集長時代の末期には、高級ファッションブランドであるジョルジオ・アルマーニやプラダとのタイアップグラビアや、甘粕りり子や叶姉妹のインタビューが紙面を飾るなど、ファッション雑誌と見まがうような紙面体裁になり、鈴木編集長のあからさまな転向と併せて、多くの読者の間で議論を呼んだ。なお、このファッション重視路線は、鈴木編集長の退任後は多少軌道修正されたものの、ファッション記事を載せることによりライフスタイル全般を取り上げられることと、ファッションブランドとのタイアップ記事を含む広告出稿を確実に獲得できることから、規模が縮小されたものの現在も健在である。
また、同時期から富士重工などの自動車メーカーや輸入車のインポーターとの提灯タイアップ記事も急激に増加した。このようなあからさまなタイアップは、あくまで「厳正中立を貫くべき」であるとされる自動車雑誌としてあるまじき姿であり、多くの読者から批判を受けている。
なお、鈴木編集長は1994年にオピニオン誌「OP」を創刊し同誌の編集長に就任したものの、営業的に完全な失敗に終わった。その後、1999年に「NAVI」の編集長を退任し、2000年に創刊された自動車雑誌、「ENGINE」(新潮社)の編集長になっている。その後の小川フミオ編集長を経て、現在の編集長は高平高輝である。
[編集] 鈴木編集長時代のエピソード
[編集] 反戦集会
1990年8月にイラクがクウェートに侵略した後、侵略国であるイラクとアメリカやエジプト、フランスなどの国連加盟国を中心とした多国籍軍との間で行われた湾岸戦争前夜に、鈴木編集長が誌上で自動車乗りによる「自動車こみ反戦集会」を呼びかけ、同年秋、千駄ヶ谷の明治公園でNAVI編集部と読者による「反戦集会」が行われた。編集部は、長期リポート車を持ち込み、また読者の多くも自動車で参加した。
鈴木正文編集長が、昔新左翼活動家だった経験を生かし、アジ看板を書くパフォーマンスを披露した。鈴木の呼びかけに同調した田中康夫ら執筆陣の一部も参加した。なお、参加した読者には明治公園向かいのホープ軒の食券が配られ、ラーメンが無料で食べられた。実際のムードは反戦集会というよりも、編集部と読者の交流会のようであった。
しかし集会の内容は、そもそもの原因を作ったイラクの侵略行為に対する抗議行動は一切行われず、多国籍軍による対イラク攻撃停止だけを呼びかけるという歪なもので、「反戦」というより事実上の「反米」集会であった。
[編集] 編集部員離脱事件
1993年初頭、鈴木正文編集長の自称マルクス主義者らしからぬ(マルクス主義者らしいと言うべきか)専制的な編集部運営に反発した編集部員10人ほどが、二玄社経営陣に対し、鈴木正文編集長の解任を求めて抗議行動を行った。これに対し二玄社経営陣は、当時実売10万部を誇り、親雑誌のカーグラフィックよりも部数が伸びていたNAVIの魅力の中心は、鈴木編集長の手腕であると判断し、編集部員数人をNAVI編集部から閑職に配置転換し、これを受け編集部員たちは退職した。これが、自動車雑誌界で有名になった「NAVI編集部員離脱事件」である。
退職した編集部員には、現在オートカー・ジャパン副編集長である齋藤浩之、自動車評論家である森慶太、小澤浩二(現・小沢コージ)らがいる。退職者のうち齋藤をのぞくメンバーは編集プロダクションを立ち上げたが、現在は解散している。この際、小川文夫(現・小川フミオ)、今尾直樹両副編集長は鈴木編集長側に立ち、また陶山拓、 岡小百合、青木陽子(現・カフェグローブ・ドットコム編集長)らは編集部に残留した。
これに際し、編集部員らを支援したノンフィクション作家で自動車評論家の中部博、写真家の守屋裕司などが、編集部から出入り禁止になった。しかし、その後社内での求心力を失い二玄社を去り、新潮社に移りライバル誌の創刊を行った鈴木の行動に対する批判と併せて、鈴木の解任を求めて抗議行動を行った編集部員やその支持者らの行動と先見性を賞賛するものも多い。
[編集] データ
- 発行元:二玄社
- 創刊日:1984年9月
- 発行日:毎月1日発行(毎月26日発売)
- 定価:780円
[編集] 兄弟誌
- 「MOTO NAVI」 - NAVIのバイク版。
- 「BICYCLE NAVI」 - NAVIの自転車版。「輸入車のステーションワゴンに乗るドライバーが“最近は自転車がちょっとオシャレらしいから乗ってみようか”と考えているような内容の誌面」「他の自転車誌に比べ内容が軽薄」と批判する声もある。事実、自転車誌でありながら自動車の広告がある。
[編集] 主なコーナー
※はすでに終了
- TALK IN THE CAR -日本のエンジニア ライバルを語る-※
- 岡崎宏司がエンジニアと対談。仮想敵となりうる外車と乗り比べる。
- 広告右説左説※
- 梶祐輔(日本デザインセンター代表取締役)が新旧の(主に自動車)広告について持論を展開する。
- 志賀正浩の車中対談※
- 有名人のクルマを紹介しながら、対談する。
- ちょっと、古い、クルマ探偵団※
- 10年10キロストーリー(金子浩久)※
- 児玉英雄ギャラリー
- カーデザイナー、児玉英雄がオペル在籍時から続いている連載。
[編集] 元編集部員
NAVIの元編集部員で、現在自動車評論家、作家などになっている者は以下の通り。
- 下野康史 (自動車評論家)
- 小川フミオ (自動車ライター、作家、編集者)
- 松本葉(エッセイスト、作家)
- 太田一義 (イタリア自動車雑貨店経営)
- 森慶太(自動車評論家)
- 小澤コージ(自動車評論家)
- 青木陽子(カフェグローブ・ドットコム編集長)
- 武田徹(東京大学特任教授)
[編集] 関連項目
- 小林彰太郎
- 式場壮吉
- 白洲次郎
- 下野康史 - 連載や試乗記事を寄せている
- 南原竜樹 - かつて中近東からの並行輸入を行っていたとき記事にされた (1988年10月号)
- オートトレーディング - 長期リポート車、シトロエンBXブレークのインポーター(並行輸入)として紹介。当時は「新興並行輸入業者」であった。
- フランス車
- ICHIKOHロードナビゲーター(かつてTFMで放送されたラジオ番組)
- あまうる隊 - NAVI編集部員で組織する電動カートチーム。「あまりうるさくない走り隊」の略。