村主章枝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国籍: | 日本 | ||
出身地: | 千葉県 | ||
身長: | 157 cm | ||
体重: | 44 kg | ||
コーチ: | 佐藤信夫 | ||
振付: | ローリー・ニコル | ||
所属: | avex | ||
ISU PB(パーソナルベスト) | |||
---|---|---|---|
合計: | 182.08('03 GPファイナル) | ||
SP(ショートプログラム): | 62.12('06 世界選手権) | ||
FS(フリースケーティング): | 120.06('03 GPファイナル) | ||
最近の主な結果: | |||
GPファイナル | 4位 | 2006 | |
GPシリーズ NHK杯 | 2位 | 2006 | |
GPシリーズ スケートカナダ | 2位 | 2006 | |
世界選手権 | 準優勝 | 2006 | |
トリノオリンピック | 4位 | 2006 | |
全日本選手権 | 優勝 | 2005 | |
GPファイナル | 優勝 | 2003 |
村主 章枝(すぐり ふみえ、1980年12月31日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手。血液型AB型。愛称は“すぐりん”など。
「全日本選手権」優勝5回。「世界フィギュアスケート選手権」2002年,2003年・銅メダル、2006年・銀メダル獲得(現在、日本人選手最多)。2003年「グランプリファイナル」優勝(当時、日本人選手初)。
2002年「ソルトレイクシティオリンピック」5位、2006年「トリノオリンピック」4位入賞。
「ピンクパンサー」などのアニメ音楽・フラメンコなど、音楽や振付に関する新しい要素を、自身の演技に積極的に取り入れている。繊細かつ情感豊かな演技を得意としており、その表現力から“氷上の女優(アクトレス)”、“情熱のアーティスト”等と呼称されることが多い。また、大舞台に強い選手として“土壇場の女”という異名も知られている。
目次 |
[編集] プロフィール
父が日本航空の国際線パイロット、母が元客室乗務員だったため、3歳~5歳まで米国・アラスカ州に住んでいた。この時代スケートはじめウィンタースポーツに親しんだ経験が競技生活の原点といってよい。その後、日本へ帰国。英語が堪能。
学校は小学校入学から高校卒業まで清泉女学院に通っていた。
早稲田大学・教育学部社会科社会科学専修(自己推薦入学)卒業(同学年に広末涼子(後に退学)、1学年後輩に荒川静香がいた)。
- 村主家は18代続く旧家(古くから続いている由緒ある家)であり、先祖は酒造職人。
- 妹の村主千香(東洋英和女学院大学卒)も日本スケート連盟強化選手(格付けは上から二番目)までのぼりつめたフィギュアスケート選手であった。千香は2005-06年シーズン限りで競技生活を引退した。
- 日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンの「シンボルアスリート」適用選手の一人でもある。
- 97年の「全日本フィギュアスケート選手権」女子シングルで初優勝、「世界フィギュアスケート選手権」の代表に初めて選ばれたが、本番は18位に留まった。
- 98年の長野オリンピックの日本女子代表枠はわずか「1」の為、前97年12月の全日本選手権優勝者が自動的に五輪代表となっていた。全日本ではショートプログラム(SP)で村主が1位、ライバルの荒川静香が2位だったが、フリースケーティング(FS)では村主が転倒してしまい2位と敗れ、荒川が逆転優勝で長野五輪代表決定。村主は惜しくも補欠となった(荒川の長野五輪での成績は13位だった)。
- その後、世界フィギュアスケート選手権での成績は、2年ぶりの出場となる99年は20位に終わり、00年は代表を逃す。しかし、01年に「四大陸フィギュアスケート選手権」で優勝、再び2年ぶりに世界選手権代表選出となり、初めて10位以内に入る7位入賞となった。
- 02年の「ソルトレイクシティオリンピック」での日本女子代表枠は「2」となったが、前01年12月のGPファイナル進出決定となった恩田美栄が早々五輪代表内定となる。残り一人は、奇しくも全日本選手権で4年前と同様に村主と荒川静香の一騎打ちとなったが、荒川はFSで転倒して2位と敗れ、逆にSPと共にFSでも1位となった村主が、今度は念願の五輪代表入りを果たす。優勝が決まった瞬間、村主は佐藤信夫コーチや妹の千香選手と抱き合い嬉し涙を流した。
- ソルトレイク五輪本番では不利な滑走順の中、5位という好成績を残す。SPは点の出づらい全体の2番滑走。クリーンな演技を見せるが7位と惜しくも最終グループ入りを逃してしまう。FSでも抽選で最終グループの一つ前のグループ(SP7-12位)の中の最初の演技となってしまうが、素晴らしい演技を見せ最終的に5位入賞となった(恩田美栄は17位)。
- その後、世界選手権では02年(長野大会)、03年(アメリカ・ワシントン大会)で連続して3位に入賞し銅メダルを連続獲得。伊藤みどり以来の、日本人選手としては当時で2人目の複数年メダル獲得選手となる。
- 03年3月、早稲田大学卒業。03年4月、新横浜プリンスホテルスケートセンターに所属。04年4月、独身者・DINKS向けマンション販売の大手ダイナシティと契約。しかし、05年6月28日に同社社長だった中山諭が覚醒剤取締法違反で逮捕されて即日解任、村主側は契約解除を申し入れる。その後は新たな契約先を探しながら練習を続けて、05年10月にエイベックスと契約。
- コーチは佐藤信夫・久美子夫妻(信夫がメイン)。振付師はローリー・ニコル。
- 04年5月、ダイナシティの援助を受けて、シカゴに練習の拠点を移し、コーチはオレグ・ワシリエフが就任。04年12月に指導が充分に受けられないという理由で、練習拠点を新横浜プリンスホテルスケートセンターに戻す。
- 05年3月の世界選手権では5位入賞に留まるも、安藤美姫の6位入賞との成績により、翌年「トリノオリンピック」の日本女子代表枠は最大の「3」となった。又、世界選手権後に表現力を高めるため公開で恋人募集をしたものの、反響が大きくなり過ぎて急遽中止したことがある。
- 05年9月、以前から痛めていた右股関節の故障を悪化。05年10月のスケートカナダでは8位に沈み、五輪連続代表入りは絶望的か、とも囁かれた。しかし、12月の全日本選手権で見事優勝を果たし、トリノ五輪の代表枠を掴んだ(他トリノ五輪日本女子代表は荒川静香、安藤美姫)。
- 06年1月~2月、トリノオリンピック選手団結成にあたって副将をつとめる。2月の本選では、その表現力を存分に発揮したが、SPとFSの成績は両方共に4番目で総合4位入賞。前回のソルトレーク五輪から順位を1つ上回ったが、惜しくも五輪のメダル獲得はならなかった(荒川静香が優勝し金メダルを獲得、安藤美姫は15位)。
- しかし、06年3月の世界選手権(カナダ・カルガリー大会)ではSPでPB(パーソナルベスト)を更新し、FSでもベテランとしての意地を見せた。アメリカのキミー・マイズナーの完璧な演技には届かなかったものの、自己最高の2位に入賞し銀メダルを獲得。日本人初となる3個目のメダルを獲得した。
- 夢であったオリンピックに2度出場し、引退するかとメディアは騒いでいたが、村主本人は「今回、トリノで魔法をかけられて、この魔法はバンクーバーまで解けないと思うから、次のバンクーバーオリンピックまで頑張りたい。」と発言し、現役続行を表明した。
[編集] 競技歴
スケートを始めたのは6歳、しかし本格的に取り組みはじめたのは15歳からと、トップ選手の中ではかなり遅い。
シーズン | 大会名 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|
|
全日本ジュニアフィギュアスケート選手権 | 19位 | |
|
Gardena Spring Trophy |
|
|
|
全日本ジュニアフィギュアスケート選手権 |
|
|
|
全日本ジュニアフィギュアスケート選手権 | 10位 | |
|
Blue Swords |
|
|
|
全日本ジュニアフィギュアスケート選手権 |
|
|
|
世界ジュニアフィギュアスケート選手権 |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権 |
|
|
|
Nebelhorn Trophy |
|
|
|
全日本ジュニアフィギュアスケート選手権 |
|
|
|
世界ジュニアフィギュアスケート選手権 |
|
|
|
GPS ロシア杯 |
|
|
|
GPS NHK杯 |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 優勝 | 初優勝 |
|
アジア冬季大会 |
|
|
|
世界フィギュアスケート選手権 | 18位 | |
|
NHK杯 |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権 |
|
しかし、長野オリンピック及び世界選手権の代表落選。 |
|
GPS第2戦 スケートカナダ |
|
|
|
GPS NHK杯 |
|
|
|
Japan Open |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権 |
|
|
|
アジア冬季大会 |
|
|
|
四大陸フィギュアスケート選手権 |
|
|
|
GPファイナル |
|
ファイナル初進出 |
|
世界フィギュアスケート選手権 | 20位 | |
|
GPS ラリック杯 |
|
|
|
GPS NHK杯 |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権 |
|
|
|
四大陸フィギュアスケート選手権 |
|
|
|
GPS第2戦 スケートカナダ |
|
|
|
GPS NHK杯(旭川) |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 優勝 | 3年ぶり2度目の優勝 |
|
四大陸フィギュアスケート選手権(ソルトレイク) | 優勝 | 初制覇 |
|
世界フィギュアスケート選手権(バンクーバー) |
|
10位以内に入り翌年のソルトレイク五輪女子代表は2枠 |
|
Good Will Games |
|
|
|
GPS第2戦 スケートカナダ |
|
|
|
GPS NHK杯(熊本) |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権 | 優勝 | 2連覇。ソルトレイク五輪代表決定。 |
|
ソルトレイクシティ冬季オリンピック |
|
五輪初出場。5位入賞。 |
|
世界フィギュアスケート選手権(長野) |
|
銅メダル獲得 |
|
GPS第2戦 スケートカナダ |
|
|
|
GPS第3戦 ボフロスト杯 |
|
|
|
GPS NHK杯(京都) |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 優勝 | 3連覇 |
|
アジア冬季大会(青森) |
|
|
|
四大陸フィギュアスケート選手権(北京) | 優勝 | |
|
GPファイナル(サンクトペテルブルク) |
|
|
|
世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) |
|
銅メダル獲得(2年連続) |
|
ABCスポーツ・チャレンジ |
|
|
|
キャンベル・クラシック(N.Y.) |
|
|
|
GPS第3戦 中国杯 |
|
|
|
GPS第6戦 NHK杯 | 優勝 | |
|
GPファイナル(コロラド・スプリングス) | 優勝 | GPS初制覇。日本人選手初(当時)。 |
|
全日本フィギュアスケート選手権(長野) |
|
|
|
世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) |
|
|
|
マーシャル・チャレンジ |
|
|
|
GPS スケートカナダ |
|
|
|
GPS エリック・ボンパール杯 |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) |
|
|
|
四大陸フィギュアスケート選手権(韓国) | 優勝 | 3度目の制覇 |
|
世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) |
|
安藤美姫6位との成績で翌年のトリノ五輪女子代表は3枠 |
|
GPS スケートカナダ |
|
右股関節故障の悪化が影響し8位に終わる。 |
|
GPS NHK杯(大阪) |
|
|
|
全日本フィギュアスケート選手権(東京) | 優勝 | スタンディングオベーションを浴びる会心の演技を披露し、 3年ぶり5回目の優勝(174.16)。 選考ポイント最下位から逆転でトリノ五輪出場を決めた。 |
|
トリノ冬季オリンピック |
|
SP:61.75+FS:113.48=175.23 2大会連続五輪出場。4位入賞。 SP・FSともにほぼミスのない演技を見せるが、 惜しくもメダルに届かず4位であった。 この4位について、過去二度の銀メダルに輝いている カナダのエルビス・ストイコは、カナダ放送協会の番組中で 「村主こそが2位であるべきだ、演技に失敗した選手たちが 表彰台に立つのはおかしい」と評した。 |
|
世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) |
|
銀メダル獲得。 世界選手権での日本人最多メダル獲得選手となる。 「今後は、メダルの色にこだわりたい。失敗を恐れずに (演技に)チャレンジしていきたい」と本人がコメントした。 |
|
GPS スケートカナダ |
|
今シーズンからFSで、英国の作曲家カール・ジェンキンスに 作曲・編曲を依頼した女性ヴォーカルを楽器の一つとして 取り入れた曲のメドレーを使用(「Song of the Spirits」)。 ジャッジが歌詞と判断すれば減点されるが、 結果は減点なしで新たな試みを成功させた。 SPでは「ボレロ」を使用。 |
|
GPS NHK杯(長野) |
|
FSでラストのジャンプ(トリプルサルコウ)が抜けて 1回転になってしまい、惜しくもPB更新ならず(179.31)。 |
|
GPファイナル(サンクトペテルブルク) |
|
4度目のファイナル進出 |
|
全日本フィギュアスケート選手権(東京) |
[編集] エピソードなど
- 珍しい苗字のためなかなか名前を覚えてもらえない。「ムラヌシさん」や「ソンシュさん」と言われても、「訂正がいちいち面倒くさい」と普通に返事をしている。
- スポーツ記者からの人気が高いとされる。それは、競技後のインタビュー取材に丁寧に応じることも挙げられるが、おっとりとした口調に加え、天然ボケなところがあり、話題になりやすいためとの指摘もある。そのため、彼女独特の発言を聞こうと取材陣が集まることが多い。特に英語が堪能なためか、国際大会において外国人記者に取り囲まれていることも多い。
- 幼少期、アラスカに住んでいた時、劇団ひとり(両親の職業は村主家と同様、父・日航国際線パイロット、母・元日航客室乗務員)が近所の住人で遊び仲間の一人だった。しかし、村主および劇団ひとり自身はほとんど覚えておらず、当時の事情を覚えていた第三者の説明でやっと事実を把握できたのこと。尚、この事がきっかけとなり、2006年アイスショーのアトラクションで共演した。
- 長年のライバルで共に日本フィギュアスケート界をリードしてきた荒川静香とは確執が取り沙汰されていた。長野・野辺山新人発掘合宿期待の1期生で昔から天才少女として注目されてきた荒川に対し、15歳で本格的に始めいきなり頭角を現してきた村主。オリンピック出場をかけては2大会をめぐって一騎打ちとなり、長野五輪では荒川が村主を抑えて出場を決め、ソルトレイク五輪では村主が荒川を抑えて出場を決めた。その度々で、「遠征先で相部屋になっても口を聞かない。」などの関係者の証言や、'03-'04シーズンの世界選手権で世界女王となった荒川が引退を口にしていると聞いた村主が「理解できない。」と関係者に語ったこともあった。一方で荒川も村主について「取っつきにくい部分があり、どう話していいのか難しい。」と語っていた。しかし、共に出場を決めたトリノ五輪の日本代表合宿で、体が硬い村主が苦手のスピンについて荒川に教えを請う場面があり、それぞれの人物評について、荒川は村主に対して『努力の継続が尊敬できる。』とコメント。村主も荒川に対して『才能がある人』とコメントし、お互いを認め合った。この時に和解が報じられた。その後、五輪金メダリストとなりプロへと転向した荒川が解説者として出席した'06-'07シーズンのGPファイナル記者会見で、村主に対するコメントとして『一番長くお世話になっている人。毎年新しいものに取り組み、こつこつと努力しているのがわかる。そこが私が一番負けているところ。』とコメントした。村主も『荒川さんが目指していた楽しんでスケートをするというのを、私もやりたい。』とコメントした。
- 演技中によく口が開いているが、これは癖であるため、直そうと思っても直せないという(「行列のできる法律相談所」に出演した際の本人の発言より)。ただ、この口を開けた表情が演技力のポイントを下げているという指摘もある。但し、他の選手よりも演技点でコンスタントに高得点を叩き出しており、癖という欠点を考慮しても、表現力に関して言えば世界No.1といっても過言ではないだろう。
- 村主といえば「演技最後での超高速スピン」と言われるほどではあるが、新採点システムではあまり得点に反映されず、トリノでコーエンの後塵を拝した一因とも云われる。このことに関して村主は「ビールマンスピンなどより高度な技を導入しなければいけないかもしれない」とコメントしたとされる。しかし、それはスピードをある程度犠牲にする側面もあるので痛し痒しであり、次季の村主の選択が注目されるところである。
- 村主の課題は他にも体の硬さ(基礎点がより高いスピン・スパイラルがこなせない)があることと、3回転-3回転などの多回転数の連続ジャンプの大技を持ち合わせていないこと(ただしジャンプのもうひとつの要素“高さ”は十分に出している)。日本フィギュア界のライバルの多くはジャンプに定評があり、村主にとってジャンプは永年のコンプレックスだった。しかし06年世界ジュニア選手権の金妍兒、世界選手権のキミー・マイズナーの優勝の決め手が3回転-3回転の成功にあったことから、村主は『これからは(自分も)3回転-3回転の習得を目指す』と方針を転換する発言をしている。又、『ジャンプの種類を増やしたい。若い選手が台頭する中で生き残るにはもっと頑張らないと。』とも発言している。
- 2006年5月上旬から、村主が出演するはるやま商事(JOCのオフィシャルパートナーシップ企業)のCMがオンエアされた。
- 2006年4月~5月には毎日のようにTV出演が相次ぎ、話題となった。5月にはヘアショーにモデルとして出演。それまでのスタイルを見切り、最新のウェービーヘアにて、イメージチェンジをねらう。
- ソルトレイクオリンピックでサーシャ・コーエン選手がタイツを忘れた時に、村主は自らのタイツを貸したことがその当時、アメリカの新聞で報道された。2006年に出演したNHK「英語でしゃべらナイト」で村主はその時の逸話に言及し、「早く返してください(笑)」と冗談めかして語っていた。村主とコーエンは仲が良いそうである。
- 歴代の日本を代表するフィギュア選手、渡部絵美・伊藤みどりが8連覇を記録した全日本選手権で02年には3連覇、05年には5回目の優勝を達成したが、2005年迄の10年間、表彰台を外したことはなく、勝率5割である。
[編集] 出演
[編集] TV番組
- ウタワラ(日本テレビ系)
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ系)
- 踊る!さんま御殿(日本テレビ系)
- 世界一受けたい授業(日本テレビ系)
- サルヂエ(日本テレビ系)
- 世界まる見えテレビ特捜部(日本テレビ系)
- ジャンクSPORTS(フジテレビ系)
- 平成教育委員会(フジテレビ系)
- 英語でしゃべらナイト(NHK総合)
- など
[編集] CM
[編集] その他の賞
- ネイルクイーン2006 文化・スポーツ部門受賞
- 第55回 横浜文化賞(2006)史上最年少受賞
- 第55回 神奈川スポーツ賞・オリンピック賞(2006)受賞
- 日本ゆかた大賞(2002)受賞
- 第19回 オリンピック冬季競技大会文部科学大臣賞(2002)表彰
- など
[編集] 外部リンク
- Fumie Suguri Official website
- ISU Crystal Report - Fumie SUGURI
カテゴリ: 日本のフィギュアスケート選手 | 日本のオリンピック選手 | 1980年生 | 千葉県出身の人物 | エイベックス