張華
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張華(ちょうか、232年-300年)は、西晋の重臣。字は茂先。
方城の人。晋の司馬炎に仕えた司空である。
家が貧しく、幼い頃に孤児となり、羊飼をしていた。しかし、その恵まれた才能を阮籍に見出され、魏において歴史編纂を任務とする著作郎などを歴任した。
晋(西晋)となってからは、司馬炎に対して呉の討伐を強く進言し、晋が呉を滅ぼすと、呉の名将であった陸抗の遺児である陸機や陸雲を、敵将ながら見事な才能を持つ人物として司馬炎に推薦した。また、陳寿(後に三国志を著述)が不遇をかこっていたところを孝廉に推挙したとも言われている。300年、八王の乱に巻き込まれて捕らえられ、三族皆殺しとされてしまった。司馬倫のクーデターに加担することを拒否したためである。
文学の才にも優れ、『博物誌』という著書を残している。「鷦鷯賦」や女性の心境をうたう詩(五言詩)が知られている。
カテゴリ: 魏晋南北朝時代の人物 | 中国の詩人 | 232年生 | 300年没