ムハマディヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
教義と信仰 |
指導者 |
ムハンマド |
法と規範 |
歴史的展開と潮流 |
さらに詳しく知る |
ムハマディヤ(Muhammadiyah)とは、インドネシアで興ったイスラーム本来に戻るべきという近代イスラーム改革運動として1912年にジョクジャカルタで発足した団体である。その後、ジャワの地方都市やミナンカバウといった西スマトラ地方に広がり、全国区の団体へと成長した。
目次 |
[編集] 沿革
19世紀後半、エジプトにおいて、ムハンマド・アブドゥフ、ラシード・リダーといった指導者が登場した。彼らの思想というのは、イスラームの復興に焦点が当てられていたが、あくまでも改革主義であり、近代的な西欧の知識や学問を吸収しつつ、クルアーン、ハディースに基づくイスラーム理解を進めるというものであった。
インドネシアにおいても、彼らの思想の影響が大きく、1912年の発足以来、教育を1つの柱としている。加えて、病院、産院、診療所といった医療活動をもう1つの柱と据えることによって、発展を遂げてきた。また、ムハマディヤの主張はインドネシアのイスラムはクルアーンから逸脱しており、ムスリムの不幸はそこに起因する、従って原典に帰ってアッラーの教えを正しく学び、広め、実践することによって個人の幸福と安寧および社会の福祉、民族と国家の繁栄がもたらされる、というものである[1]。
[編集] 近代主義的性格
インドネシア最大のイスラーム団体であるナフダトゥル・ウラマー(NU)と対比されることが多いが、NUが伝統的でかつ基盤を農村に置くのに対して、ムハマディヤの基盤はどちらかといえば、都市である。また、運営に関しては、一貫した近代的合理性を貫き、メンバーシップは完全登録制、現在では、コンピュータにより会員はIDが登録されるので、正確な会員数は、瞬時に分かることが可能である。現在の会員数は、約60万人、シンパは、3000万人に達する。
政治的には、一貫して中立の立場を維持してきたが、現在、もっとも、結びつきが強い政党は国民信託党である(NUは、民族覚醒党)。
また、学校教育を思想の柱としていることから、インドネシア最大の私立学校ネットワークを保有している。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで含めた場合、その学校数は、1万以上であり、紫がかった濃紺の地に金色の文字で、ムハマディヤの学校と書かれた看板が見受けられる。
[編集] 議長
- KH Ahmad Dahlan 1912-1922
- KH Ibrahim 1923-1934
- KH Hisyam 1935 - 1936
- KH Mas Mansur 1937 - 1941
- Ki Bagus Hadikusuma 1942 - 1953
- Buya AR Sutan Mansur 1956
- H.M. Yunus Anis 1959
- KH. Ahmad Badawi 1962 - 1965
- KH. Faqih Usman 1968
- KH. AR Fachruddin 1971 - 1985
- KHA. Azhar Basyir, M.A. 1990 - 1995
- Prof. アミン・ライス(en:Amien Rais) 1995 - 1998
- Prof. Dr. H.A. Syafii Ma'arif 1998 - 2005
- Prof. Dr. HM Din Syamsuddin 2005 - 2010
スハルト退陣後、混迷を極めたインドネシア政治において、NU議長から第4代大統領に就任したアブドゥルラフマン・ワヒドと並んで、活躍したのが、ムハマディヤ出身で国民信託等の党首を務めたアミン・ライスである。ライスは、ハビビ下ろし、ワヒド下ろしのそれぞれの重要な局面において、キング・メーカー的な役割を果たした才人でもある。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
中村光男「東南アジアにおけるイスラームと市民社会」(片倉もとこ・梅村坦・清水芳見編『イスラーム世界』、岩波書店、2004)ISBN 4-00-022138-8
この「ムハマディヤ」は、イスラームに関連した書きかけ項目です。 記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています。 |