ムハンマド・アブドゥフ
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ムハンマド・アブドゥフ(1849年 - 1905年)は、エジプト出身のウラマー(イスラーム法学者)でイスラーム改革思想家。アブドゥとも表記される。
イスラーム改革思想家アフガーニーの弟子であるアブドゥフは、ムハンマド・アリー朝の極端な西洋化政策を批判しつつも、西洋の技術を取り入れることとイスラームは矛盾しないと説いた。一方でイスラームの伝統に必要以上に固執する従来のウラマーの姿勢も批判し、イスラームが成立した当時の精神に立ち返って柔軟に法解釈を行うべきであるという主張を行った。
アフマド・アラービーによる1882年の革命(アラービー運動)に関わったため、一時期亡命生活を送った。1884年にはアフガーニーと共にアラビア語による評論誌『固き絆』を亡命先のパリで刊行している。アブドゥフの思想はエジプトのみならずイスラーム世界全体に大きな影響を与えたほか、その思想はアブドゥフの弟子であるシリア出身のラシード・リダーらに引き継がれることになった。
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