鎌倉女学院中学校・高等学校
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鎌倉女学院中学校・高等学校(かまくらじょがくいん―)は、鎌倉市由比ヶ浜にある私立の完全中高一貫校。湘南地区で最も古く、伝統ある女子校である。規模は比較的小さく、生徒数は一学年につき160人前後。略称は「鎌女」(かまじょ)。生徒は「鎌女生」(かまじょせい)の愛称で地元の人々に親しまれている。
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[編集] 概略
[編集] 創立
1904年、田邊新之助により鎌倉女学校として創立。鎌倉高等女学校を経て、戦後の学制改革に伴い現校名になる。現在は中学・高校とも鶴岡八幡宮一の鳥居横にある校舎を使用しているが、以前は若宮大路をさらに南に進んだ所(現在の鎌倉簡易裁判所付近)に中学校専用の校舎があった。しかし、姉妹校である逗子開成が起こしたボート遭難事故(詳細は「真白き富士の嶺」を参照)の賠償金を支払うために、その土地を手放さなくてはならなくなり、現校舎のみになった。
[編集] 交通・通学事情
創立後しばらくは、鎌倉唯一の女学校として、地元の文学界・政財界の家の息女が多く在籍していた。しかしJR根岸線の洋光台~大船間が開通するなど、鎌倉から横浜市中心部へのアクセスが容易になると、横浜御三家(フェリス女学院・横浜共立学園・横浜雙葉)など近隣の学校との競争を余儀なくされる。その結果、人気が低迷した時期もあるが、英語教育に力を入れるなどの改革が功を奏し、現在は東大合格者も出る進学校として再び人気を集めている。
現在、生徒の約4分の3は横浜市から通っており、中でも金沢区・栄区・港南区・戸塚区など市南部の生徒がほとんどを占めている。他にも三浦市・小田原市・相模原市など神奈川県の至るところに生徒がおり、東京から通う生徒もいる。そのため通学時間の長い生徒も多く、2時間以上かかる者も珍しくない。
[編集] 授業・教育
鎌倉という土地柄のせいか、昔から国語教育が盛んで、今も高い評価を得ている。近年は英語教育にも多くの時間を割き、希望者には短期留学や海外研修も実施している。一方で理系科目には弱く、理系の大学進学者は毎年の卒業生の4分の1強ほどにとどまっている。また、「特修科」と呼ばれる放課後の特別授業もあり、茶道(裏千家)・華道(草月流)・書道・バイオリン・フルートを習うことができる。ほとんどの生徒が何かしらの特修科を履修しており、中でも茶道の人気が高い。音楽や美術も盛んで、音大・美大への進学希望者向けの授業もある。
教育面における上述の横浜の女子校との大きな違いは、それらのほとんどが開港期に宣教師によって創立されたミッションスクールであるのに対し、同校は特定の宗教に基づく教育を行わない点である。よって、それを志望動機にする受験生もいる。
しかし宗教に基づかないせいもあってか、休学になる日は少ない。また、夏休みや冬休みの前は直前まで6・7時限で授業が執り行われている。
[編集] 財政状況
過去に文豪や芸術家、資産家の娘が多く在籍していたため、卒業生による多額の寄付がバックにあり、学校の財政は豊かである。したがって県内の他の私立女子校と比べて、授業料は格段に安い。しかし近年の卒業生のほとんどは一般庶民の娘であるため、いずれ寄付金に多くは望めなくなるという見方が強い。
[編集] 所在地
[編集] 理事長・校長
- 理事長 ‐ 原正義
- 校長 ‐ 齋藤俊英
[編集] 校訓
- 真摯沈着
[編集] 制服
- 冬服 ‐ 紺地のセーラー服。襟と袖口に三本の白線がある。
- 夏服(長袖) ‐ 白を基調としたセーラー服。紺地の襟と袖に三本の白線がある。
- 夏服(半袖) ‐ 白を基調としたセーラー服。紺地の襟と袖のうち、襟のみに三本の白線がある。
- リボン ‐ 冬服・夏服を問わず、高校生は黒、中学生は紺のリボン(絹製)を結ぶ。
- 校章 ‐ 白菊を象った銀製の校章を胸に付ける。
- 1935年に制定して以来、一度もデザインを変更することなく、古典的でシンプルなセーラー服である(それまでは和服の制服であった)。
- 1990年代初頭までは、ベレー帽と指定カバンの設定もあった。
- 制服が似ている実践女子学園が「渋谷のカラス」と呼ばれるのに対し、「湘南のカラス」と呼ぶ人もいる。
- 中学受験生とその保護者に人気があり、受験情報誌の人気制服ランキングの上位にランクインすることも多い。
[編集] 施設
[編集] クラブ活動
[編集] 文化系
- アニメまんが部 ‐ 漫画家の山田南平氏も在籍していた
- マンドリンギター部 ‐ 関東屈指の実力と言われているが、部員は減少している。
- 映画研究部
- 演劇部
- 合唱部
- 管楽部 ‐ 旧 音楽部
- 弦楽部 ‐ 旧 音楽部
- 写真部
- パソコン部
- 美術部
- 理科部
- 料理部
- 歴史研究部 ‐ 旧 考古学部
- ESS ‐ English Speaking Society:英会話クラブ
[編集] 体育系
[編集] 出身者
[編集] 姉妹校・周辺校
- 逗子開成 ‐ 創立者が同じ。両校の100周年式典を契機に姉妹校としての交流を再開。1910年のボート遭難事故の際には、賠償金を両学校で負担し、鎌倉女学校の生徒が鎮魂歌『真白き富士の嶺』を歌った。
- 鎌倉学園 ‐ 同校出身の桑田佳祐が、高校時代の憧れの学校として鎌女を挙げている。地理的にも最も近い私立校の一つ。しかし、桑田の妻はフェリス女学院中学校・高等学校出身である。
- 1989年(平成元年)に鎌倉市岩瀬の京浜女子大学が鎌倉女子大学に名称変更(同時に初中高等部も)したが、鎌倉女学院とは特別な関係は無い。ところがこちらを「鎌女」だと思い込む者や、学生生徒までもが「鎌女」と自称するようになり混同や混乱を生じている。