趙奢
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趙奢(ちょうしゃ、生没年不詳)は中国戦国時代の趙の政治家・将軍。恵文王に仕えて閼与の戦いで秦の軍勢を撃退し、馬服君に封ぜられた。
元は徴税官であったが、税金を払わなかった平原君の家の者を厳しく咎め、平原君が仕返しにやってくると理路整然と反論したことで逆に平原君の目に留まり、恵文王に推挙された。子の趙括の軍事的才能の限界を早くから見抜き、妻に対し決して将として用いないように遺言したが、孝成王は秦の将軍白起の策にはまり、名将廉頗を更迭して趙括を用いた。趙括は長平の戦いで白起に敗れ、趙軍は兵士40万人を坑殺されて一気にその勢力を失った。
後漢の成祖光武帝に仕えた将軍馬援の馬氏は趙奢の末裔であり、その称号である馬服君の馬をとって氏としたと言われる。
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