稲葉篤紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手。背番号は41。血液型はO型
目次 |
[編集] 来歴・人物
愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)出身。左投げ左打ち。ポジションは外野手で、主に右翼手や中堅手、たまには一塁手として出場。強肩の外野守備には定評がある。攻守交代時に全力疾走することが有名で、セ・リーグから表彰を受けたこともある。
日本ハムでは森本稀哲、SHINJOとともに強肩・堅守揃いの外野陣を組み、打線でも小笠原道大(現:巨人)、フェルナンド・セギノールと共にOSI砲として、強力な中軸を形成(中軸本塁打数はリーグ最多、打点は2位)するなど他球団の脅威となっている。打順は5番(稀に4番)に座ることが多い。ヤクルト時代は中軸を打つことが多かったが、1・2番を打ったこともある(ただし4番はわずか)。内角のボールには滅法強く、また落ちるボールをバットの先で拾うようにして放つホームランは天下一品だが、なぜかど真ん中のストレートをカットしてファールにすることが度々ある。中距離ヒッタータイプではあるが、長打力も持つ強打者。しかし、ヤクルト時代には得点圏打率が低いのが悩みの種であった。
2005年はヤクルトからFA宣言の上でメジャーリーグ移籍を行おうとしたが、応じる球団がなく断念。1月いっぱいまでしか待てないとしたヤクルトに対し、早くから声をかけ2月以降も待つ姿勢を見せた日本ハムへ最終的にFA移籍する。だが、メジャー移籍を待った関係でキャンプ参加が終盤だったこともあり2005年の序盤は大不振。8月以降は活躍を見せるも、不本意なシーズンとなった。2006年は背番号を慣れ親しんだ41に戻すと、前年までの不振がうそのようにチャンスで活躍、クリーンアップを任せるにふさわしいと評価される選手になった。
- 2006年、日本ハムゴールデングラブ賞外野部門独占のメンバーの1人である。(左翼・森本、中堅・新庄、右翼・稲葉)
[編集] 略歴
- 中京高校(現・中京大附属中京高校)から法政大学を経て、1994年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。背番号は41。
- 1995年6月21日の広島戦で、紀藤真琴(中京高校の先輩にあたる)からプロ初打席初本塁打。
- 1996年、初の打率3割を達成。
- 1997年、日本シリーズで大活躍。優秀選手賞を獲得して、日本一に貢献した。
- 2001年、三番打者として活躍し、打率.311、25本塁打、90打点と自己最高の成績でチームのリーグ優勝・日本一に貢献。ベストナイン獲得。
- 2003年7月1日の横浜戦(松本市野球場)で史上56人目のサイクルヒットを達成した。5回まででの達成は史上最速で、降雨コールドゲームでの達成も史上初。また同日には村松有人(当時ダイエー、現在はオリックスに所属)もサイクルヒットを達成(史上57人目)し、同じ日に複数選手がサイクルヒットを記録したのも史上初。
- 2004年オフにFA宣言し、アメリカメジャーリーグ移籍を希望していたがオファーがなく断念。スワローズからファイターズに移籍。背番号は58。FAによってセ・リーグ球団からパ・リーグ球団に移籍したのは、仲田幸司(阪神→ロッテ)以来9年ぶり。
- 2006年、背番号を58からヤクルト時代と同じ41に変更した。
- 2006年7月、試合数18、本塁打3、打点14、打率.414(70打数29安打)という好成績でパ・リーグ「日本生命月間MVP賞」(野手部門)を初受賞。
- 2006年9月、対楽天戦でプロ入り12年目で初めて、ランニングホームランを達成した。
- 同年10月12日プレーオフ第2ステージ対ソフトバンク戦において、リーグ優勝を決めるサヨナラ内野安打を放つ。
- 日本シリーズでは第3戦と第5戦でホームランを放つなど7打点をあげ、シリーズ最優秀選手に選ばれる。同年のアジアシリーズでは、不在のセギノールに代わって4番を打った。
[編集] 背番号
[編集] タイトル
- 日本シリーズ最優秀殊勲選手賞(MVP)
- 1回(2006年)
- 最多補殺
- 1回(2005年)
- ベストナイン(外野手部門)
- 2回(2001年、2006年)
- ゴールデングラブ賞(外野手部門)
- 1回(2006年)
[編集] 記録
- 月間MVP賞
- 1回(2006年7月、パ・リーグ野手部門)
- 1回(2003年)
- ランニングホームラン
- 1回(2006年)
- スピードアップ賞
- 1回(2000年)
- スワロー・エクスプレス賞
- 1回(2001年)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時点)
- 1278試合 打率.285(4313打数1229安打) 163本塁打 566打点 54盗塁
[編集] 愛称
- アツ
- 名前の篤紀(あつのり)から。
- 北の優勝請負人
- 爽やか稲葉さん
[編集] エピソード
- 野村克也(現・東北楽天監督)がヤクルトの監督だった頃、息子の野村克則(当時、明治大学在学中)目当てで東京六大学野球を観戦した際に、法政大の稲葉のプレーが目に止まり「是非稲葉が欲しい」と獲得に至ったというエピソードがある。
- 応援歌にはファンファーレがつき物で、ヤクルト時代は「必殺仕事人」のテーマ(応援歌は同郷およびヤクルト左の強打者の大先輩・杉浦享のものを継承)。日本ハム2年目からチャンス時のみファンファーレが出来た。
- 2006年8月5日の西武戦(インボイスSEIBUドーム)、8回裏に西武・佐藤友亮の打ったファウルフライを追う際、フェンスの金網に突っ込んでしまい負傷、担架で運ばれ退場したが、日本ハムのファンだけでなく西武のファンからも稲葉を励ます大声援が起こった。
- 2006年8月13日のロッテ戦(札幌ドーム)、ライトフェンス上部に当たりそうな打球にもかかわらず、捕球のポーズを取って走者を幻惑し、進塁および得点を阻止する、という秋山幸二と同様のトリックプレーを行い、「演技による頭脳的ファインプレー」と評判になった。
- 2006年シーズンは自らを「さわやか」から「エロさわやか」路線でアピールしようとし、HBCラジオの野球中継で岩本勉も布教しようとしたがリスナーからクレームが相次いでしまった。しかし稲葉本人は1位通過を決めたあとのテレビの取材で「30歳超えてるので、ちょっとエロさを出したほうがいいかな…という趣旨で」と自ら「エロさわやか」を売り出した。そういう本人、前述のトリックプレーも含めていやらしいプレーが持ち味でもある。本人はNumberのインタビューで「30過ぎてさわやかって言われるのも恥ずかしいし、だったら今流行の『エロかっこいい』じゃないけど、プレーもルックスもエロさわやかでいけたらと」と語っている。
- 稲葉が出場した日本シリーズ4回(ヤクルト3回・日本ハム1回)はすべて日本一になっている。しかも4回とも4勝1敗で制し、ホーム球場で日本一を決めている。
- 2006年のプレーオフでは優勝を決めるサヨナラ内野安打を放った。本人によると、「ガッツ(小笠原)が2塁でセーフになった時点で『よーし、満塁だ』と思って、『新庄さ~ん』と(ホームの方を)見たら、既に(森本)稀哲がホームインしており、一瞬『え?』と感じたが、(みんながこっちへ向かってくるのを見て)『勝った~』と思った」という。ちなみにその時の稲葉の顔は、森本曰く「喜びを通り越して怖い顔」だったらしい。
- 元チームメイトの小笠原道大とは仲が良い事で知られる。優勝した際の授賞式では稲葉と喋り続け、優勝パレードでは開始直前まで2人で話し合っていた。更に、小笠原はFA権を行使し移籍発言をしたその夜に、稲葉に「チームの戦力が深刻な中で、勝手な(移籍)事をしてすみません。僕は移籍しますが、後のファイターズの事は頼みました」と言ったらしい。
- 現在は登場曲であるQueenの「I Was Born to love You」に合わせるメガホン回しや「稲葉ジャンプ」「稲葉シェイク」「イナバイブ」などと呼ばれる飛び跳ねる応援が定着し、札幌ドームのホームゲームでは飛び跳ねる震動で、センターから稲葉の打席を写すカメラの映像が大きく揺れる。2006年の日本シリーズ第3戦の実況を担当した中山貴雄(テレビ朝日アナウンサー)が「札幌ドームが揺れていますが、地震ではありません。満員のファンの応援で揺れています!」と実況したほど。またスタンド下のブルペンでも、モニターを見なくとも稲葉の打席であることが分かるほどスタンドから震動が伝わってきたという。この揺れは震度3~4相当で、一部のファンからは札幌ドームの耐震構造的に耐えられるのかとクレームも寄せられたほど(因みに札幌ドームは震度7まで対応しており、大丈夫とのお墨付きが出ている)。なお、この応援スタイルは因幡の白兎の神話から「いなば」を引っ掛け、ウサギのように飛び跳ねる、という発想から発案されたとか。ファンの間では先に挙げた呼称の他、様々な呼び方がなされているが、稲葉本人の要望により応援スタイルの名称を一般公募することになった。
[編集] 関連項目
北海道日本ハムファイターズ - 2007 | |
---|---|
1 森本稀哲 | 3 田中賢介 | 4 グリーン | 5 セギノール | 6 田中幸雄 | 8 金子誠 | 9 小田智之 | 10 木元邦之 | 11 ダルビッシュ有 | 12 鎌倉健 | 13 須永英輝 | 16 金村曉 | 17 宮本賢 | 19 清水章夫 | 20 糸数敬作 | 21 武田久 | 22 建山義紀 | 23 尾崎匡哉 | 24 陽仲壽 | 25 立石尚行 | 26 糸井嘉男 | 27 江尻慎太郎 | 28 正田樹 | 29 八木智哉 | 30 高橋信二 | 31 小谷野栄一 | 32 選手兼コーチ 中嶋聡 | 33 橋本義隆 | 34 吉川光夫 | 35 木下達生 | 36 MICHEAL | 37 小山桂司 | 38 武田勝 | 39 川島慶三 | 40 金子洋平 | 41 稲葉篤紀 | 42 スウィーニー | 43 星野八千穂 | 44 山本一徳 | 45 今浪隆博 | 46 植村祐介 | 47 菊地和正 | 48 中村渉 | 49 内山雄介 | 50 市川卓 | 52 紺田敏正 | 53 工藤隆人 | 54 稲田直人 | 55 佐藤吉宏 | 56 駒居鉄平 | 57 飯山裕志 | 58 高口隆行 | 59 金森敬之 | 60 伊藤剛 | 61 押本健彦 | 62 今成亮太 | 63 渡部龍一 | 64 鶴岡慎也 | 65 鵜久森淳志 | 66 ダース・ローマシュ匡| | |
88 監督 ヒルマン | 90 白井一幸 | 77 淡口憲治 | 81 佐藤義則 | 74 厚沢和幸 | 82 平野謙 | 83 オーウェン | 78 二軍監督 福良淳一 | 80 野村収 | 73 島崎毅 | 79 島田一輝 | 76 大村巌 | 71 山中潔 | 72 水上善雄 | 75 川名慎一 |
|
球団 | |