秋田氏
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秋田氏(あきたし)は、陸奥国(磐城国)三春藩の藩主家。安倍貞任の後裔を称し平安時代後期から室町時代にかけて出羽北部から津軽地方にかけてを領した安東氏の後身である。
[編集] 経歴
安東氏は戦国時代には出羽湊の上国家と檜山の下国家に分かれて抗争し、分裂状態にあったが、下国家の安東愛季のとき両家を統合した。愛季は湊の上国家が代々秋田城介を称したのにちなんで名字を秋田に改め、嫡子実季は秋田実季を称する。
1587年に愛季が亡くなると、その後継者をめぐって実季と安東通季(実季の従兄弟)との間で争いが起きるが、実季が勝利した。しかしこの内紛は豊臣秀吉が全国に命じた惣無事令の違反とみなされて咎められ、秋田氏は存続を許されたものの、所領を大幅に削減されて出羽窪田5万石とされた(ただし、没収分は実季を代官とする太閤蔵入地とされて実質上は実季が支配した)。
1600年の関ヶ原の戦いでは仁賀保、六郷などの諸氏と共に東軍に付いた。ところが、戦後最上義光が秋田氏を讒訴し、1602年徳川家康の命によって常陸から減転封される佐竹氏と交換で常陸の宍戸5万石に移される事となってしまった(名目加増とされたが、太閤蔵入地となった旧領の代替は行われなかったために実質減封となった)。1645年には宍戸からさらに陸奥三春に移され5万5000石となるが、まもなく5000石を分家に分与して5万石の三春藩主として幕末まで続いた。
[編集] 系図
安東氏より ┃ 愛季1 ┏━━━╋━━━┓ 英季 実季2 業季 ┃ ┃ 季通 俊季3 ┃ ┏┻━━━┓ 荒木高村─┰─女 季久 盛季4 ┃ ┃ ┃ 頼季 季豊 輝季5 │ │ ┌──-┨ └──→ 頼季│ 広季(就季) ↓│ ┃ 頼季6──女 ┏━━━┫ 定季8 治季(延季)7 ┃ 千季(倩季)9 ┣━━━┓ 孝季11 謐季(長季)10 ┃ 肥季(喜季)12 ┃ 大原重朝 映季13 ┃ ┌──┨ 重季──→ 重季┰芳子 ┃ 藤大路親美 一季 ┃ │ 美篤───→美篤