日本は侵略国ではありません!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『日本は侵略国ではありません!』(にっぽんはしんりゃくこくではありません!)とは、日本の任意団体である英霊にこたえる会中央本部が1994年3月27日付けの産経新聞に掲載した全面広告、および翌月に一般的に作成した小冊子である。監修者は大東亜戦争肯定論者として著名な中村粲(当時は獨協大学教授)である。
この冊子は、当時の首相細川護熙が訪中した際に表明した、「侵略戦争」への謝罪に反発して出されたもので、首相の靖国神社公式参拝を求める意見広告である。支那事変および大東亜戦争は侵略戦争ではなく自衛のための戦争であったと主張したものである。
[編集] 侵略戦争ではないという主張の概略
(以下の記述は彼らの主張であり、真実であるか否かは判断しかねることを留意されたい)
- マッカーサー元帥が1951年5月にアメリカ上院で、「大東亜戦争は資源供給が断たれた日本が失業者を出さないために行った戦争であり、防衛のためであった」という趣旨の証言をしたという。
- 対独開戦とイギリスへの軍事的援助を公然にするために、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本が平和的解決を求めていたにもかかわらず日本側から先制攻撃をせざるを得ないように、計略を巡らせていた。そのためハル国務長官は、日本の出方を暗号解読によって知っていたうえで、アメリカの戦争準備が出来るまで時間稼ぎをしていた。このことは、1941年8月の米英首脳会談において、イギリス首相に対して日本への圧力(開戦決意)を示唆していること、また当時のアメリカ陸軍長官の1941年11月25日の日記の記載にも、「いかにアメリカ側の被害を少なくして、日本から先制攻撃をさせるように追い込むのかが問題だ」と大統領が発言したとされていることからも明らかだ。
- いわゆる「ハル・ノート」によって最終通告を受けた日本は、自存自衛のために対米開戦したが、ハル長官は1945年11月に開かれたアメリカ上下両院合同調査委員会に提出した供述書に、当時を振り返り「日米交渉には、最初から平和的解決をするチャンスは100分の1もなかった」と記していたという。
- 盧溝橋事件は、中国側の意図的な発砲を発端とする事件である。中国国民党との抗争で衰退した中国共産党は、抗日戦による党勢拡大を狙っており、そのためにも国共合作をより一層強固にする必要があった。また、同事件は1935年に発表された「八・一宣言」にある抗日の主張を実現するための運動の一環であるとしている。
- 毛沢東主席は1964年に日本社会党訪中団に対し「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた、おかげで中国人民は権力を奪取することができた」と発言している。これは、中国共産党の策謀があったことを暗に認めるものであった。
- 日韓併合も、国際法上問題はなかったものである。
- 日本の戦争責任とは、以上の謀略を見抜けなかった為政者の道義的責任である。英霊は純粋な気持ちで散華したのであり、首相は罪悪史観を払拭して靖国神社に公式参拝すべきである。
[編集] 当小冊子に対する批判者から見た問題点
- マッカーサー元帥の発言の根拠は、第二次世界大戦前の国際法で例外的に認められていた「生存のための自衛戦争」のことであるが、ナチス・ドイツが拡大解釈によって侵略戦争の口実にしたため、現在では認められていないものである。また、この発言は「日本側の開戦動機」をいったものであり、日本の戦争を自衛戦争であったと正当化したものではない。
- 「太平洋戦争開戦はアメリカの陰謀」説を実証しているようにもみえるが、開戦するしないは日本自身の責任である。一方的に相手の陰謀であると決め付けており、開戦に至った日本側の原因については言及していない。また当時の日本は欧州各地を蹂躙していた独伊と軍事同盟を締結しており、既に「敵の仲間もまた敵」の状態であり半ば交戦相手国とされ強硬なる態度をとられてもいたしなかなかったともいえる。
- ハル・ノートはたしかに強硬な条件であったが、経済制裁が正当な開戦理由になるのでは現在でも対抗要件にされかねない危険な考えである。中国(中華民国)の同盟国のイギリスの友好国であるアメリカが、間接的にとはいえ中国からの撤退を要求するのは致し方なかったといえる。また前述のように後に連合国となる米英中ソにとって日本は軍事的脅威を与えていたのであるから、彼らにとっても自衛のための戦争であったとも言える。そのため日本のみの立場からしか見ていないともいえる。
- 北伐、上海事変、満州事変など、長年の中国に対する日本の内政介入の過程についての論述が皆無である。
- 盧溝橋事件は中国共産党の計略によって起こされたとしているが、その後に政権を握るまでの構想を1937年当時にしていたのかが疑問である。
- 人民が日本の軍国主義に対抗する事で政治権力をとれたという毛沢東の発言は、「結果的に」というものである。中国に派兵をはじめたのは日本の戦略であり、中国側の計略に乗ったわけではない。また、祖国が外国の軍隊に蹂躙されている時に、内輪で抗争せずに立ち向かうのは、彼らにすれば当然の自衛行為であるといえる。そのためは抗日活動をするために計略を行うのは当然であるといえる。
- 必要ないのかもしれないが、交戦相手国の「英霊」および住民について思いをはせる態度が絶無である。
- そもそも、英霊を慰霊するのに自衛戦争ならば良い、侵略戦争ならば許されないという理論自体がおかしい。侵略戦争の側面を黙殺し、正当化するために自衛戦争の側面のみを強調するのはいかがなものか。また、英霊が侵略戦争の手先であるならば貶されるという理論自体が「自虐的」ともいえる。