川之江市
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川之江市(かわのえし)は、愛媛県の東予地方、宇摩地域にあった市である。
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[編集] 地理
[編集] 歴史
- 先史時代
- 四国山地の支脈法皇山脈の東端にその源を発して、瀬戸内海の燧灘にそそぐ金生川が、その吐出する土砂によって形成した沖積平野に農漁民が住居を構えて定着し、先史時代の後期、川に沿って幾つかの点在する集落を形成した。これが合併によって川之江市を構成した川之江町ほか5カ町村の創生であるとされている。和名抄にいう山田郷、山口郷がこの地域に当たり、大化の頃、大和より伊予の国府に通じる太政官道(南海道)の大岡駅が設けられ、更に、ここを分岐点として、それぞれの国府に至る土佐街道、阿波路が設けられ、既に開けた内海の船運と相まって海陸交通の要衝となり、人馬の往来が漸く繁しさを加えた。
- 中世
- 741年(天平13年) 僧行基、勅による越智郡国分寺創立の途次川之江に立寄り草庵を結ぶ。(仏法寺縁起)
- 987年(寛和3年) 僧恵心、諸国行脚の際、鷲尾山(現在の城山)の頂に「鷲尾山悪心院仏法寺」を建立す。(仏法寺縁起)
- 1337年(延元2年)3月 伊予の大領河野通政、その家臣の武将土肥義昌に命じて川之江に城廓を構築させ「仏殿城」と名付く。
- 1342年(興国3年)5月 足利氏の武将細川頼春に仏殿城攻略さる。頼春、伊予を引揚げてのち再び河野氏の支配に復す。
- 1364年(正平19年)9月 細川頼之、河野氏を討伐し、川之江再び細川氏の所領となるも、時の将軍義詮没し、頼之、執事として上京したのち、河野通直仏殿城を奪回し、川之江三度び河野氏の掌中に帰す。
- 1379年(天授5年)11月 細川頼元、伊予国に攻め入り仏殿城も細川氏の支配に属す。
- 戦国時代に入り川之江城は再び河野氏に支配下となる。
- 1572年(元亀3年)9月 阿波の武将三好将監、仏殿城を攻撃するも敗退。
- 1575年(天正3年)11月 河野氏の家臣川上但馬守、時の城主妻鳥氏を討ち代って川之江城主となる。
- 1582年(天正10年)6月 金川轟城主大西備中守仏殿城を攻略。
- 1584年(天正12年) 長曾我郡元親、大西備中守を亡ぼし川之江を支配。
- 1585年(天正13年)、豊臣秀吉の四国征伐により長曾我部氏敗走。その後、小早川氏、福島氏、池田氏、小川氏と領主は移り、1611年(慶長6年)廃城となる。
- 1587年 天正15年 越智郡国分城主福島正則の所領となる。
- 近世、一時川之江藩
- 1600年(慶長5年)9月 温泉郡松前城主加藤嘉明の統治下に服す。
- 1636年(寛永13年)5月、一柳直家が川之江藩二万八千六百石を与えられる。西条領に属す。
- 1642年(寛永19年)、直家、病死により領地没収、川之江ほか16カ村幕府直轄領となる。
- 1643年(寛永20年) 松山城主久松氏の管轄に移る。
- 1677年(延宝5年) 川之江ほか16力村再び幕府直轄領となり、川之江に代官所が設置される。
- これにより中央との交流がいよいよ頻繁になり、文化的、経済的発展の基礎を着々と固めつつ明治維新に及んだ。
- 近現代
- 製紙業が興り発展を遂げる。
- 1868年(明治元年)3月 土佐藩主の山内氏の預りとなる。
- 1871年(明治4年)1月 廃藩置県により備中倉敷県に属す。5月丸亀県に、11月松山県に属す。
- 1873年( 明治6年)2月 愛媛県となる。
- 同年同月、市内上分、金川、半田、三角寺の4村が組合をつくって役場を金川に置いたが、同18年これを上分村に移した。同22年になって上分が組合から分離し、金川、半田、三角寺の3カ村が合併して金田村となった。同年下山、領家、柴生、下川の4カ村も合併、川滝村となり、また山田井、下分も合併して金生村となった。
- 川之江村は、明治11年郡区町村編制法施行にあたり宇摩郡役所が置かれ、つづいて警察署、郵便局、税務署等も設置され、宇摩郡の中心として発達した。
- 同31年町制が施行されて川之江町となる
- つづいて大正12年に上分町、昭和23年に金生町(きんせいちょう)が、それぞれ町制をしく。
- 1954年( 昭和29年)3月 川之江町二名村を合併。
- 1954年( 昭和29年)11月 川之江町ほか5カ町村(金生町、上分町、妻鳥村、金田村、川滝村)の合併により川之江市発足
- 1956年(昭和31年)4月 財政再建団体指定
- 1957年(昭和32年) 市庁舎完成
- 1963年(昭和38年)3月 財政再建団体措置から脱する
- 1964年(昭和39年)1月 東予新産業都市指定
- 1967年(昭和42年) 市民会館完成
- 1970年(昭和45年) バンパックフェリー就航(川之江-神戸)
- 1971年(昭和46年) 三島川之江港、重要港湾指定
- 1972年(昭和47年)12月 国道192号境目トンネル開通
- 1978年(昭和53年)4月 国道192号バイパス開通
- 1978年(昭和53年)9月 紙まつり(ペーパーカーニバル)始まる
- 1980年(昭和55年)8月 堀切トンネル開通
- 1981年(昭和56年)12月 市民文化センター竣工
- 1983年(昭和58年)5月 国鉄川之江駅舎落成
- 1984年(昭和59年) 川之江市制30周年記念事業城山公園整備事業に着手、1988年(昭和63年)城山公園完成。
- 1985年(昭和60年)3月 四国縦貫自動車道三島川之江IC-土居IC開通、四国で初めての高速道路
- 1985年(昭和60年)3月 国道11号川之江三島バイパス部分開通
- 1986年(昭和61年)7月 川之江城完成(復元)
- 1988年(昭和63年)5月 川之江市産業文化展示館完成(紙のまち資料館、郷土館併設)
- 1992年(平成4年)1月 四国横断自動車道川之江JCT-大豊IC開通
- 1992年(平成4年)10月 市民野球場完成
- 1994年(平成6年)4月 森と湖畔の公園整備事業完了
- 1995年(平成7年)10月 中国・宣州市と友好都市に
- 1998年(平成10年)7月 中心市街地活性化協議会発足
- 1999年(平成11年)1月 新郷土館 かわのえ高原ふるさと館オープン
- 2000年(平成12年) 四国縦貫自動車道・四国横断自動車道(通称:エックスハイウェイ)の開通により、四国の中央としての立地優位性が高まった(ただし「中央」という感覚には賛否両論あり)
- 2004年(平成16年) 宇摩地域の2市1町1村の市町村合併により自治体としては歴史閉じた。
-
- 川之江市資料ほかより
[編集] 行政
[編集] 歴代市長
- 初代 真鍋安次 (昭和29年12月~昭和33年12月
- 2代 星川鳳一(昭和33年12月~昭和37年12月
- 3代 川崎喜三郎(昭和37年12月~昭和49年12月
- 4代 石津榮一(昭和49年12月~平成2年12月
- 5代 石津隆俊(平成2年12月~合併)
[編集] 行政課題
丸住製紙が立地し、製紙産業が盛んで、用地需要に応えると共に、住工分離の観点から埋立地を造成し、工業用地、港湾施設等に提供してきた。ただ、昭和40年代から50年代までは海洋汚染による漁業被害にも直面した。
宇摩地域の広域合併についても、過去何度か気運の盛り上がりを見せたが、どちらかというと伊予三島市からの動きが活発であった。この経過については四国中央市の記事参照。
[編集] 教育
[編集] 高等学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 四国旅客鉄道(JR四国)
[編集] 道路
[編集] 高速道路
[編集] 一般国道
[編集] 都道府県道
- 愛媛県道121号川之江停車場線
- 愛媛県道122号川之江港線
- 愛媛県道123号金生三島線
- 愛媛県道124号上分三島線
- 愛媛県道333号三島川之江港線