太甲
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太甲(たいこう)は、殷の4代目の帝。帝天乙の子太丁の子。帝中壬の甥。姓は子。廟号は太宗。天乙の後をすぐに継いだという説もある。
孟子や史記などでは、太甲の即位時に伊尹が『伊訓』・『肆命』・『徂后』といった文を作り、太甲に施政の心得として与えたとされている。しかし、太甲が暴虐であったために、伊尹が太甲を即位後3年にして桐に追放したとされる。太甲は桐で3年過ごし、そこで反省したため、伊尹に許され、天子の位に戻った。この時伊尹に『太甲訓』を授けられた。その後、太甲は徳を積み、諸侯にも人民にも慕われた。
竹書紀年では、中壬の没後、伊尹が太甲を桐に追放し、自らが天子となったとされる。しかし、7年後に伊尹は太甲に殺され、太甲が天子となった。この時、太甲は伊尹の子である伊陟・伊奮に家を継がせたという。
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