大鳴戸部屋
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大鳴戸部屋(おおなるとべや)は、日本相撲協会に所属していた相撲部屋。
朝日山部屋の元幕内二瀬山が、1960年(昭和35年)に朝日山部屋から独立して大鳴戸部屋を創設した。しかし、元関脇高津山の朝日山が、1963年(昭和38年)に急逝したために、残された力士たちを二瀬山が引き取り、合併した朝日山部屋として出発した。このとき、後の関脇高鉄山は朝日山部屋から、後の小結若二瀬唯之は大鳴戸部屋から、合流することになった。そのため、1975年(昭和50年)10月に二瀬山の朝日山親方が亡くなった後、朝日山は若二瀬が、大鳴戸は高鉄山が襲名して、それぞれ部屋を興すことで一応の決着をみた。
再出発した大鳴戸部屋は、実業団相撲のホープ板井圭介が入門してすぐに幕内に昇進し、最高位は小結になった。また、板井よりもさきに入門していた維新力も十両に昇進した。しかし、板井は協会に残れず、維新力はプロレスに転向して部屋は衰退し、1995年(平成7年)に大鳴戸は廃業した。行司の式守修一郎(現・6代目式守鬼一郎)を含む弟子達は伊勢ヶ濱部屋の元小結黒瀬川が興した桐山部屋に譲って部屋を閉じた。