ノート:国立戒壇
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[編集] 国立戒壇の記述をめぐる議論
[編集] 謝罪していない
「国柱会に謝罪していない。」この記述は、事実ではないし、中立でもないし、好意的でもない。また辞典としてふさわしい記述でもない。何度か修正したが、元に戻されてしまう。もうすこし「事実とは何か」を勉強されてから、編集されることを望む。Tetralemma 2005年8月20日 (土) 14:14 (UTC)
(ノート:日蓮正宗2005年9月4日 (日) 17:34の版より移動)
[編集] 好意的な立場とは
3.ノート:国立戒壇の方で「国柱会に謝罪していない。」この記述は〜と書かれていますが、こちらでは謝罪したと言う事実を掴んでいない為、あのような書き方を行いました。もし時の法主とセンベイの頭だったアレ(ああ、名前も書きたくない。)が国柱会に頭下げて許されたの証拠をお持ちならば、証拠(当時の日蓮正宗の機関紙や聖教新聞等で、国柱会側資料だと彼方の捏造の可能性もあるので)是非提示して頂きたいんですが?(もっとも教義的に他の宗教団体に謝罪できると思えませんが)--まるゆ 2005年8月20日 (土) 15:45 (UTC)
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- 「謝罪していない」というのは「謝罪するべき状況にある」というのが前提ですが、その前提はあなたの主観であって事実ではありません。Tetralemma 2005年8月20日 (土) 23:28 (UTC)
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- 明治年間には田中の国立戒壇は日蓮正宗の教義のコピーと言った趣旨の発言を時の法主が行ってますが?さらに教義変更の理由に国柱会の用語を事を利用していたことをみとめてますが?--まるゆ 2005年8月21日 (日) 03:05 (UTC)
- 上記の件は、事実でしょう。だから謝罪すべきだ、というのであれば、それはあなたの意見です。「意見を書くな。事実を書け。」Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)
- 明治年間には田中の国立戒壇は日蓮正宗の教義のコピーと言った趣旨の発言を時の法主が行ってますが?さらに教義変更の理由に国柱会の用語を事を利用していたことをみとめてますが?--まるゆ 2005年8月21日 (日) 03:05 (UTC)
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- それでは、こういう記述をすれば、中立でないことがわかっていだけますでしょうか?
- 明治年間には田中の国立戒壇は日蓮正宗の教義のコピーと言った趣旨の発言を時の法主が行っている、したがって国柱会は、日蓮正宗に謝罪するべきであるが、国柱会は日蓮正宗に謝罪していない。Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:43 (UTC)
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- こちらが修正案を出してるのにそれに返事せず、個人攻撃ですか?--まるゆ 2005年8月27日 (土) 14:53 (UTC)
- 違いますよ。あなた個人を攻撃しているのではなく「意見を書くな。事実を書け。」という話をしています。
- それと題名の件ですが、あなたは第三者ではなく当事者ですから自分だけ意味がわかっているでしょうが、題名は第三者がみて意味のわかるものにしてくださいね。
- 修正案になってないと思いますが、第三者の方、調整をお願いします。Tetralemma 2005年8月27日 (土) 23:12 (UTC)
- こちらが修正案を出してるのにそれに返事せず、個人攻撃ですか?--まるゆ 2005年8月27日 (土) 14:53 (UTC)
[編集] 国立戒壇関連
(ノート:日蓮正宗2005年9月4日 (日) 17:34の版より移動)
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- 上記の件は、事実でしょう。だから謝罪すべきだ、というのであれば、それはあなたの意見です。「意見を書くな。事実を書け。」Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)
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- それでは、こういう記述をすれば、中立でないことがわかっていだけますでしょうか?
- 明治年間には田中の国立戒壇は日蓮正宗の教義のコピーと言った趣旨の発言を時の法主が行っている、したがって国柱会は、日蓮正宗に謝罪するべきであるが、国柱会は日蓮正宗に謝罪していない。Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:43 (UTC)
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- それは貴方の曲解です、私は一貫して元々国柱会の用語だが、日蓮正宗は明治年間から一貫して国立戒壇の起源は日蓮正宗で国柱会の主張はコピーと主張していた、しかし都合が悪くなるとあっさり教義変更した、教義の盗用について未だに謝罪していない。と事実しか書いていません。視点の違う私と貴方だけの話し合いでは今後日本海呼称問題や南京大虐殺の犠牲者数のごとく収拾不能になるのが目に見えているので、この問題について第三者を交えた話し合いに移りたいと思いますが?--まるゆ 2005年8月23日 (火) 14:30 (UTC)
- 「元々国柱会の用語」これは事実。「日蓮正宗は~コピーと主張していた」これも事実。「~教義変更した」これは事実ではない。したがって事実誤認があるので「謝罪していない。」という文章は事実ではない。あなたなの意見である。問題の本質は、あなたが自分の意見と客観的な事実を混同していることだ。
- ここが、第三者を交えた話し合いの場だと思っていたのですが、別な方法があるのであればそれでもいいですよ。Tetralemma 2005年8月24日 (水) 03:52 (UTC)
- それは貴方の曲解です、私は一貫して元々国柱会の用語だが、日蓮正宗は明治年間から一貫して国立戒壇の起源は日蓮正宗で国柱会の主張はコピーと主張していた、しかし都合が悪くなるとあっさり教義変更した、教義の盗用について未だに謝罪していない。と事実しか書いていません。視点の違う私と貴方だけの話し合いでは今後日本海呼称問題や南京大虐殺の犠牲者数のごとく収拾不能になるのが目に見えているので、この問題について第三者を交えた話し合いに移りたいと思いますが?--まるゆ 2005年8月23日 (火) 14:30 (UTC)
- 百科事典的な表現として【国柱会の用語を取り入れ、○○年より○○年にかけて「国立戒壇」論を主張していた時期もあったが、○○年ごろから積極的な使用をさけるようになり、○○年に、正式に撤回した。】あたりではいかがですか?--Dalaibaatur 2005年8月25日 (木) 02:24 (UTC)
- この件についてこの部分が落としどころかなと思います。--まるゆ 2005年8月27日 (土) 13:57 (UTC)
- すみませんが、上記の百科事典的な表現は、既に本文に記載済みと思います。そうなると、単に「謝罪していない」という文章の削除ということでよろしいでしょうか?Tetralemma 2005年8月27日 (土) 23:15 (UTC)
- 「国立戒壇」や「国柱会」云々は、現時点での本文には見当たらないと思いますが。私の上記まとめは、このノートでの、お二人のやりとりだけを見ての感想です。かつて正宗が、国柱会の用語を借りて「国立戒壇」を主張し、いまはそれを取り下げている、ということを紹介する際に、「教義の盗用」とか「謝罪していない」という用語の使用は不可欠ではないのではないか、と思いまして横レスさせていただきました。--Dalaibaatur 2005年8月29日 (月) 03:20 (UTC)
- すみません。この話題の本文は国立戒壇の方なのです。ノート:国立戒壇の話題を、こちらに書くのはいかがなものかと思いますね。とりあえずノート:国立戒壇へコピーさせていただきました。Tetralemma 2005年8月29日 (月) 12:16 (UTC)
- 上記の「百科事典的な表現として【 】云々」の【 】内は、この「日蓮正宗」の記事において、正宗の教義を説明するにあたって、正宗の「国立戒壇論」の変遷に触れるなら、このような文面にしては……という提案です。独立して存在する国立戒壇の記事の文面として提案したものではありません。--Dalaibaatur 2005年8月30日 (火) 12:28 (UTC)
この部分は、記事「国立戒壇」の文面をめぐるやり取りのようですから、ノート:国立戒壇への移植を提案します。--Dalaibaatur 2005年9月4日 (日) 08:34 (UTC)
[編集] 記事を通して読んだ感想
議論しているお二方より「第三者の方」の「調整」のご希望がだされているので、感想と私案を述べます。--Dalaibaatur 2005年9月6日 (火) 04:49 (UTC)
- 富士門流諸宗派の戒壇論という記事ならともかく、国立戒壇という記事名で、日蓮正宗や創価学会の関連記述に偏りすぎているのは問題。また戒壇の説明と関係のない正宗、創価批判の文章は不要。記事名をこのままで変更しないのであれば、
- 日本仏教史における戒壇の位置づけや歴史
- 日蓮系諸宗派における戒壇論の諸相
の紹介を付け加えることが必要だとおもいます。たとえば前ふりとしては、
などまで、論述の範囲を広げる必要があるでしょう。戒壇の説明と関係のない文章については、本文で非表示にするとともに、以下にピックアップしておきます。--Dalaibaatur 2005年9月6日 (火) 04:49 (UTC)
- 日蓮正宗と創価学会は、田中智学の作り出した国立戒壇という用語を盗用したにもかかわらず、中傷を行った事について国柱会に謝罪していない。
- 「盗用」「中傷を行ったことについて(中略)謝罪していない」という表現は国柱会の観点にたった表現なので、百科事典の記事としては問題。【国柱会は日淳の発言に対し、「日蓮正宗こそが国立戒壇という用語を盗用したにもかかわらず、中傷を謝罪していない」と反論している(著者『出典』発表年月日)。】という類いの描写ならば、客観的表現として可。
現在の国立戒壇論は、日蓮正宗や創価学会サイドが冨士大石寺顕正会を信仰の自由を否定する団体として攻撃する材料となっているほか、日蓮正宗に反対する勢力は、世論から日蓮正宗の教義を攻撃されるまで、正本堂=国立戒壇=事の戒壇と印象づけして資金調達を進めていた事は否定できず、大石寺系宗教団体に共通する教義の場当たり的解釈や浅井昭衛の当たらない終末論、創価学会による日顕の芸者写真偽造事件初期段階の古稀祝いに出席していた事自体の否定、池田大作のマヌエル・ノリエガやニコラエ・チャウシェスク、福永法源、文鮮明等の独裁者及びカルト宗教教祖と言った黒い交友録等指導者達の言い逃れ体質の象徴となっている。などと非難をしている。
上記のうち棒線部は本文に組み込み済み。残る記述は「大石寺系宗教団体」論であって、戒壇論ではない。各「団体」の項目で個別に指摘すべき。--Dalaibaatur 2005年9月6日 (火) 05:57 (UTC)
- 「日本人のすべてが日蓮正宗の信者となった時が広宣流布という教義を国民の三分の一が日蓮正宗の信者となった時と変更し」 (UTC)
の表現は正確ではない。顕正会の主張をそのまま書くのは、百科事典としては適切ではない。正確には日達上人の発言は次の通りである。 (UTC) 「日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱えたてまつることができたとき、その時こそ日本一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると、思うのであります」(大日蓮昭和五十年一月号) (UTC) つまり、どこにも信者の数には触れていない。