丸井
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 164-8701 東京都中野区中野4丁目3番2号 |
電話番号 | 03-3384-0101(代表) |
設立 | 1937年(昭和12年)3月30日
(1931年(昭和6年)2月17日創業) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨小売業・消費者ローンなどのサービス事業 |
代表者 | 代表取締役会長 青井忠雄 代表取締役社長 青井浩 |
資本金 | 359億2000万円 (2006年8月14日現在) |
売上高 | 単体4,968億69百万円 連結5,615億39百万円 (2005年度) |
従業員数 | 972人 (グループ合計8156人) |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 8.83% 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 8.47% ザチェースマンハッタンバンクエヌエイロンドン 3.62% 株式会社東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行) 2.25% |
主要子会社 | 株式会社エポスカード 株式会社ゼロファースト 株式会社ムービング |
外部リンク | http://www.0101.co.jp/ |
丸井(まるい。OIOI・0101)は、日本のチェーンストアの一つ。日本百貨店協会には属さず、店舗形態は「ファッションビル」に近い。ファッションを軸に、家具・雑貨・メガネ・宝石などあらゆるものを自前主義で展開。首都圏では圧倒的な若年層シェアを獲得している。往年のテレビコマーシャル「駅のそばの丸井」「丸井はみんな駅のそば」のキャッチコピーが有名。駅前一等地に次々と出店することでブランド認知度を高め、かつてのDCブランドブームに乗って若者を取り込んだ。1960年に日本で初めてクレジットカード(現在の「エポスカード」)を発行。ファッションのイメージが強い丸井であるが、経営上は同等あるいはそれ以上に金融業を重視しており、店舗においては自社カードによる分割払いを勧め、単に衣服を売る利益でなく、分割手数料を得ることが出来、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業を行っている。これにより流行や気候に左右されるアパレル販売だけでなく、カード・金融事業から安定した利益を稼ぎ出すことに成功している。 本社・本店は創業地である東京都中野区中野。中野駅北口の本社ビル、南口に本店及びグループ各社、丸井グループ福祉会、健保組合等がある。
正式社名は株式会社丸井。英語の社名はMARUI CO., LTD.である。 社長の青井浩は創業家一族の3代目。
目次 |
[編集] 社歴
- 1931年 - 青井忠治が「丸二商会」からのれん分けで独立・創業
- 1937年 - 株式会社化
- 1941年 - 軍事政権の国内政策により全店閉鎖に追い込まれる
- 1946年 - 創業者が丸井の店舗を復活させる
- 1960年 - 日本初のクレジットカード「赤いカード」登場
- 1965年 - 東証1部上場
- 1973年 - OIOIキャンペーン開始(CI制定)
- 1981年 - キャッシング事業
- 1990年 - ヴァージン・グループとの合弁で、ヴァージン・メガストアーズ・ジャパン設立
- 2003年 - グループ一体化の大リストラ
- 2005年 - カルチュア・コンビニエンス・クラブにヴァージン・メガストアーズ・ジャパンの全株式を約12億円で売却
[編集] 店舗展開
- 東日本では関東地方(群馬・栃木除く)、静岡県(静岡店)、福島県(郡山店)に店舗をもつ。東京では、2007年には新宿新館、有楽町店がオープン予定。
- 現在は関西にも進出しており、神戸三宮(神戸マルイ)のほか、2006年9月22日には大阪難波にも進出(なんばマルイ)。
- 中部地方では2007年名古屋にインザルームを出店する予定。
近年では、積極的なスクラップ・アンド・ビルドとリニューアルを繰り返し、店舗の増減・改廃が激しい。またプライベートブランド開発、SPA化、自社編集売り場など、旧来型の百貨店からの脱却を図る。また従来の画一的な展開から、商圏に適したきめ細かい展開に切り替えている。駅前出店を基本に、多店舗化戦略を取っているイメージがあるが、その一方で新規大型店の開店に伴う小規模店舗の統合等、 積極的な“スクラップ・アンド・ビルド”戦略を展開している。但し、最近では、新店舗の開設を伴わない単純な不採算店舗の閉鎖も数多く行なわれている。中野本店についても、2007年8月に閉鎖の方針が固まった。店舗のスクラップ・アンド・ビルドでは、基本的には商圏が重なるような店舗は小規模な方を潰し、大規模の方は改装など積極的に投資を行うスタイルである。例えば横浜店と戸塚店の関係がこれにあたる。また都心から離れた店舗や、規模が小さい店舗では閉店したところが多い。一方で北千住や有楽町などで大規模店舗を開くなど、投資も活発である。近年出店した店舗は北千住や大阪なんばで見られるように従来の店舗よりも規模が大きく、来店者数が多いことを前提とした店作りがなされているのが特徴である。
また、業態変更によって実質“丸井”としての機能を廃した店舗(吉祥寺店キャンバス館→現無印良品館、マルイビィ町田→町田モディ)なども存在する。
近年は中部・関西での出店を積極的に進めているが、関東に比べてクレジットカードの利用が少なく、衣料品を月賦で買う習慣があまりないこれらの地域で丸井のビジネススタイルが受け入れられるのかが注目されている。
[編集] 出店形態
- 丸井(一般型)
- マルイシティ(都市型)
- マルイファミリー(郊外型SCを意識、食料品も扱う)
- マルイヤング(ティーン世代)
- マルイワン(若手クリエイターの発掘・育成を掲げる)
- マルイJAM(ファッション激戦区・渋谷の立地に対応、レディスのみ)
- マルイメン(メンズ専門)
- マルイミニ(一般・小規模店)
- inTheRoom(インテリア専門店)
- FIELD(スポーツ専門店)
- VAT(ティーンズ世代のファッション専門店 マルイの109とも言われている。柏店のみ)
- 食遊館(食料品)
- マルイザッカ(ファッション雑貨専門店)は閉店。
- マルイモデルはレディストールサイズを扱うショップ名称である
- マルイモデルの旧名は「YOUNGL(ヤングL)」だった。
[編集] 旗艦店
丸井の本店は中野であるが、事実上の旗艦店は新宿である(5店舗が存在)。その中心となるマルイシティ(旧ファッション館、1998年3月名称変更)は新宿通り沿いの新宿3丁目(伊勢丹前)にある。しかし、それ以外の店舗は、積極的にスクラップ・アンド・ビルドを行うため、たびたび店舗の移動がある。
- 新宿3丁目交差点前(現在のフィールドの場所)にあったメンズ館は、1998年9月に靖国通り沿いの旧インテリア館に移転して「マルイメン」となっている。
- 1992年9月に明治通り沿いの伊勢丹前(現在のコメ兵の場所)に開店したフィールド(1984年4月開店のスポーツ館が前身)は、1998年9月に靖国通り沿いのマルイメンの裏に移転した後、2004年に新宿3丁目交差点前に移転している。
- 1984年に靖国通り沿いに開店したインテリア館は、1998年に一旦なくなった後に、2004年2月に甲州街道と明治通りの交差点の京王新宿追分ビル(旧ヴァージンメガストア新宿店)に「in The ROOM」として再出店している。
- 1998年9月に旧フィールド跡地(現在のコメ兵の場所)にできたマルイワンは、2005年3月にマルイヤングの5~9階に移転している。
- 1990年にマルイシティ地下1階に開店したヴァージンメガストアは、2001年4月21日に新築された京王新宿追分ビル(現在のin The ROOM)に移転。その後経営不振で2004年1月に閉店(2006年には株式も売却され丸井の関連会社ではなくなっている)。
なお、2007年春完成予定の新宿3丁目の東映映画会館跡地の再開発ビル(シネコンなど)に、テナントとして現在新宿通り沿いの伊勢丹前にあるマルイシティが移転する予定である。現在のマルイシティの建物は、A館・B館をまとめて取り壊して建て替え、2009年春マルイシティが再移転し戻ってくる予定となっている。マルイシティ再移転後の再開発ビルのテナントについては、現在のところ未定であるが長期の賃貸借契約が残っていることから丸井の関連事業が入居すると考えられている。
- 新宿3-30-16(現在のマルイシティ新宿の場所。旧帝都座の場所)
- ニュー新宿店→ファッション館→シティ→取り壊し・再建予定
- 新宿3-18-1(現在のマルイヤング新宿の場所)
- ヤング館→ヤング→ヤング(一部ワン)
- 新宿5-16-4(現在のマルイメン新宿の場所、以前は中野輸送…現ムービング…新宿配送センター)
- インテリア館A館・B館→メン・フィールド→メンA館・B館/M&Cシステム本社(5-16-8)
- 新宿3-1-20(現在のフィールド新宿本店の場所、JTBやブラザーとの共同ビル)
- スポーツ館→メンズ館→ザッカ→フィールド
- 新宿3-1-13 京王新宿追分ビル(現在のin The ROOMの場所。旧京王線線路敷)
- ヴァージンメガストア→in The ROOM
- 現在のコメ兵の場所(建物自体は武蔵野館が管理する賃貸ビル。旧新宿松竹館の場所)
- フィールド→ワン→(空家)→コメ兵(別会社)
[編集] 現在営業している店舗
[編集] 東京都23区内
- 中野本店
- 新宿地区
- マルイヤング新宿(5階から8階はマルイワン)
- マルイシティ新宿
- マルイメン新宿
- フィールド新宿本店
- インザルーム新宿本店
- 渋谷地区
- マルイシティ渋谷
- マルイジャム渋谷
- 池袋地区
- マルイシティ池袋
- インザルーム池袋
- マルイシティ上野(京成百貨店から譲渡を受け開店)
- 錦糸町店
- 北千住マルイ
- 大井町店
[編集] 東京都その他
- 吉祥寺店
- マルイファミリー国分寺
- マルイミニ立川
- 町田マルイ
[編集] 神奈川県
- マルイシティ横浜
- 川崎店
- マルイファミリー海老名
- マルイファミリー溝口
[編集] 埼玉県
- 大宮店
- 草加店
- 所沢店
- マルイファミリー志木
[編集] 千葉県
- 津田沼店
- 柏地区
- 柏店
- 柏VAT
[編集] 茨城県
- 水戸店
[編集] 静岡県
- 静岡店
[編集] 福島県
- 郡山店
[編集] 大阪府
- なんばマルイ
[編集] 兵庫県
- 神戸マルイ
[編集] かつて存在していた店舗
[編集] 東京地区
- 成増店
- 新宿店下北沢館
- 現在は、丸井のアウトレット用品を専門に扱う、「final index」として営業中。
- 蒲田店
- 改装され、現在は蒲田東急プラザアネックス。
- インザルーム自由が丘(旧自由が丘店)
- ワン渋谷店(旧インザルーム渋谷店)
- 現在は、改装され(旧清水店同様)シダックスに。
- フィールド新宿店(現店舗とは場所が異なる)
- 現在は外装をそのままに「コメ兵買取センター」となる。
- 八王子店(A館、B館)
- 跡地は八王子市主導の再開発施設となる予定。
- マルイビィ町田
- 2006年9月28日にファッションビル「町田モディ」としてオープン。(モディは丸井子会社のエイムクリエイツによる開発・運営)
- フィールド池袋店(旧・丸井池袋スポーツ館)
- 現在はマルイシティ池袋の5階に入居。元の場所はビックカメラの別館に。
- 玉電大橋店
[編集] 東京以外の関東地区
- 土浦店(本館、きもの館)
- 宇都宮店
- 前橋店(本館、メガネ館、きもの館。なお現在本館は隣接しているスズラン前橋店新館)
- 熊谷店
- 閉店後は1階でゼロ・ファーストを営業していたが、後に取り壊された。
- 川越店
- 浦和店
- 川口店(本館、インテリア・スポーツ館。後者が先に閉店した)
- 千葉店
- 船橋店
- 横浜関内店(横浜店馬車道館、イセザキ館。後者が先に閉館)
- イセザキ館は改装され横濱カレーミュージアムに。馬車道館はマンションに建て替え。
- 戸塚店(2006年9月末で閉店。但し地下1階・1階「まるい食遊館」、2階の一部店舗、7階レストラン街は引き続き営業。)
- 大船店
- 横須賀店
- 藤沢店
- 建物は改装されビックカメラ藤沢店に。
- 厚木店
- 建物は改装され無印良品になるも、無印良品も2002年に閉鎖。
- 小田原店(本館、インテリア館→BOX館。後者が先に閉鎖)
- BOX館は現在、居酒屋などが入居する雑居ビルに。
[編集] 静岡地区
- 沼津店(建物老朽化と採算を理由に閉鎖)
- 建物は解体済。跡地はホテルに。
- 清水店(静岡店拡張の影響を受け、静岡店清水館を経て閉鎖)
- 建物は改装されシダックスに。
- 浜松店(採算などを理由として1994年7月閉店)
- 建物は改装されPCショップに。
[編集] 関西地区
- 高槻店(出店中止に伴い、準備室のみ存在)
その他、戦前に高円寺店等数店舗、クレジット専用センター(現在の“ゼロ・ファースト”店舗とは別)として八重洲、新橋、赤羽等数店舗あり。
[編集] 自社ブランド
自社プライベートブランドとして、アールユー(RU、レディス)、タスタス(tasse tasse、レディス)、大きいサイズのマルイモデル(旧ヤングL)(OI MODEL、レディス)、ビサルノ(VISARUNO、メンズビジネス)、インザルーム(in The Room、インテリア)、オンボード(on borad、メンズ)、ダブルスクイーズ(doble sqeeze、レディス)、ナルーカ(丸井自社サーフブランド)、など。
[編集] 丸井系ブランド
若者の間で「丸井系」と呼ばれるファッションがある。丸井に出店しているファッションブランドに依存したスタイリングであるが、レディスには用いずメンズにのみ用いられる。無難かつステレオタイプで、価格も際立って高くないといったスタイルを、やや皮肉ってそう呼ぶ向きもある。
丸井の売り場作りの方向性としては、同じく優良百貨店と目される「伊勢丹」の対極である。伊勢丹では「オンリーワン」や「先鋭・高感度」を掲げて個性化を追求するスタイルで、客単価が高い。一方の丸井では、流行に沿った平均的でスタンダードなスタイルを志向し、量をさばくことが重視される。価格は伊勢丹とユニクロなどのチェーン店との中間である。
[編集] 主な丸井系ブランド
丸井系ブランドは主に国内のアパレルメーカーが若者向けに展開するブランドである。ブランドのスタイルを大雑把に分けると以下のような感じになる。なお、以下のブランドは丸井のみならず高島屋や伊勢丹などの高級百貨店にも出店することがある。また、丸井系ブランドの中には有名なファッションデザイナーを起用し、ファッションショーで発表するブランドもある。また、女性用のブランドでは、渋谷109やラフォーレ原宿などのファッションビルに出店の入っているショップが進出した。レディスのブランドは、サーフ系やお姉系やギャル系や原宿系等が多い。
シンプルなスタイル
- COMME CA DU MODE MEN
- TAKÈO KIKUCHI
- MEN'S BIGI
- JUNMEN
- abx
- MEN'S MELROSE
- INÈD HOMME
- SEDUCTION de NICOLE
- MK HOMME
やや派手なスタイル
- MONSIEUR NICOLE
- TORNADO MART
- HIGH STREET
- MORGAN
- 5351 POUR LES HOMMES
- CUSTOM CULTURE
- TÈTE HOMME
- ATELIER SAB MEN
- KATHARINE HAMNETT
- COMME CA COLLECTION
ストリート系寄りのスタイル
- ABAHOUSE
- BOYCOTT
- R. NEWBOLD
- NICOLE CLUB FOR MEN
- TK TAKÈO KIKUCHI
- PPFM
サーフ系スタイル
- roxy(FIELDでの取り扱いが多い)
- COCOLULU
- BLUE MOON BLUE(ハイビスカス等を中心とした、サーフブランド。)
- ボルサリーノ
- RAFF&FREE
- ALBA ROSA(現在はバッグや小物のみの販売です。)
ギャル系やお姉系スタイル
- LIZLISA
- TRALALA
- ROSE FAN FAN
- ji-maxx
- VENCE
- SHAKESHAKE
- SPIGA
- Pinky Girls
- GOA
- EGOIST
- ダブルスクイーズ
- moussy
- SLY
- SOLBELLY
- ギルフィ
- リップサービス
- ソードフィッシュ
- TEA FOR TWO
- OZOC
- スパイラルガール
- ANAP
- GLAD NEWS
原宿系スタイル
- ヒステリックグラマー
- OLIVE DE OLIVE
- アルシーヴ
- リップスター
- マジェスティックレゴン
- レイカズン
- PAGE BOY
- オゾンロックス
- エミリーテンプルキュート
- アンティローザ
[編集] 丸井のクレジットカード
丸井を語る上で欠かせないのが、クレジットカード「赤いカード」の存在である。
丸井はもともと月賦払いを中心とする百貨店であったが、1960年に日本で初めて月賦払いに「クレジット」という名称を付けた。同時に発行を開始した当時の「赤いカード」は、クレジットカードというより月賦払いの会員証という位置づけであった。無論当時は口座自動振替のシステムもなく、返済方法は店頭で直接支払うのみであった。振込みによる返済が一般的になった現在でも、店頭のカードカウンターへ出向いての返済が可能である(同様の形式はセゾンカードや百貨店のクレジットカードにもある)。
長らく丸井グループと丸井店舗周辺の加盟店のみ扱えるハウスカードの立場を固持してきたが、1990年代初頭にDCカードと提携・一体化した「エムワンカード」が丸井から発行され、世界中の加盟店で利用できる様になったが、当時の入会審査が厳しくあまり発行されずに終息してしまう。
1994年にハウスカードの名称を「マルイカード」に変更したが、2000年に元の「赤いカード」に戻した。
2001年にクレディセゾンとの提携によって、赤いカードとセゾンカードを合体した『赤いカード《セゾン》』が発行開始したものの、利用加盟店が赤いカードの加盟店かセゾン(VISA・MasterCard・JCB)の加盟店かによって、丸井から請求されるモノと、セゾンから請求されるモノに別れ、支払方法やサイクルが全く別であるなど使い勝手が悪い物であった。
2004年10月にカード事業を分社化し連結子会社の(株)マルイカードを設立し、VISAのスペシャルライセンシーを取得。2006年3月に社名を(株)エポスカードに変更するとともに、「赤いカード」はハウスカードから脱し、VISA付帯のICクレジットカード「エポスカード (EPOS CARD)」へ衣替えした。
[編集] キャッシング
1981年に赤いカードでキャッシングサービスが開始。現在殆どの「赤いカード」・「エポスカード」でキャッシング(融資)枠が設定されており、(ただし、未成年者はショッピング専用カードとして発行)グレーゾーン金利上限に迫る高利のキャッシング利息収益で長い間本業の(分社化した現在は連結)収益の一大部分を占めている。また、丸井のカードは店員のノルマ達成の為、フリーター(場合によっては無職)でも店頭で容易に発行されてキャッシングに使えた事から、借り逃げなどの貸倒件数・金額によってはその年の業績にマイナス影響を与えるものとなり、「小売店の顔をした消費者金融」と言われる事もしばしばある。
[編集] 雇用体系
管理職以外のプロパー社員ほぼ全員を丸井子会社に転籍させ賃金改定する大胆なリストラを2003年に実行。丸井の店舗の各ショップで働く従業員は、丸井に属さず以下から派遣される(メーカーや関連事業会社から派遣される店員を除く)。そのため、(株)丸井自体はグループを統括する持ち株会社的な存在となり、本社自体は新卒採用は行わず、グループ会社からの転籍や中途採用により社員を補っている。
- (株)エポスカード、(株)マルイエムズモード、(株)マルイパレット、(株)マルイファッションナビ、(株)マルイアクセス、(株)マルイシーズニング
[編集] 関連事業
先の店員派遣以外の関連会社は以下のとおり。
- エポスカード・・・エポスカード・赤いカード事業
- ゼロファースト・・・下記を参照のこと。
- エムアールアイ債権回収・・・サービサー。エポスカード・ゼロファーストの不良債権の回収も請け負う。
- ムービング・・・物流、運送業。引越や家電量販店の大型家電配達も請け負う。
- M&Cシステム・・・システム開発
- CSC・・・清掃、給食、警備等のビル管理
- エイムクリエイツ・・・店内設計、デザイン、施工、販促・宣伝、施設運営
- マルイスマートサポート・・・総務(かつての店内総務)、人材派遣(丸井各店に派遣。丸井本体社員の転籍により労働者派遣の形になったもの)、教育
- マルイキットセンタ-・・・物流、検品、商品センター
- ヴァージン・メガストアーズ・ジャパンについては、2005年3月31日に全株式をカルチュア・コンビニエンス・クラブへ売却。
[編集] ゼロファースト
1991年に消費者金融専業会社「ゼロファースト」(現在エポスカード子会社)を設立し、都市部の駅近くのビル1階もしくは平屋建てに店舗を入居し、ゼロファースト・丸井のカードの他にクレジットカード・信販会社・消費者金融・郵貯カードが扱えるATM(店舗によっては24時間稼働)を複数台設置するなど独自に事業を行うが、丸井のカードによるキャッシング・入金(弁済)も行う点から、丸井店舗が撤退した地域にゼロファーストを出店する傾向が有る。
なお、社名は【ZERO-FIRST】からも分かるように、丸井の0101が由来とされている。
消費者金融事業の他に、中野本店建物内にあるボウリング場の管理運営も行う。
【付記】 2006年11月、丸井はゼロファーストの事業を大幅に縮小すると発表した。これは「貸金業法の施行により貸付上限金利が引き下げられると、有人店舗の採算がとれなくなる」との判断によるもので、具体的には新規顧客の受け付け停止、関東(静岡含む)に74ある消費者ローン店舗の約7割を段階的に閉鎖する(有人店舗46店を順次無人化し、最終的に無人店舗すべてを閉鎖)というものである。都内の主力15店舗は一旦エポスカードに移管したうえ存続させるが、将来的には廃業も選択肢に含まれているという。
[編集] 宣伝活動
[編集] テレビ
- 丸井はテレビを宣伝媒体として積極的に利用してきた。昭和40年代前後には在京局すべてで夜の「スポーツニュース」(当時は5分程度の短いものだった)に番組提供を行い、知名度向上に努めた。比較的最近まで夜のスポーツニュースが短時間の独立番組であった日本テレビの「スポーツニュース」や、「キャッチアップ」(後述)打ち切り後新たに編成された「スポーツホットライン」(TBS)への番組提供がその名残と言えよう。
- 知名度向上とイメージ重視の戦略から、1990年代前半までは在京局や関東独立局のミニ番組を各社1〜2本に提供(すべて一社)していたほか、丸井が進出していた静岡・福島地区でも地元局のミニ番組(ニュースや天気予報など)に提供するケースがあった。
- 当初提供していた番組には30代以降をターゲットとしたものが多く、中高年の夫妻を紹介する「ひとりよりふたり」、「われら夫婦」(日本テレビ)、「世界あの店この店」(テレビ朝日)、「各駅停車世界の旅」(テレビ東京)などがあったが、80年代中頃に入ってからは20代を主軸に置いた番組(下記参照)へシフトしていくようになり、番組内での丸井とのタイアップ(連動企画)も多くなっていった。
- 若年層を主対象においた主なミニ番組としては、トレンド情報番組「キャッチアップ」(TBS)、当時流行の洋楽ビデオクリップを紹介する「丸井サウンドロフト」(フジテレビ)、ニューヨークのトレンドを紹介する「ニューヨーク情報」(テレビ朝日)、丸井の旅行部門とタイアップした海外旅行のガイド的番組「Zip's」(テレビ東京)、そして最新の洋楽ヒットに乗せ世界のスポーツ映像を見せる「SPOPS」(テレビ神奈川)など。他にもフジテレビでは「サウンドロフト」の後番組として、大学サークルの紹介番組「ライフサイズTV コンパス」、東京の街そのものをゲームの舞台とした「チキチキバンバン」、東京で暮らす若者の部屋にスポットを当てた「ROOMS」など、意欲的かつ評判を呼んだ番組も制作されていた。
- 一般的な認知度が関東地区を越えて、全国規模になるのは1980年にテレビCMで「好きだから、あげる。」が爆発的な反響を呼んだことで、当時、春の商戦では高島屋や三越といった老舗百貨店にならぶ売り上げを記録した。ちなみに「好きだから~」のコピーを書いたのは、糸井重里とならび、「コピーライターの神様」と称される仲畑貴志である。
- 丸井のCM展開は1990年代前半までは「番組提供」が主であり、その中で丸井オリジナルブランドやインテリア、そして季節商品の単独イメージCMや「赤いカード」の告知など、さまざまなジャンルのCMを効果的に組み合わせていた。また関東エリアのヤング館共通CMや池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)、新宿インテリア館(のちの「イン・ザ・ルーム」)単独CMなども頻繁に流された。さらに4店体制が長く続いた静岡地区でも「静岡限定」として「静岡4店イメージCM」が作られたことがある。
- 新店の開店や既存店の新装開店などでは、それぞれの店舗立地のイメージに近い告知CMが多く作られた。例えば「京成百貨店」から経営譲渡を受け新規開店した上野店(現マルイシティ上野)では、近接する浅草の「三社祭」をイメージしたもの、浜松店(既に閉鎖)新装開店時には浜松まつりの「凧揚げ」をイメージしたもの、藤沢店(既に閉鎖)開店時には湘南をイメージしたものなど、凝ったCMが数多く作られた。
- 「丸井試写会」(後述)についての告知CMも、提供番組内で流されていた (丸井店舗があり、番組をネットで受けていた静岡・福島地区では丸井の別のCMに差し替え)。
- しかしバブル崩壊をきっかけに様々な事情が絡み、1990年半ば、レギュラー番組への提供からはすべて撤退した。その後、単発番組へ散発的な番組提供へ移行し、現在はスポットCMを放送するのみにとどまっている。
- なお丸井のCMは(ラジオも含め)ほぼすべて「エイムクリエイツ(旧丸井広告事業社)」によって現在まで制作されている。
[編集] ラジオ
- ラジオでの広告展開もFMを中心に行っており、関東地区での民放FM多局化以降、数局で番組提供を持った。
[編集] 映画試写会
[編集] 印刷媒体
- 丸井店内では1980年代まで、テレビでの宣伝活動と平行して月刊の「フリーペーパー」も配布していた。内容は、取り扱いブランドや商品の情報、着こなしの提案と丸井自体のお知らせなど。また当時店舗網の拡大を進めていた時期でもあり、新店情報や一部タウン情報的なものも掲載されていた。この「フリーペーパー」は1990年代に入り、通販カタログやカード明細への添付パンフレットに形を変えていくこととなる。
[編集] CM出演経験のあるタレント・モデル
[編集] 男性
- など多数
[編集] 女性
- など多数
[編集] その他 雑記
- テレビ放送開始初期、中野駅前に日本テレビが設置した街頭テレビに観客が群がり、見やすいとの理由で丸井本店の2階まで観客が押し寄せ、2階の床が抜ける事故が起こった。
- コント赤信号の暴走族コントの掴みネタで、舎弟役の小宮孝泰が兄貴分役の渡辺正行の服装を褒めちぎり、最後に渡辺が赤いカードを懐から取り出して「丸井よ!」と落とし、傍らで聴いていたラサール石井がずっこけるネタがあった。