三菱・ギャラン
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GALANT(ギャラン)は、三菱自動車工業が海外で製造・販売している中級セダン。2005年まで日本でも製造・販売されていた。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(1969年~1973年)
1969年に「コルトギャラン」の名で発売。「コルトギャラン」は、従来のコルト1200/1500とは全く異なるコンセプトの新しい4ドアセダンとして1969年12月にデビューし、「ギャラン」というサブネームが初めて与えられた。当時としては流行の先端をいく“ダイナウェッジライン”を採用した斬新なスタイルが評判を呼び、大ヒットとなった。1300ccSOHCエンジンを積んだAIシリーズと1500ccSOHCのAIIシリーズの2本立が基本で、それぞれ4車種、3車種、合計7車種のバリエーションで構成された。スペシャルティーカーのギャランGTOは1970年発売。
[編集] 2代目(1973年~1976年)
1973年6月登場。“コルトギャラン”から“ギャラン”となる。通称も“ニューギャラン”。ボディ形状は4ドアセダンと2ドアハードトップの2種。のちにエステートと称するライトバンも登場する。
エンジンは16Lから引き継いだ1600ccサターンと、17Lを排気量アップした1850ccおよび2000ccのアストロン2種を搭載。1600には通常のガソリンエンジンの他、EMAOと称するサーマルリアクター付排気ガス対策仕様のCA-Ⅱ(排気ガス規制自体には適合していなかった)、タクシー用LPG仕様の3種に細分化される。1850と2000にはシングルキャブとツインキャブがそれぞれ用意され、合計7種のエンジンラインナップがあった。
デザインは先代のイメージを引き継ぎつつも曲面を多用したものになり、ボディサイズも大幅に拡大。ホイールベースは先代と同じ数値(2,420mm)ながら同年2月に発売されたランサーとの住み分けから、居住性を重視した内容になっていた。足回りのセッティングもソフトにされた結果、先代にあった走りのイメージは大幅に薄れてしまった。車両開発時は当時ヒットしていた日産・ブルーバードUをかなり意識したといわれ、エクステリア・インテリア共に「日産調」「すでにどこかで見たようなデザイン」といった評論家からの評価があった。ただし、当時流行した“インボルブメント・デザイン”は採用せず、セダン・ハードトップ共に後方視界が良かった。また、伝統のチルトステアリングのほかにランバーサポートを初採用し、適切なシートポジションが取れることをカタログや広告などで謳っていた。
デビュー当初からあまり話題に上らなかったため、売上は芳しいものではなかったが、発売直後に起こったオイルショックにより、ニューギャランの販売台数は壊滅的な打撃を受ける。不振の原因は、没個性的なデザインとブルーバードUを意識した、豊かさを強調したコンセプトが省資源の風潮に対して明らかなミスマッチが生じ、加えて販売網の弱さが加わったものと考えられる。
1974年にはCA-Ⅱが50年排出ガス規制に適合、名称もMCAとなる。1975年には1600SL-5をベースに丸目2灯ヘッドランプ・サイドストライプを採用した、1600GT・SL-5(これが正式呼称である)をシリーズに加える。また、同年11月には主力モデルが50年排出ガス規制を飛び越え、51年排出ガス規制をクリアするなど、積極的な販売促進策を採るのだが、人気回復には至らず、1976年にギャランΣにモデルチェンジした。
[編集] 3代目(1976年~1980年)
1976年から「Σ(シグマ)」のサブネームが付き、ハードトップの「Λ(ラムダ)」もラインナップに加わる。前者は当時の国産車にはないスタイリッシュなヨーロピアンスタイルの4ドアセダン、後者はスタイリッシュなアメリカンスタイルの2ドアハードトップクーペ。1978年にはエテルナという名の姉妹車も派生。1977年にはシグマにエステートバンをラインナップに加え、昭和53年度排出ガス規制に対応したMCA-JETシステムを搭載したエンジンを全車に搭載。1978年にマイナーチェンジ(エテルナΣ/エテルナΛは除く)。とくにギャランΣは変化が大きかった(ヘッドランプがこれまでの丸型4灯から角型4灯に変更。フロントノーズが逆スラント形からセミスラント形に変更。上位グレードは前後バンパーがウレタン化)。モデル末期の1979年にはラムダに2600ccのガソリンエンジンを搭載する2600スーパーツーリングを追加(本来は北米向けだった)。ラムダは当時の刑事ドラマ「華麗なる刑事」(フジテレビ)において、田中邦衛、草刈正雄が乗車して一躍有名になった。歴代のギャランシリーズで最も販売台数が多かったのはこの3代目である。
また、このラムダは、北米では当時、クライスラーの販売網で「プリムス・サッポロ」の車名で販売されていた。
[編集] 4代目(1980年~1983年)
1980年登場。全体的にキープコンセプト。国産車初の2300ccディーゼルターボ搭載車も数ヵ月後に追加。大ヒットした先代モデルと違いあまりヒットしなかったため、登場1年後の1981年に大幅なマイナーチェンジを実施。これに伴い2000ccのガソリンエンジン車にECIターボ搭載車を一部に設定。ギャランΣのCMには高倉健が起用される。一方、エテルナΣのCMには星野知子を起用。
1989年、石原プロモーションが製作し、三菱自動車が提供した刑事ドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」(テレビ朝日)で、スタント車としてタクシーや教習車落ちの車が大量破壊された。
[編集] 5代目(1983年~1987年)
1983年登場。駆動方式がFFに変更され、Λ(ラムダ)が廃止される。LPGエンジンのタクシー仕様は1999年まで製造され、主に地方都市を中心に使われていた。
1984年、2000スーパーエクシード追加。新開発の可変バルブ機構付「シリウスDASH 3×2」エンジン(のちに「サイクロンDASH 3×2」に改名)を搭載する。G63B型SOHC4気筒12バルブインタークーラーターボ、最高出力は200馬力(グロス)。ちなみにこのエンジンはスタリオンの2000GSR-Vにも同時搭載されている。また、同年10月には4ドアハードトップを追加。1990年まで製造され後のディアマンテ/シグマとなる。1986年にはハードトップにV6・2000が追加され1989年V6.3000のデュークが追加された。
1985年、特別仕様車「EXE(イグゼ)」が登場。生産累計300万台達成記念として設定されたが、6代目、7代目でも設定された。なお、EXEというネーミングは当時三菱自工に所属していた篠塚建次郎が名付け親らしい。
[編集] 6代目(1987年~1992年)
1987年登場のスポーツセダンの「E30系」ギャランVR-4は、「ACTIVE FOUR」と呼ばれた当時としては様々なハイテク装備を揃えていた。今も「ランエボ」ことランサーエボリューションに搭載される2Lの4G63DOHC16バルブインタークーラーターボエンジンは、当初205psだったのが220ps→240psとマイナーチェンジ毎にパワーアップしていった。(AT車は210ps)
スバル・レガシィ(初代)やトヨタ・セリカと共に世界ラリー選手権 (WRC) にて使われ、ランエボ登場まで三菱のラリーウエポンであり、今でも三菱最強車という人もいるくらいである。
刑事ドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」に渡哲也扮する倉本班長の特殊車両としても登場した。
VR-4以外のラインアップにはAMGによるチューニングを施したNAモデル、電子制御アクティブサスペンションを装備した「VX-S」などがあり、カープラザ店で販売される姉妹車のエテルナは5ドアハッチバックとなった (エテルナは他に、ルーフを若干低めにした4ドアセダンもあり、「SAVA(サヴァ)」のサブネームが付く、トヨタ自動車が同時期に出してきたカリーナED・コロナエクシヴを意識していた)。1987年のカーオブザイヤーを受賞した。
1989年4月には1.8LモデルにDOHCエンジンを搭載した「1.8ヴィエント」を追加。同年10月に全車マイナーチェンジを実施。
[編集] 7代目(1992年~1996年)
1992年登場の「E5,E6,E7,E8系」ギャランは「E30系」のボクシーデザインから一転して丸みを帯びた3ナンバーボディに新開発の6A系のV6エンジンを主力として採用し、ATにはファジイ制御を取り入れるなど電子制御満載であった。 VR-4は6A12ツインターボのV6 2LエンジンでMT車240ps、AT車215psとなった。途中6A12 MIVECエンジン(200ps)を搭載したVX-Rも設定された。
姉妹車としてカープラザ店向けにエテルナ、ハードトップのエメロード、5ドアハッチバックにRV要素を付加したギャランスポーツが設定されていた。しかし、前モデルでの成功からデザインの思い切った冒険ができず、また、無意味に肥大化した車体などから商業的には失敗に終わる。
不具合としてVR-4でエンジンフライホイール破損 破片がボンネット突き破り等発生。
[編集] 8代目(1996年~2005年)
1996年に登場した「EA/EC」系は、世界で初めて量産車にガソリン直噴エンジンのGDIを搭載したVR-G/Viento系(1.8L→2L,2.4L)とスポーツセダングレードのVR-4が設定され、VR-4には6A13ツインターボ V6 2.5Lエンジン280ps(ATは260ps)にAYC、ASC等の先進技術を投入した。「E30系」を彷彿とさせるデザインで、フロントコーナーを斜めに切り落としたような「C面カット」を採用した。1996年のカーオブザイヤーを受賞した。ちなみにこの8代目はフロントマスクの造形から『ガンダムルック』という愛称を持つ(ただし8代目に限った事ではないが)。
また、同車には警察の捜査車両向けにスチールホイールや黒色ドアノブ&ミラーなど装備の質を落としたVE(受注生産)も存在する。当初は警察専用だったが後に市販された。登場初期で導入されたためにトラブルが続出し、リコール隠しも発覚したために、これ以来三菱車が国費で大量導入されることはなくなった。
姉妹車としてワゴンボディのレグナム、カープラザ店向けのエテルナの代わりにアスパイアが設定されていたが、両モデルとも廃止された。ギャランはスポーツセダンでは無くなった。 また、警察の高速隊には一部VR-4を導入しているが全国で10台程度と非常に少ない。
2005年6月15日、折からのセダン型乗用車需要の低迷を理由に、日本における中大型セダン市場からの撤退を決定、同年12月にディアマンテと共に国内販売を終了。国内市場では36年の歴史に幕を降ろした。
[編集] 9代目(海外専売車種、2003年~)
北米専用車種として開発が進められ、「プロジェクトアメリカ」シリーズの第二弾として2003年のニューヨーク自動車ショーで発表された。トヨタ・カムリ、ホンダ・アコード、日産・アルティマといった競合車種と比較して、ボディサイズやエンジンの総排気量(上級グレードにはV6 3.8Lを搭載)が大きいのが特徴で、外観もアメリカナイズされている。しかしながら販売台数は三菱の期待ほどに伸びていないため、2006年にはロシアや中東諸国への輸出を開始して米国工場の稼働率の向上を図ることになった。
また、台湾では三菱自動車のビジネスパートナーである中華汽車によって前後デザインが大幅に変更され、所謂ブーレイ顔を与えられたモデルが「ギャラン・グランダー」(Galant Grunder)の名称で販売されている。さらにオセアニアでもフロントデザインを若干修正したものがマグナ/ベラーダの後継車種として「380」の名称で販売されている。(英語版Wikipediaの記事)
なお、2008年以降に投入される次期型は全世界統一モデルとなり、生産を米国工場に集約して欧州市場や日本市場等へ輸出する予定である。
[編集] 名前の由来
- 『GALANT』は、フランス語の「勇ましい、華麗な」という意味。
[編集] CM・キャッチコピー
- 「大いなる一日の出発(たびだち)」
- 「私達は、追いついただろうか、彼らに。」(1978年)
- 「セダンの本流をめざす」(1980年)
- 「みがかれたΣスタイル」(1982年~1983年)
- 「精悍、走りのクオリティ・セダン」(1983年)
- 「惚れ惚れシグマ」(1983年)
- 「風来坊。」(1984年)
- 「抜き去る男、サイレンサーだ。」(1984年)
- 「トップを知った男のハードトップ」(1984年)
- 「都市の車は、人間です。」(1985年)
- 「静かなるゆとり、サイレンサーだ。」(1985年)
- 「クオリティ・バランス」(1985年)
- 「私を写すハードトップ。」(1985年)
- 「私は、さすがです。」(1986年)
- 「よくぞ男に生まれけり。」(1986年)
- 「基準は人間の触感です。」(1987年~1989年)
- 「THE INDIVIDUAL 4DOOR」(1987年~1990年)
- 「私を刺激する新しいクルマのカテゴリー」(1987年)
- 「ギャラン、速さの優越。」(1989年)
- 「新しい人へ。」(1989年~1990年)
- 「きっと、もっと、走りたくなる。」(1989年)
- 「4DOOR SPORTS」(1990年~1992年)
- 「エスカレーション。ギャラン」(1992年)
- 「INDIVIDUAL PRESTIGE」(1992年)
- 「全機能向上。最高のギャランになる。」(1993年~1994年)
- 「GTの走りと、RVの楽しさ。」(1994年(ギャランスポーツ))
- 「GDIギャラン」(1996年~1998年)