三式中戦車
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三式中戦車 | |
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性能諸元 | |
全長 | 5.73 m |
車体長 | |
全幅 | 2.33 m |
全高 | 2.61 m |
重量 | 18.8 t |
懸架方式 | |
速度 | 38.8 km/h |
行動距離 | 210 km |
主砲 | 三式75mm戦車砲×1 (弾薬搭載量 70発) |
副武装 | 九七式7.7mm車載重機関銃×1 (弾薬搭載量 3,670発) |
装甲 | (車体) 前面50mm 側面25mm 後面20mm |
エンジン | 統制型一○○式ディーゼルエンジン 4ストロークV型12気筒空冷 240馬力 |
乗員 | 5名 |
三式中戦車 チヌは、大日本帝国陸軍装備の一式中戦車チヘの攻撃力強化型で、当時開発だった四式中戦車及び五式中戦車が実用化されるまでの繋ぎとして急遽開発された日本初の75mm砲を搭載した戦車である。
目次 |
[編集] 背景
開戦初期に苦戦を強いられたM3軽戦車に対しては九七式中戦車改と一式中戦車が量産され対抗できるようになったが、アメリカ軍はM4中戦車を大量に配備してきたために優位性が失われ、これに対抗する戦車が 必要となっていたが、新型の四式中戦車と五式中戦車は開発中で量産はまだ先のことだった。そこで一式中戦車の武装を更に強化した三式中戦車が開発されることになった。
[編集] 開発
早急な戦力化が要求されたため、改装は必要最小限に留められており、これによって短期間での開発が可能となったが、野砲が原型の戦車砲を搭載した為、駐退器の砲塔外への露出や砲塔が車体と比べて過大になる等の不利な点も生じてしまった。
本車が搭載している「三式7センチ半戦車砲II型」は九○式野砲を車載出来るようにしたもので、初速668~680m/秒、射程1000mで65mmの装甲板を貫徹可能だったが、連合国軍のシャーマンに対して威力不足な点は否めなかった。三式もM4もフランスのシュナイダー社の75mm野砲の発展・改良型を搭載していたが、戦車用に改良されたM4の物に比べ、三式の物は改良する時間が無かった為、野砲ほぼそのままであり、また冶金技術の遅れや、高価な材質を使えない経済的事情から徹甲弾の性能でも大きく劣っていた。また、通算211輌目からは攻撃力向上のため、五式75mm戦車砲の搭載し、更に攻撃力を強化することを予定した三式中戦車改が生産されることになっていた。
主要生産型に搭載された三式75mm戦車砲であるが、当時の米軍主力戦車M4中戦車“シャーマン”の装甲は砲塔前面で76mmに達し、また鋳造製造(つまり装甲の繋ぎ目がない)、車体前面が約50度傾斜している(避弾経始を考慮している)ことから、実戦ではおよそ100m(存速500m/秒)で貫通できると考えられていた。(ただし、戦車用法によれば運が非常に良ければ射程600mで撃破可能とされており、また三式75mm戦車砲の原型砲を搭載した一式砲戦車が約500mでシャーマンの前面装甲を貫通した事例も報告されている。)
また、砲の駐退制御にガスを用いていて、そして三式中戦車には換気扇が装備されていなかった。この為、戦闘時に密閉状態で射撃を行うと砲塔にガスが溜まり戦闘継続が困難になる可能性があった。
防御力は一式中戦車と同等(前面50mm)だったが、M4中戦車の搭載砲(75mm級)に耐えられるものではなかった。その為四式中戦車生産用の資材を流用して、前面装甲を強化する案も存在した。
機動力は重量増加により悪化し、路上最高速度は九七式中戦車と同程度なまでに低下した。
以上のことを考えると、戦闘において機動力に優れるM4に対し戦車本来の機動戦闘を行うことは限りなく困難(砲の威力が不足し、かつ機動で距離を詰める事もできない)である。従って本車の最適な運用はあらかじめいくつかの戦車壕(砲塔だけ出して射撃できる様な土盛り)を作っておき、敵戦車を十分ひきつけた後射撃開始、敵戦車や航空機からの反撃が来る前に陣地を変更して射撃継続、というような「移動トーチカ」的なものにならざるを得ない。
[編集] 生産と配備
三式中戦車は当時量産中の一式中戦車の改修型だったため、量産体制の移行は容易だったが、製造開始時期の遅さ(1944年12月製造開始)もあり終戦までに166両(昭和19年55両、昭和20年111両)が生産されたに留まっている(生産数については諸説あり、他に60両説などがある)。
166両生産説を採ると、終戦時の部隊配備は以下のようなものと考えられる。
戦車第1師団(満州より北関東地区に転進)-2個連隊(1個連隊毎に2個中隊程度)
戦車第4師団(千葉付近に展開)-3個連隊(上に同じ)
独立戦車旅団-1個連隊(機動打撃兵団と歩戦協同戦闘を行う)および1個中隊(陣地守備用か?)
量産された分は日本国内の戦車部隊に配備され、本土決戦に備えて温存される事となったがアメリカ軍戦車と砲火を交える事はついになかった。
終戦に伴い、大半の三式中戦車は破壊されたが、二両だけが残され、その一両が土浦の武器学校に展示されている。
[編集] バリエーション
[編集] 三式中戦車改
三式中戦車を更に改良した九七式中戦車系列の最終形式である。従来のラインにある三式中戦車を改良して連合軍戦車に正面から対抗できる能力を持たせることが目的だったようである。
四式中戦車や五式中戦車等に搭載された五式戦車砲(四式7.5cm高射砲の車載タイプ)を搭載して攻撃力を更に強化し、溶接を多用することで車体強度も強化されている。また、若干の装甲強化も予定されていた
211号車以後にこの要目で生産される予定だったが、その前に終戦を迎えたため、結局生産されずに幻のまま終わっている。なお、五式戦車砲の搭載法については四式中戦車の砲塔をそのまま載せるか、従来の三式中戦車の砲塔に搭載する二つの案が考案されていたそうである
[編集] 関連項目
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