丁奉
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丁奉(ていほう、?-271年)は、中国三国時代に呉に仕えた武将。字は承淵。弟に丁封をもつ。
孫権の時代から呉に仕えた。若い頃から勇将で名を馳せ、いくつもの武功を挙げたという。孫権時代に活躍した甘寧や陸遜らなどとは一世代若い人物であったため、彼らが存命中はその指揮下に入って戦った。
やがて陸遜らが亡くなると丁奉の存在は呉において重きに置かれることとなり、孫権の後を継いだ孫亮の時代には、冠軍将軍・都亭侯に封じられる。その後、孫権が死んだ隙を付いて攻め込んできた司馬昭率いる魏軍を大いに破るという功績を立て、滅寇将軍に封じられた。
孫休が呉の第3代皇帝として即位すると、孫綝(綝は糸偏に林)を打倒するクーデターにて大いに活躍し、その功績によって大将軍にまで任命された。そして孫皓が第4代皇帝として即位したときは、右大司馬にまで封じられた。丁奉は、孫権時代からの宿老であったことと武勇が長けたこと、そして呉も末期に入ると丁奉ほど優れた武将が現れなかったということもあって、大いに位を極めることとなったのである。
しかし、晩年の丁奉は昇進するにつれて、傲慢になったと言われている。