マクラーレン F1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクラーレンF1(McLaren F1)は、F1コンストラクターであるマクラーレン社が1991年に発表したスーパースポーツカー。
創始者であるブルース・マクラーレンの果たせなかった、「マクラーレンの名を冠したロードゴーイングカー」を体現した車である。 デザインはブラバムやマクラーレンのF1マシンの設計者である、鬼才ゴードン・マーレーの手によるもの。
[編集] 機構・スタイル
ガルウイングドア、グループCカーを連想させるような戦闘的且つ空力を有効活用するスタイリングなど特徴は多岐に渡るが、この車の最大の特徴は、非凡な運動性を実現するべく、重量配分に関わるレイアウトを徹底的に煮詰めているところにある。
まず、ドライバーシートがセンターに置かれ、その左右に若干後退して助手席が配置される、市販車としては類を見ない独創的なものになっている。これは、運転手一人だけが乗車していることと仮定して、運転席を中央に配置することにより、左右どちらかに重量が偏るのを防ぐことが挙げられる。そういった配慮はシート配置だけではなく、エンジンなどの重量物は勿論のこと、トランクルームでさえも、運動性能向上のためには望ましい、ホイールベースの内側に入れてしまう徹底振りである。
ボディはF1マシン譲りのカーボンファイバーコンポジット材で成型された軽量モノコックボディで、40以上のピースを接着剤で貼りつける構造を持ち、フロアにはアルミハニカムをカーボンファイバー材で挟み込んだ高剛性素材が使用されている。徹底的に金属素材の使用を排除していった結果、モノコックボディ単体で(開発時の目標が達成されているとするならば)180kg、エンジンなどを含めた総重量で1140kgと、驚異的な軽さに仕上がっている。
ミッドシップにマウントされているエンジンはBMWモータースポーツGmbh社製。もともとはBMW・8シリーズに同社が手を加えた「M8」に搭載されるはずであったが、結局生産されずにお蔵入りとなってしまったもの。S70/2型というコードがつけられたこのエンジンは、6.1リッターV型12気筒48バルブDOHCエンジンで、出力はリッター100馬力を超える627馬力を達成している。ロードカーとはいえども、エンジンの特性そのものはレーシングカーに近く、エンジン本体の鋭いレスポンスもさることながら、カーボン製小径クラッチプレートを使用した多板式クラッチの慣性重量の低さがそれを助長している。
6速ギアボックスは縦置きではなく横置きとなっており、エンジンに組みつけられた状態でも非常にコンパクトであり、またリアサスペンションのアームもギアボックスに取り付けられ、サスペンションからの負荷を負う構造となっていて、この辺りもレーシングカーの常套句を取り入れた設計となっている。
ブレーキシステムは前後ともブレンボ製4ポッド。冷却性向上のために穴の穿たれたドリルド・ベンチレーテッドディスクで、剛性の高いモノブロック式となっている。当初、F1マシンにも採用されているカーボンディスクブレーキも検討されていたようだが、結局ロードカーの実用面での問題を解決することが出来ずに見送られている。
サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン式で、フロント側はアルミ鋳造のロッカーアームでロッドを押し、横倒しになったコイル&ダンパーを作用させるプッシュロッド式が採用されている(リアは常識的な配置の直立式)。
マクラーレンF1の車両特性を語る種として、マクラーレン・レーシングのチーム監督であるロン・デニスが、鈴鹿サーキットでのデモンストレーション走行で自らこの車のチェックをするためにステアリングを駆ったが、スピンさせてクラッシュ(ちなみに、横にはF1ドライバーであるゲルハルト・ベルガーも乗っていた)させてしまったという過去があるが、これは要するに、1億円という金額を提示して購入する車であるのに、ABSやトラクションコントロールなど、ドライバーに安楽な運転を提供する電子デバイスがほぼなにもなく、また操縦特性も極めてレーシングカー的で、相応の運転技術を身につけたドライバーでなければ容易には操れないことを意味する(なお、ロン・デニスがクラッシュさせた件についてはベルガーがサイドブレーキを引く悪戯をしたためだという説もある)
しかし、このスーパーカーの性能を物語る上で、こんな逸話もある。 本来市販車をレーシングカーに仕立て上げる場合は、とても高度なチューニングを行い市販車とはまったくの別物に作り上げることが当たり前だが、マクラーレンF1は、走行性能に影響するチューニングはリストリクターを付け、レース用(ただし、それ専用のマシンに比べたらおとなしい程度の)空力パーツを追加しただけという、いわば市販車よりデチューンされた状態の車でホモロゲーションを取り、マクラーレンF1-GTRとしてル・マン24時間レースに出場し、見事勝利を掴み取ることに成功している。
そして、ノーマルの状態で最高速テストを行い、371km/hのギネス記録を達成したものの、これはあくまで参考記録であり、公式な記録ではないために非公認上の数値となっている。無論、ギネスブックにも掲載されていない。
その後となる1998年3月、ドイツのヴォルフスブルクにある、9kmの直線区間を有するフォルクスワーゲンのテストコースにおいて、殆どノーマルの状態で最高速テストを行い、386.7km/hを公式に記録した。(参考1)240mph McLaren F1 Shatters World Record.(参考2)[1]
[編集] レース活動
採算を度外視し妥協することなく作られたこのF1は、公道を走ることにおいては間違いなく史上最強のスーパーカーであると同時に、レースにおいてもいくつも好成績を残しており、1995年のル・マン24時間レースでは関谷正徳らが運転する国際開発UKのマシンが総合優勝を果たした。 なお、このマシンがレース活動を行うにあたっては、FIA-GP選手権の母体となったBRPシリーズに参戦していた数多くのジャントルマンドライバーと呼ばれるアマチュアドライバーの要望に沿って行われるところから始まっており、当初は最低限の改造を施したのみのマシンマクラーレンF1-GTRを供給している。 チームのコストと要望等により、上位チームはブレーキがカーボンであったのに対し、下位チームは鋳鉄製ブレーキだったと言われている。(JGTCに参戦したチームラークマクラーレンは、マクラーレンF1GTRであり、1996年のGT500クラスにて総合優勝を果たしている。)
そして、テールエンドを後方に伸ばし、空力特性を向上させたマクラーレンF1-GTR LMでFIA-GT選手権やル・マン24時間レースにも参戦。その後、エンジンがBMWだったこともあり、BMWのル・マンにおけるワークス活動においても使用されていた。(その後、F1ウイリアムズとの提携により、LMPクラスへ鞍替えすることとなる)