フェンウェイ・パーク
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フェンウェイ・パーク | |
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America's Most Beloved Ballpark | |
施設統計 | |
所在地 | 4 Yawkey Way Boston, MA 02215 |
起工 | 1911年 |
開場 | 1912年4月20日 |
所有者 | ボストン・レッドソックス |
グラウンド | 天然芝(Bluegrass) |
建設費 | 65万ドル |
設計者 | オズボーン・エンジニアリング |
建設者 | James McLaughlin |
使用チーム、大会 | |
ボストン・レッドソックス(開場~現在)、 ボストン・ブレーブス(1915年) 、 ボストン・レッドスキンズ(1933年~1936年) 、 ボストン・ヤンクス(1944年~1948年) ボストン・ペイトリオッツ(1963年~1968年) |
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収容能力 | |
35,000人(開場時)、35,500人(1947年)、 35,200人(1949年)、34,824人(1953年)、 34,819人(1958年)、33,368人(1960年)、 33,357人(1961年)、33,524人(1965年)、 33,375人(1968年)、33,379人(1971年)、 33,437人(1976年)、33,513人(1977年)、 33,538人(1979年)、33,536人(1981年)、 33,465人(1983年)、33,583人(1985年)、 34,182人(1989年)、34,171人(1991年)、 33,925人(1992年)、34,218人(1993年)、 33,577人(2001年:デーゲーム)、 33,993人(2001年:ナイター)、 36,298人(2004年)、38,805人(2006年) |
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規模 | |
左翼 - 310 ft (約94.5 m) 左中間 - 379 ft (約115.5 m) 中堅 - 390 ft (約118.9 m) 中堅最深部 - 420 ft (約128.0 m) 右中間 - 380 ft (約115.8 m) 右翼 - 302 ft (約92.0 m) バックネット - 60 ft (約18.3 m) |
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フェンスの高さ | |
左翼 - 37 ft (約11.3 m) 中堅 - 17 ft (約5.2 m) 右翼 - 5 ft (約1.5 m) |
フェンウェイ・パーク(Fenway Park)は、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンにある野球場。MLBボストン・レッドソックスの本拠地球場である。1915年のシーズン開幕から途中まではボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)も本拠地にしていた。
また、野球以外にも使用されていたことがある。1933年から1936年までNFLボストン・レッドスキンズ(現ワシントン・レッドスキンズ)、1944年から1948年までボストン・ヤンクス(1948年に解散)、1963年から1968年までAFL(アメリカンフットボールリーグ)のボストン・ペイトリオッツ(現ニューイングランド・ペイトリオッツ)も使用していた。
かつてデトロイト・タイガースの本拠地だったタイガー・スタジアムと同じ1912年4月20日にオープンした球場である。1999年にタイガー・スタジアムが閉鎖されてからは、大リーグで使用されている球場の中では最も古い球場となっている。
観客席の間隔の狭さや視界を遮る柱などファンに不便な点が多く、またロッカールームや通路の狭さなど選手から不満の声も漏れる。しかし球場がもつ伝統と独特な雰囲気は今でも多くのファンを引きつけてやまない。キャパシティの小ささとレッドソックスの人気が相まって、今では大リーグで最もチケット入手が難しい球場である。ボストンにおける主要なランドマークの一つとなっており、球団オーナーのジョン・W・ヘンリーは「パリ(フランス)にエッフェル塔があるように、ボストンにはフェンウェイ・パークがある」と述べている[1]。
目次 |
[編集] 球場の歴史
1901年のアメリカンリーグ創設時から参加していたボストン・ピルグリムスは、ハンティントン・アベニュー・グラウンズを本拠地にしていた。しかし同球場は木製だったため、火事の危険性が常につきまとっていた。1904年に球団を買収したジョン・I・タイラーは、1907年に球団名をピルグリムスからレッドソックスに変更した。続いて1910年、タイラーは新球場建設を発表した。
1911年に建設が開始され翌1912年に完成した新球場は、ボストン中心街のフェンウェイ地区に建設されたことから、タイラーが“フェンウェイ・パーク”と名付けた[2]。初試合は、当初予定されていた試合が2度も雨天延期になった後の1912年4月20日、27,000人の観客の前でレッドソックスはニューヨーク・ハイランダーズ(現ヤンキース)を延長戦の末に下した。
当時はボストンに大リーグ球団がもう一つあった。ボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)である。フェンウェイ・パークの完成の数年後に建てられたブレーブスの本拠地球場ブレーブス・フィールドは、フェンウェイ・パークよりも多くの観客を収容できた。そのためレッドソックスは、1915年のワールドシリーズなどの大観衆が見込める試合はブレーブス・フィールドで行った。
1926年5月8日、フェンウェイ・パークで火災が発生した。これを機にフェンウェイ・パークは改修を行うようになった。改修はその後現在に至るまで、必要にあわせて度々行われている(後述)。
「老朽化」や「収容人員の小ささ」という欠点を解消するため、レッドソックスは何度か新球場計画を発表したが、その度にファンから大きな非難を浴びて断念している。そのためレッドソックスは席の増築を繰り返して入場料収入の増加に努めている。入場料金の値上げもたびたび行われ、チケットの平均価格は1998年から9年連続30球団トップの高さであるが、それでもチケットは常時売り切れ状態であり、2003年途中から2006年シーズン終了時まで307試合連続チケット完売となっている。
[編集] フィールドの特徴
本塁から左翼までが310フィート(約94.5メートル)しかない。そこで容易に本塁打が出るのを防ぐため、高さ37フィート(約11.3メートル)の巨大なフェンスが設置された。このフェンスは通称グリーン・モンスターと呼ばれている。しかし、高く上がったフライは結局はフェンスを越えてしまうため、フライ系の打球が多い右打者には非常に有利となっている。
左翼とは対照的に右翼線は深くなっており、左打者にはやや不利。中堅も最深部が420フィート(約128.0メートル)と深く、そのフィールドの形からザ・トライアングルとも呼ばれる。
以上のように「左翼が狭く中堅・右翼が広い」という特徴をもつ。ただ、ファウルグラウンドが非常に狭いので全体的には投手より打者のほうが有利な球場となっている。
[編集] 外野の広さの変遷
年度 | 左 翼 | 左中間 | 中 堅 | 中 堅 最深部 |
右中間 | 右 翼 |
---|---|---|---|---|---|---|
1921 | 324 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | 313.5 |
1922 | 324 | 不明 | 488 | 550 | 不明 | 313.5 |
1926 | 320.5 | 不明 | 488 | 550 | 不明 | 358.5 |
1930 | 320 | 不明 | 468 | 550 | 不明 | 358 |
1931 | 318 | 不明 | 468 | 593 | 不明 | 325 |
1933 | 320 | 不明 | 468 | 593 | 不明 | 358 |
1934 | 312 | 379 | 388.67 | 420 | 不明 | 334 |
1936 | 315 | 379 | 388.67 | 420 | 不明 | 332 |
1938 | 315 | 379 | 388.67 | 420 | 不明 | 322 |
1939 | 315 | 379 | 388.67 | 420 | 405 | 332 |
1940 | 315 | 379 | 388.67 | 420 | 382 | 304 |
1942 | 315 | 379 | 388.67 | 420 | 381 | 302 |
1943 | 315 | 379 | 388.67 | 420 | 380 | 302 |
1954 | 315 | 379 | 390 | 420 | 405 | 302 |
1995 | 320* | 379 | 390 | 420 | 405 | 302 |
※単位はフィート、1フィート≒30.48センチ
*それまでの315フィートという値が計測ミスだったため測りなおし、修正された値。
[編集] 名場面から名付けられたもの
フェンウェイ・パークで起こった数々の名場面から、“グリーン・モンスター”以外にも愛称が定着した箇所が様々ある。
- 右翼ファウルポール:ペスキーズ・ポール
右翼のファウルポールは“ペスキーズ・ポール”(Pesky's Pole)と呼ばれている。ペスキーとは1942年から1952年シーズン途中まで(第二次世界大戦中の1943年から1945年を除く)レッドソックスでプレイした左打ちの内野手ジョニー・ペスキーのことである。
ペスキーは8年間で13本の本塁打を放った。そのうちフェンウェイ・パークでは6本を放っている。当時のフェンウェイ・パークの右翼は狭く、公称では302フィート(約92.0メートル)となっていたが、航空写真を元にした推測ではそれより短かったという。
ペスキーによると、かつての同僚の投手メル・パーネルが、レッドソックス専属キャスターとしてある日の試合を担当した際、右翼ポール際ギリギリで入った本塁打を観てペスキーの話を始めたという。その後1980年代後半から1990年代前半にかけて“ペスキーズ・ポール”という言葉が定着した[3]。
2006年9月27日、ペスキー87回目の誕生日に、レッドソックスは公式に右翼ファウルポールを“ペスキーズ・ポール”と名付けた。
- 左翼ファウルポール:フィスク・ファウルポール
1975年のワールドシリーズはレッドソックスとシンシナティ・レッズの顔合わせだった。レッズの3勝2敗で迎えた第6戦、試合は6-6のまま延長戦に入っていた。
延長12回裏、打席に入ったカールトン・フィスクは、左翼ポール際に飛球を放った。飛距離は十分だが、フェアかファウルかは微妙な打球だった。フィスクは一塁へ走るかどうか迷ったあげく、その場で飛び跳ね両手を大きく右へ振った。打球はポールへ直接当たり、サヨナラホームランとなった。レッドソックスは続く第7戦に敗れたため世界一を逃したが、フィスクのこの動作は“フィスク・ダンス”としてファンに記憶された。この試合は、ボストンを舞台にした1997年の映画「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」において、主人公ウィルとカウンセラーの会話の中に出てくるほど有名である。
2005年のインターリーグでのレッズ戦の試合前にセレモニーが行われ、左翼ポールが“フィスク・ファウルポール”(Fisk Foul Pole)と名付けられた。
- 右翼スタンドの座席のうちの1つ:ローン・レッド・シート
右翼スタンドの座席のうち、たった1席だけが赤くなっている。これは、1946年6月9日にテッド・ウィリアムズが放ったフェンウェイ・パーク史上最長の本塁打(グリーン・モンスターを越えた場外本塁打は飛距離計測不能のため除く)の落下点である。公式にはこの本塁打の飛距離は502フィート(約153.0メートル)と発表されており、落下点の座席 Section 42, Row 37, Seat 21 が赤く塗られ“ローン・レッド・シート”(Lone Red Seat)と呼ばれるようになった。
- 左翼グラウンドにあった土手:ダッフィーズ・クリフ(※現存せず)
開場から1933年まで、左翼フェンス前には土手があった。左翼ポールから中堅にかけて広がるその土手は、高さ10フィート(約3.0メートル)はあったといい、フェンウェイ・パークで守備に就く左翼手はその土手を登り降りしながら打球を処理していた。
土手の愛称になったダッフィーとは、1910年から1917年までレッドソックスに在籍した外野手ダッフィー・ルイスのことである。ルイスのこの土手での打球処理が素早くて上手かったことから“ダッフィーズ・クリフ”(Duffy’s Cliff)という愛称になった。
1934年、1月5日に発生した火事で破損した部分の補修が行われ、その際にこの土手を平らにしたため、ダッフィーズ・クリフは現存していない。野球場のフェアグラウンド内に土手があった例としては、他にクロスリー・フィールド(オハイオ州シンシナティ)の“テラス”、ミニッツ・メイド・パーク(テキサス州ヒューストン)の“タルの丘”が挙げられる。
[編集] 増改築の歴史
フェンウェイ・パークは時代のニーズに合わせて増改築を繰り返してきた。
- 1934年:高さ25フィート(約7.6メートル)の左翼フェンスが火事で焼失したため、37フィートの新フェンスを建設。
- 1936年:左翼フェンスを越えた場外ホームランが近所の建物の窓に直撃し窓が割れるのを防ぐため、フェンスの上にネットを設置。
- 1940年:右翼にブルペンを設置。右翼フェンスが前にせり出した形となり、強打の左打者テッド・ウィリアムズの本塁打が増えた。
- 1975年:シーズン終了後、外野席後方に130万ドルをかけてビデオスコアボードを設置。また記者席にもエアコンを設置した。
- 1983年:バックネット裏上部にあった記者席を移動させ、跡地にラグジュアリー・ボックスを設けた。
- 2002年:グリーン・モンスター上部に観客席を設置。収容人員を増やすと同時に、ファンに新たな観戦地点を提供した。
- 2006年:ガラス張りのラグジュアリー・ボックスに「息苦しく、グラウンドから隔絶されている」と文句が出てきたため、ガラスを撤去した。
[編集] 主要な出来事
- 1912年4月20日、ハイランダーズ(現ヤンキース)戦で開場(レッドソックス 7-6 ハイランダーズ)。
- 1941年7月25日、レフティー・グローブが通算300勝を達成した。
- 1946年7月9日、オールスターゲーム開催(ア 12-0 ナ)。
- 1961年7月31日、オールスターゲーム(第2戦)開催(ア 1-1 ナ)。9回終了時雨天コールドとなり、オールスター史上初の引き分け試合となった。
- 1979年9月12日、カール・ヤストレムスキーが通算3000安打を達成した。
- 1986年4月29日、ロジャー・クレメンスがマリナーズ戦で史上初の1試合20奪三振を記録した(レッドソックス 3-1 マリナーズ)。
- 1999年7月13日、オールスターゲーム開催(ア 4-1 ナ)。地元レッドソックス(当時)のペドロ・マルティネスが先発投手として2回を無安打無失点5三振に抑え、MVPを獲得した。
- ワールドシリーズ開催:1912年、1914年、1918年、1946年、1967年、1975年、1986年、2004年
[編集] 外部リンク
前本拠地: ハンティントン・アベニュー・グラウンズ 1901 ~ 1911 |
ボストン・レッドソックスの本拠地 1912 ~ 現在 |
次本拠地: n/a ~ |
前本拠地: サウス・エンド・グラウンズ 1871 ~ 1914 |
アトランタ・ブレーブスの本拠地 1915 ~ (シーズン途中まで) |
次本拠地: ブレーブス・フィールド 1915 ~ 1952 |
前本拠地: ブレーブス・フィールド 1932 ~ (1シーズン限り) |
ワシントン・レッドスキンズの本拠地 1933 ~ 1936 |
次本拠地: グリフィス・スタジアム 1937 ~ 1960 |
前本拠地: ニッカーソン・フィールド 1960 ~ 1962 |
ニューイングランド・ペイトリオッツの本拠地 1963 ~ 1968 |
次本拠地: アルムニ・スタジアム 1969 ~ (1シーズン限り) |
MLBの本拠地球場 MLB Ballparks | ||
ナショナルリーグ(National League) | アメリカンリーグ(American League) | |
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