イエンス・ペーター・ヤコブセン
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イエンス・ペーター・ヤコブセン Jens Peter Jacobsen(1847年4月7日-1885年4月30日)は、デンマークの詩人・小説家。
[編集] 生涯と作品
ユトランド半島北部の港町ティステッドの富裕な船主および石炭商の子として生まれる。9歳に植物学に熱中し早くもこの地方の全植物を知ったという。この自然科学への興味は生涯続く。16歳からコペンハーゲン大学に入学し植物学を専攻し、同時にゲーテ、シラー、ウィーラントなどのドイツ作家の全作品を読む。18歳にシェークスピアを発見、耽読する。20歳頃に信仰の危機をむかえ、キルケゴール、聖書、フォイエルバッハ、ハイネなどの読書遍歴の末、唯物論者となる。「苦しい内的戦いをへて、宗教を離れた」と後年述懐している。イプセンの『ペール・ギュント』に感動し、自らも北欧のサガに題材をとって物語詩《コルマクとステンゲルデ》、詩と短編の組み合わされた連作《サボテンの花ひらく》に着手、また長編小説『無神論者』の構想を得る。これが後の『ニールス・リーネ』となる。1870年、少し前から婚約していた〈ティステッドの王女〉と呼ばれる美少女との婚約を解消する。熱心なクリスチャンである彼女を自分の無神論と対決させるにしのびなかったとの理由による。1872年《新デンマーク月刊》誌に中篇『モーゲンス Mogens』を発表。また多年にわたる藻類の研究をまとめ、大学より金牌を受賞される。ただ沼や川での無理な採集がたたって、このころから胸を病むようになる。1873年にはチャールズ・ダーウィンの『種の起源』の翻訳を進める一方、長編『マリイ・グルッベ夫人』のために図書館で古文献の蒐集をおこなう。
療養をかねて、ドレスデン、ミュンヘン、プラハ、ウィーン、フィレンツェ、ローマを歴訪する。1876年の末に『マリイ・グルッベ夫人 Fru Marie Grubbe』刊行。これは十七世紀に実在した美貌の貴族女性で、国王の弟・姉婿の騎士・自家の下僕と男性遍歴を重ね、最後は渡船場の女将となったその生涯と内面を描いたものである。反響大きく、諸外国からも翻訳の申し込みをうける。1880年、病が重くなるなか奇跡的に『ニールス・リーネ Niels Lyhne』を故郷の家で完成させる。イプセン、ドイツ詩人リルケなどをも感動させたこの作で、神に反抗し詩作と恋愛で人間性を高揚させようとし、生きる根拠と目的を失いつつ信念を曲げない人物を創造し、〈無神論者の聖書〉と一部の人には呼ばれた。その後も短編『ベルガモの黒死病』『フェーンス夫人』などを発表し、38歳の若さで死去。