利用者‐会話:らりた
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[編集] ノート:宮廷女官チャングムの誓い
ノート:宮廷女官チャングムの誓いのノートについてですが、ほとんど存在しないと言い切るには、当時の服装の状態を全体として通観し、ある程度統計を取る必要があります。という書き込みについて質問です。「ない」という書き込みを打ち消すには、「ある」ことを証明すれば良いだけです。貴殿が主張している通り、「ない」ことを証明するには全てを調べる必要があるからです。そして、ないことを否定する人は「それは全て調べたとは言えない」という言葉で応酬するでしょう。これが悪魔の証明です。「ない」を主張する側が証明するという、「主張する側に義務を負わせる」という話ではありません。
ちなみに、ある程度の統計を取る必要とはどのような手法を取るのでしょうか?統計だけに、数を数えてパーセントを出す話とは違うとお見受けしましたが。Jossi 2006年9月19日 (火) 14:01 (UTC)
確かに統計という言葉はおかしかったようですね。私の言いたかったのは「史料上にあるサンプルをある程度以上集め、それが『派手な衣装は昔にはほとんど存在しない』ということの証明になりうると考えられるだけの物が提示できる状態」を指します。ただしこれだけでは不足であり、それが他者、特に学界に提出され批判を受けることが必要ですが。らりた 2006年9月19日 (火) 14:13 (UTC)
- 冷静な回答で、少し嫌味な書き方をしたことを反省します。仰ることは理解できます。しかし、ある程度以上集めという言葉が曲者なんですね。と言うのは前述の通り、例え99%のサンプルを集めても、それが十分というメルクマールにはなりません。批判する側としては「全部(統計で言うユニバース)じゃない」という言葉だけで否定できるでしょう。だからこそ、「ある」ことを証明すれば、「ない」という主張を全て覆すことができるのです。だからこそ、「ある」ことを証明すれば良いと主張しています。Jossi 2006年9月19日 (火) 14:21 (UTC)
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- こちらもかなりヒートアップしていたようです。失礼しました。確かに「ある」ことを証明すれば一気に解決するでしょうが、それが出来ない場合もあります。ただ「ある」ことが証明できないからといって「ない」ということにはならないということです。ですので「ある」とも「ない」とも証明できない、であるならば「どちらとも言えない」という立場を採るべきであると私は思います。らりた 2006年9月19日 (火) 14:25 (UTC)
- 追記ですが。それが十分というメルクマールは歴史学に於いては存在しません。ある程度が集められた後で、それが学界に提出され他の研究者にもそれで良いであろうと認められればそれが定説になります。他者による批判を受けていない状態ではどんなに高名な学者であろうともそれは「独自の研究」になります。
- そのようなことなので、我々ウィキペディアンがどんなに詳細に史料を読み込んだとしてもその時点では「独自の研究」でしか無い訳です。ご了承ください。らりた 2006年9月19日 (火) 14:35 (UTC)
- こちらもかなりヒートアップしていたようです。失礼しました。確かに「ある」ことを証明すれば一気に解決するでしょうが、それが出来ない場合もあります。ただ「ある」ことが証明できないからといって「ない」ということにはならないということです。ですので「ある」とも「ない」とも証明できない、であるならば「どちらとも言えない」という立場を採るべきであると私は思います。らりた 2006年9月19日 (火) 14:25 (UTC)
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- 1.「ない」と書き込む人がいます。2.「ある」と主張する人が出てきました。3.「ない」ことを証明するのは悪魔の証明なので求められない。4.「ある」ことを証明することもできない。5.「ない」も証明できていないから、「どちらとも言えない」にしましょう。
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- これは、3の悪魔の証明を5で求めているんですよ。それを指摘しているだけです。4を証明すれば、5で3の悪魔の証明を求める必要もありません。Jossi 2006年9月19日 (火) 14:33 (UTC)
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- 競合したようですが、もう一度だけ。
- 上述の通り、我々がどんなに史料を読み込んだとしても「独自の研究」を出ることはありません。ですのでウィキペディア上に記述したい場合は「既存研究者の研究成果」を記述する以外はありません。(自分の研究成果を学界に発表するという手もありますが)
- そして現時点では当該記事では「ある」説も「ない」説も「独自の研究」の域を出ていませんので、「両方記述しない」という態度が正しいと思います。この場合は「悪魔の証明」は関係ありませんよね?らりた 2006年9月19日 (火) 14:39 (UTC)
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- ちょっと軸が変わってきているようですね。Wikipediaは真実を探求する場ではないというのは、お互いに理解していると思いますよ。Jossi 2006年9月19日 (火) 14:42 (UTC)
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話を逸らされそうですが、とりあえず。「高名な学者が…」という件に関して、それはWP:VERIFYの著名人の段から記述には問題ないでしょう。私は、それがWP:NORとコンフリクトするから削除という話を聞いたことがありませんが、実際に起こっていることなのでしょうか?そもそも、高名な学者でも批判を受けていない限り、ORになるというのはどこに書かれていますか?少し興味があるので、記事を例示していただければと思います。Jossi 2006年9月19日 (火) 14:50 (UTC)
- ああ、「独自の研究」という言葉を使ったので誤解を招いたようですが。私が「高名な学者が・・・」と書いたのは歴史学界一般の話です。例を挙げるとすれば平勢隆郎氏とかですかね。知名度は非常に高いですが、学界からは半分無視された状態であり、これを概説書などで無批判に取り上げることはNGになっています。批判を受けていない段階ではあくまで私説に過ぎないということです。
- それと別段、話をそらす気もないのですが。私の主張は「両方証明できないなら両方記述しない」ということに尽きます。らりた 2006年9月19日 (火) 14:56 (UTC)
- 横レス失礼します。私もJossi氏に対して、一貫してらりたさんと同じことを求めています。--Lemon pie 2006年9月19日 (火) 16:53 (UTC)
[編集] 公孫氏の移動について
公孫氏について三国志に限定されないとのことですが、果たして必要だったのか疑問に感じております。少なくとも、手続きとしてまず提起されるべきだと思いますし、突然のことで少々、困惑しました。いずれ分割が必要であるとしても、まずは統一項目である程度充実を図り、区別が必要な段階で行われるのがいいのではないでしょうか。できれば、差し戻しを希望します。--Suifu 2006年9月23日 (土) 13:31 (UTC)
- 直接話をするのは初めてですが、以後よろしくお願いします。
- まず公孫氏と公孫氏 (遼東)は明確に分割されるべきと思っています。何故かと言えば、公孫氏は氏に関する記事ですが、遼東公孫氏は勢力に関する記事です。両者の関係は曹氏と魏のような関係であり、両者を一つの記事中で記述するのは違和感があります。
- 手続きに関しては、一旦提起をしたほうがより万全であったでしょう。謝罪いたします。
- 私としては現在の形で良いと思っていますが、Suifuさんが一つの記事で書くほうが良いと思われるならば、私は差し戻しに反対いたしません。らりた 2006年9月24日 (日) 00:23 (UTC)
ご挨拶が後になり申し訳ありません。なるほど、氏族と勢力を別個に考えるというお説は、学術的にもきわめて丁寧な整理であろうと思います。その点は異論ありません。しかし、項目をわけるかどうかとは別に考えた方がよいと思います。私が何故このようなことを申し上げたのかというと、氏族としての側面、勢力としての側面はあるにしても、公孫氏の項目の中で章節をわければ済んでしまうということはできるのだと思います。内容が広範になり、ひとつの項目で説明するに耐え難い状況になれば分割すればいいのではないかと思ったのです。それを言い出すと、日本の氏族もほぼ家系と勢力両面持ち合わせているために分割が必要になるという議論にもなるからです。例えば武田氏も戦国大名という勢力としての「武田氏」と甲斐源氏の直系としての「武田家」があり、これを別個に建てなければならないのかという議論にもなるからです(もちろん、それなりの内容を備えれば別個にすることも一概に悪いこととはいえませんが)。公孫氏だけなら、私もとやかく申し上げるだけ失礼かなと思ったのですが、いわゆる世襲の君主・封建領主のすべてにも関わる問題と感じたのであえて申し上げました。私は封建領主の説明の場合、ひとつの家系が勢力を形成し、政治主体化していったととらえると、家系と勢力の双方を同じ項目に併記し、章節でわければ済むのではないかという考えです。 もし、項目を分けるべきというのなら、氏族と勢力、いずれの内容が備わってからにしても、遅くはないわけで、急ぐ理由はないのではないかと思いました。故に、この度、不遜にも反対申し上げた次第です。
とはいえ、項目の改正は公論にかけるべきと考えますので、私の一存で戻すことはあえて致さないでおこうと思います。しばらく、様子見をしたく存じます--Suifu 2006年9月24日 (日) 04:10 (UTC)
ところで、勢力としての公孫氏という項目は他の事典・史料等ではどのような扱いなのでしょうか。氏族と別個に勢力としての項目があるのか。ご認識されていたら、ご教示下されば幸いです。--Suifu 2006年9月27日 (水) 12:37 (UTC)
- こちらはちょっと返答をするまでに少し時間がかかります。歴史学事典の類が現在手元にないので。とりあえず『三国志』ではあくまで魏に付随する形でしか言及されていませんし、公孫氏について専門的に研究した研究書もないようです。らりた 2006年9月27日 (水) 13:00 (UTC)
[編集] お返事
弘文堂『歴史学事典』第12巻の「王家と国家」が出典です。「中国古代、西周から春秋までの支配者層は頂点に周王を置き、その下にいわゆる封建を受けた諸侯がおり、卿として仕えた。して、その諸侯のしたには大夫・士が仕えている.(竹内康浩)」1とあります。
1 『歴史学事典 第12巻 王家と国家』弘文堂.2005年.447頁 士ですが、別にそもそも大夫の下位にした者ですが、大夫の衰退後、有力農民が新たな士として登場した旨が出典記事に記されております。一応、お返事まで。
(追記)誤解を招く表現があったようです。どこまで是正できたか客観的な評価を得たいところですが、とりあえず、大夫の説明については、より正確化を期しました。至らない説明でありましたら、申し訳ございませんでした。
※上記において公孫氏についてのコメントもさせて頂きました。--Suifu 2006年9月27日 (水) 12:37 (UTC)
ご返事有難うございます。既に変更なされているようですが『史記』に「斉の桓公、以って卿と為さんと欲す。」という文章があり、卿が諸侯と同じというのは明らかな間違いと思われます。二つ目の疑問に関しては私の読み違いでした。失礼いたしました。らりた 2006年9月27日 (水) 13:00 (UTC)
[編集] 名君の例示無断書き込みに対する対策等について
ごぶさたしております。名君の「有名な名君」部分にときおり無断書き込みがありますので削除し、ノートで議論するよう呼びかけをはじめました。またノートにLibertasさんの「スペインブルボン朝のカルロス3世 (スペイン王)を名君の候補者」にという提案がありますので議論いただけたらと思います。また無断書き込みでしたが李氏朝鮮のハングルなどをつくった世宗 (朝鮮王)の名前の書き込みがありましたが、これについて朝鮮で名君で例示されている人物がいないことから基本的には賛成ですが、無断書き込みであったので繰り返し削除しています。Siyajkak 2006年10月3日 (火) 14:40 (UTC)
[編集] にゅうの件について
にゅうの件、削除依頼を拝見致しました。 背景世界の発展、人工言語の可能性として補遺を行っておきました。 当方222.1.206.184の言葉足らずのため迷惑をおかけいたしました。今後ともいろいろとご指摘くだされば幸いです。 にゅうのほうも今一度ご覧ください。--IDS 2006年10月8日 (日) 07:12 (UTC)
[編集] こんばんわ
らりたさん、こんばんわ。じつは今日はお願いがあって来たのですがノート:韓非で記事内容の妥当性について論争しています。私はガイドラインに基づいて妥当であると思う記述したつもりでそれを主張しているのですが、もしかすると私の理解は適切ではないかもしれないので、らりたさんのような信頼できる方の意見が必要だと思います。とくにらりたさんは九州王朝説での論争についても関わっておられ、今回の議論はその「九州王朝説」との関連性が指摘されています。どうか忌憚ないご意見をうかがえればと思います。--Kanbun 2006年10月30日 (月) 13:18 (UTC)
- 当該ノートでのご意見、どうもありがとうございました。まさしくらりたさんのいう通りで歴史事実についての文献批判という立場の貝塚と、韓非の思想を明らかにするという観点からの文献批判に立つ金谷・内山というような見取りは可能だと思いますし、私もその点で貝塚の韓非の生涯についての異説は存在根拠はあると思います。しかし学問的発展にいまのところつながっていないようだというような感じではないかと思うのです。ただこれについての検証可能な文献での言及がいまのところ見あたらないので直接そのように記事に書けないかなぁ、表現を変えなくてはいけないかなぁって感じだと思うのですが。どうぞ私も見誤りも多いと思いますので、私の意見で納得できない部分なども積極的に言ってくださればと思います。そうすればよい結果になるのではないかと思っています。--Kanbun 2006年10月31日 (火) 12:17 (UTC)
[編集] ヒカルの碁
『ヒカルの碁』の編集についてですが、他の漫画では、どういう見解をしたファンが多いかなどを書いてる(例えば、『ドラゴンボール』の『ドラゴンボールZ』劇場版第1作(ガーリックJrが敵として登場する話)など)のに。)よって、「推測にすぎない」との理由でしたが、それは、理由にならないと思います。政岡幸輔
- どうも、初めまして。お返事が送れて失礼しました。Wikipedia:検証可能性をご覧ください。ファンの間でそのような話が多く流れているとしてもそれを証明するのは難しいでしょう。またこの手の「作品のその後」を空想する話はそれこそ無数のパターンがあると思うのですが、その中でこれだけを取り上げるのはいかがでしょうか。以上のような理由により削除させていただきました。言葉不足であったと思われます。申し訳ありません。らりた 2006年11月21日 (火) 09:31 (UTC)
- 確かに、他にもいくつもの噂が流れているようですし、何作もの同人誌が作られているようですね。納得いたしました。政岡幸輔 (←これの書き方がわからないので、手書き(?)で失礼します。
[編集] 日本文明について
こんばんわ。たった今偶然ノート:日本文明についての井戸端での記述を発見し、少しく議論に興味を持ちました。私もあまり「日本文明」という用語は聞いたことがない(少なくとも「日本文明(にほんぶんめい/にっぽんぶんめい)とは日本列島に栄えた文明のこと。」という冒頭文は明らかに事実と異なると思われます)ので、ちょっと記事内容については検討してみようと思います(とりあえず触れられる範囲での文献参照になると思いますので、あまり積極的な関与ができないかもしれませんが、その場合はご容赦ください)。また是非参照すべき文献などありましたら、教えていただけると可能な限り参照いたします。--Kanbun 2006年11月28日 (火) 17:21 (UTC)
- こんばんは、Kanbunさん。今回は議論にご参与いただきましてありがとうございます。正直、私も今まではトインビーを昔斜め読みしたことがあるくらいで、「日本文明」という概念に対して詳しいわけではありません。そもそも「日本文明」を専門に扱っている本はほとんど無いみたいですから。現在、急いで「日本文明」と題名に入った本を図書館で借りて読んでいるところです。それこそKanbunさんが言ってくださった「日本の歴史学に限っていえば、「地域世界」あるいは「文化圏」という用語が同様の地域概念として使われおり、しかも日本文化圏というような把握はそれほど深められているとは言えません」という言葉だけで、「日本文明」という概念が一般化していないという証明になっています。大変、ありがとうございました。らりた 2006年11月29日 (水) 12:06 (UTC)
[編集] 偽アカウントについて
偽アカウントを発見しました。すでに無期限ブロック済みです。--N.C 2006年11月29日 (水) 03:05 (UTC)
- 迅速な対処、ご報告ありがとうございました。らりた 2006年11月29日 (水) 12:06 (UTC)
[編集] Portal:ゲーム の分割提案
初めまして、Tamago915です。らりたさんがゲーム関連の記事に精力的に投稿されているようですので、Portal:ゲームの分割に協力していただけないか、お願いに来ました。現状、Portal:ゲームはコンピュータゲームのために使われている状態ですので、本来のゲームの記事をまとめるポータルを新たに作成したいと考えています。賛同していただけるようでしたら、Portal‐ノート:ゲーム#サブポータルへの分割提案にコメントしていただけると幸いです。--Tamago915 2006年12月7日 (木) 03:58 (UTC)