ノート:名君
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
何というか、整理しようかと思ってもどうにもこうにもならない一覧でして、何を基準にしているのかさっぱり解りません。もともと名君の基準なんてものは存在しないのだし、一覧として作ることが不適切と思えます。らりた 2005年11月12日 (土) 12:35 (UTC)
- 同感です。名将、暗君もこれと同じですね。そもそも、評価をする時点で客観的とは言えないと思うのですが。これと名将、暗君は定義文だけにして、具体例を削除してはどうでしょうか。--Yakouhai 2005年11月12日 (土) 12:49 (UTC)
名君や暗君、名将には、たしかに何を基準にしているのか分からないところがあります。それに仮に基準をつくってもどれだけその人物及びその業績を正確に評価できているかいつも疑問がついて回ります。しかし、その人物がどのような人物であるか瞬時にイメージできることばであり、その場合、具体例は欠かせません。しかも通時的に名君、暗君、名将と評価されている人物がおおくの利用者によって執筆されているうちに決まってくるのではないでしょうか。そもそも哲学をすこしでもかじっていればご存知のように客観性などという概念は幻です。当人以外の大勢がそのように感じるというだけのことです。これらの記事に目くじら立てなくても、先に整理、編集しなければならない記事やカテゴリーなどはたくさんあるはずです。Siyajkak 2005年11月12日 (土) 15:00 (UTC)
- 「完全な客観は不可能」、「他の記事に力を入れるべき」など、Siyajkakさんのおっしゃられることには全面的に同意します。しかし、その上であえて一言だけお許しください。私が具体例を削除すべきだと考えるのは、評価をめぐって編集合戦が発生しないだろうか、という危惧を持っているからです。
- 現在記載されている人物ですと、織田信長は比叡山や伊賀に対する虐殺者としての悪名がありますし、徳川将軍家の鎖国策をネガティブに評価する人もいます。グスタフ・アドルフはバルト海の制海権を獲得しましたが、スウェーデンの若年層を大きく減退させ、発展を遅らせたという評価もあります。誤解しないでいただきたいのですが、私自身は彼らは名君と呼んでもよいと思っています。しかし、マイナス面を重視する編集者がいないとは限りません。
- このような評価の揺れがある以上、選出には個々の編集者の意向が強く反映され、「こいつは名君とは言えない」「いや、言える」といった感じで、編集合戦が起こる可能性があるのではないでしょうか。そうした事態を予防できるのならば、具体例は削除した方が良いのではないか、と考えた次第です。--Yakouhai 2005年11月13日 (日) 01:37 (UTC)
別に目くじらを立てているつもりは無いのですが・・・。とりあえずもう少し絞りませんか?各国から二三人程度で例示には十分と思えるのですが。他の地域は良く解りませんが、中国からだったら唐太宗と康熙帝くらいで。らりた 2005年11月13日 (日) 11:32 (UTC)
Yakouhaiさん、らりたさん丁寧なお返事ありがとうございます。実は自分もある程度の編集合戦は許容しようという気持ちとともに、書いたり削ったりしているうちにどこかでコンセンサスをとらないと際限がなくなるおそれがあるな、という一抹の不安は感じてはいました。実は、わたしは、徳川将軍家の鎖国策をネガティブに評価する人間(田沼時代を高く評価する人間)なので、本音を言うと家光を名君とは認めたくありませんが、全体的に捉えて肯定的に評価する人もいると許容はしました。名君だけでなく、名将、暗君も本文中に「(例示された人物以外の新たな加筆や削除についてはご遠慮ください)」と、表示しましょうか。例示された人物を残しておくと「割れ窓理論」(でしたっけ?)のようになって編集合戦になるようなら例示は全面削除ということでいかがでしょうか?Siyajkak 2005年11月13日 (日) 12:55 (UTC)
なるほど、ひとまず様子を見て、編集合戦になるようなら削除ということですね。納得いたしました。それでは、らりたさんとSiyajkakさんのアイディアを取り込み、以下のようにしてはいかがでしょう。
- 例示は各国につき2-3人。
- 現在に直接つながりのない、消滅した国家(古代ローマやモンゴル帝国など)の人物も同様。
- できるだけ多くの人が納得する人選を。批判対象となりそうな人物は例示しない。
- 「例示はノートの議論でこの人数に制限しております。もし、あなたが特定の人物を加えたい、あるいは変更したいと望むのなら、編集する前にノートでその旨を提案してください」などの注意書きをする。
編集を加えないでくださいというのは、ウィキペディア的に難しいでしょうから。このようなお願いを付け加えておけば、多少は緩和されるかもしれません。もっとも、最後の一文は編集者が対象ですから、コメントアウトでも良いかもしれませんね。いかがでしょうか?--Yakouhai 2005年11月14日 (月) 08:30 (UTC)
上の条件に加えて、名将には、「君主(王、皇帝、大名)であるものは除く」、という条件をつけましょうか?Siyajkak 2005年11月14日 (月) 12:21 (UTC)
- そうですね、名君と名将を区別するためには、その方がよろしいでしょう。それと、まだ例が挙げられていない国の人物を追加する場合は、ノートで議論するまでもないと思いますので、最後の文章はこうした方がいいかもしれませんね。--Yakouhai 2005年11月14日 (月) 13:11 (UTC)
- 「例示はノートの議論で少人数に制限しております。もし、あなたが特定の人物を加えたい、あるいは変更したいと望むのなら、編集する前にノートでその旨を提案してください。ただし、まだ一人も例示されていない国家、および人数が規定数に満ちていない国家に関しては、ノートでの議論をせずに記載しても問題ありません」
ほぼ同意です。ただ過去存在した国全ての名君・名将を立てられても困るので、歴史上に相当な存在感を持った国(ローマ帝国・モンゴル帝国クラス)に限るべきではないかということを提案します。らりた 2005年11月17日 (木) 11:47 (UTC)
歴史上の相当な存在感を持った国(ローマ帝国・モンゴル帝国及びそれに準じるクラス)
漢、唐、明、清、フランク王国(カロリング朝)、イスラム帝国(ウマイヤ朝、アッバース朝)、東ローマ帝国、ロシア帝国、オスマン帝国
このくらいでしょうか?あとイギリス、スペインか?いかがでしょうか?Siyajkak 2005年11月18日 (金) 11:29 (UTC)
いえ、現存する国はそのまま行っても良いのですが、過去の国家についてと言う意味で言いました。ですので中国王朝は全てまとめて一個の扱い、イギリス・スペイン・フランスなども同様、ローマ帝国やモンゴル帝国のような過去の国家を特別扱いで一個と言う数え方ではどうかと言う意味です。らりた 2005年11月19日 (土) 12:32 (UTC)
目次 |
[編集] 試案
たしかに、らりたさんのおっしゃるとおりですね。現在につながりのある国家はともかく、消滅した国家を無制限に加えていくと収拾が付かなくなりそうです。とりあえず、歴史に大きく影響を与えた国家で、候補になりえそうな人物をピックアップしてみましたが、いかがでしょう。--Yakouhai 2005年11月20日 (日) 08:00 (UTC)
[編集] アジア
中国
モンゴル帝国
ムガル帝国
イスラム帝国
オスマン帝国
[編集] ヨーロッパ
ローマ帝国
神聖ローマ帝国
イギリス
フランス
スペイン
ロシア
[編集] 改正試案
それぞれの地域にバランスよく配分されていることは評価いたしますが、果たして名君の例示としてふさわしいのでしょうか?
とくに ハールーン・アッ=ラシードは、下記のBBSに見られるように http://history.bbs.thebbs.jp/1105177274/e100 低い評価です。 それから
これらの人物で名君がイメージできるでしょうか?記事にある定義の通りに、有能な臣下を登用したり、内政面の実績を挙げて国を繁栄させた君主がイメージできるでしょうか?名君のリンク元にない人物をわざわざ大量に挙げる理由がどうしても理解できません。フェルナンド3世は、レコンキスタに成功はしたものの国家を疲弊させました。カール5世はそれなりに有能ではあったでしょうが、宗教や信仰に対する不寛容やオスマン帝国との敗戦などがありました。しかし、この試案については、これまでの話の流れがもありますし、賛同できる部分もあります。それから例示は少ないほうがいいという視点から例示を減らして改正試案を作成してみました。神聖ローマ帝国の項目には、玉座の近世人とよばれ、語学の天才でアラビアの進んだ学問に通じ、第1回十字軍以来エルサレムの奪回を平和裏に成し遂げ、皇帝権の強化にも成功、中世カトリックの発想に捕らわれなかったフリードリヒ2世を挙げさせていただきました。この人物のすごさは菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社現代新書を読めばわかります。Siyajkak 2005年11月21日 (月) 11:36 (UTC)
[編集] アジア
[編集] ヨーロッパ
- フランス
- スペイン
他の地域は解らないので、とりあえずモンゴル帝国から出すならチンギスかオゴデイだと思います。クビライは人によってかなり評価が違いますので。らりた 2005年11月21日 (月) 12:31 (UTC)
- ローマで優れた皇帝とされるうち、おそらくアウグストゥス、トライヤヌスあたりは異論がないと思います。あとはコンスタンティヌス、マルクス・アウレリウスも伝統的にそういわれるかと。ハドリアヌスも加えて良いかもしれませんが。あとアウグストゥスがカエサルに劣るというのは少なくとも定説ではないはずです。軍事、文筆はともかくカエサルの政治的才能については評価がかなり分かれるはずですが、アウグストゥスの政治的才能に関して否定的に捉えているのを私は知りません。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月21日 (月) 12:41 (UTC)
-
- Siyajkakさんの試案で結構だと思います。ハールーン・アッ=ラシードやフェルナンド3世を例示に上げたのは、まったく私自身の無知によるもの。ご教示いただきありがとうございます。ところで、日本史の例はどうしましょうか?現在出ているもの中では、北条泰時、足利義満、徳川家康あたりが妥当かなと思われますが。それと、モンゴルに関しては、らりたさんのおっしゃるとおり、クビライよりチンギスかオゴデイの方がよいでしょうね。--Yakouhai 2005年11月21日 (月) 13:07 (UTC)
気になっていましたが日本からも挙げたほうがいいですね。自分は、最近世界的にも注目されている上杉鷹山が、最初の定義文の内容とも調和していていいなあ、と思っていますが...Siyajkak 2005年11月21日 (月) 14:31 (UTC)
塩野七生の読みすぎかもしれませんが、アウグストゥスはカエサルの遺産をそのまま受け継いだ面が大きいと思います。ローマ皇帝でもうひとりならコンスタンティヌス1世を挙げます。彼は、分裂していた帝国を再統一し、新首都コンスタンティノポリスを建設し、西ローマ滅亡後も約1000年間続く東ローマ帝国の基を築きました。通貨政策や農地からの安定的な収入の確保をはかり、寛容な宗教政策など見るべきものがあります。Siyajkak 2005年11月21日 (月) 14:48 (UTC)
まあ、そういうような論争が起きる人物は除くと言うことで良いのではないでしょうか。らりた 2005年11月22日 (火) 09:10 (UTC)
-
- 上杉鷹山なら、まず文句は出ないと思われます。ところで私が提案した日本史の3名についてはいかがでしょうか。異論がないようでしたら、そろそろ議論もまとまったようですし、Siyajkakさんの試案に鷹山と上記3名、オゴデイ(チンギスは征服者としての側面が強すぎるのではないかと考え直しました)を加えて本文に反映したいと思いますが。--Yakouhai 2005年11月23日 (水) 09:23 (UTC)
私にはこれと言って異論はありません。らりた 2005年11月23日 (水) 11:49 (UTC)
「守成の名君」という言い方があります。チンギスと同じ考え方で、家康だけ削りましょう。Siyajkak 2005年11月24日 (木) 11:04 (UTC)
- 本文を変更しましたので、ご確認ください。--Yakouhai 2005年11月24日 (木) 14:58 (UTC)
拝見いたしました。ありがとうございます。Siyajkak 2005年11月24日 (木) 15:57 (UTC)
イスラム圏では人気があるようですが、サラーフッディーン(サラディン)などはあてはまりませんかね。筋違いでしたらすみません。たらこ 2005年11月24日 (木) 16:52 (UTC)
[編集] 第二試案
勝手に入れるのは、この項目のルール違反だと思ったので、ノートに書き込みさせていただきます。自分は、主に北欧関連の歴史で書き込みをしていますが、18世紀のスウェーデン国王グスタフ3世 (スウェーデン王)も名君の一人として上げたいと思っています。彼は、腐敗していたスウェーデン国政を無血クーデターで終らせ、当初は立憲君主制も認めていました。また、内政も言論の自由や、以前からあった福祉政策、貧民対策も行っています。信仰の自由も一部ながら認めています。おおむね、当時のスウェーデンの国民の人気も高かった様です。また現代においても、評価は高いとされています。確かにグスタフ3世は、暗殺されていますし、晩年には、絶対君主制も再開していますし、戦争も行いました。とは言え、特権貴族からの徴税や内政を重視し、拡大政策に邁進しなかったことは、現代において、高評価に繋がっていると思います。もちろん、当時のスウェーデンのヨーロッパにおける影響力や知名度を考えると、蛇足な様な気もします。議論を行ってもらって、暗殺されたことや、負の部分での意見があれば、あえて加えないものもありと、自分では位置づけています。
追伸、自分はスペイン史には、それ程詳しくはないのですが、バランスから言っても、スペインの君主をもう一人ほど上げても良いのではと思います。自分としては、スペインブルボン朝のカルロス3世 (スペイン王)を名君の候補者の一人として考えています。Libertas 2006年8月18日 (金)
- 書き込みからおよそ1ヶ月程経ちました。愚見だと思いましたが、より厳しい意見をお待ちしています。Libertas 2006年10月3日 (火) 15:03 (UTC)
Libertasさん、コメントありがとうございました。 話は変わりますが219.164.193.223さん、Kuro-hatoさんよりときどき書き込みのあった李氏朝鮮の世宗については、朝鮮半島の王朝で一人も例示に上げられていない、ハングルを作ったりその治績には見るべきものが多く、韓国の通貨の画像になるなどの韓国では名君の代名詞的な存在と思われますので強く推薦いたします。Siyajkak 2006年10月3日 (火) 15:12 (UTC)
- 世宗を書き入れた記憶がないので、名前を挙げられて驚いています(世宗以外の曖昧な人物を削った記憶ならあるのですが)。もっとも、評価の安定した君主であるうえに隣国の人物を一人も上げないのも寂しいので世宗自体には反対ではありません。あと上記に書き込まれているサラディンには賛成票を投じさせてい頂きます。ヨーロッパに比べて中東圏が弱冠手薄のような気が……。アッバース朝のマンスールや、サラディンの弟アル・アーディルなども名君として知られています。また、中東と言えるか微妙なところですがアレクサンダー大王などは知名度と業績では比類なき名君と言えると思われます。ヨーロッパなら他に現代でもフランス国民に人気のあるナポレオン、ロシアの近代化に貢献したピョートル1世(大帝)などはいかがでしょうか。Kuro-hato 2006年10月3日 (火) 16:07 (UTC)
ナポレオンは、確かに人気ありますが、記事にもある様にフランスに多くの損失を与えているような気もします。ピョートル大帝も、ロシアを列強の地位に押し上げた実力者であると思いますが、その評価は後年のものだと思います。当時のロシアの世相では、ピョートルの西欧化にはあまり人気と支持がなかったのでは?ナポレオンにしても、後年のヨーロッパに与えた影響が高評価に繋がっていますが、実際にナポレオン関係の書籍を読むと必ずしも名君と言える様な治世ではなかったと思います。世宗に関しては、あまり失政のない優れた統治者であったみたいですね。Libertas 2006年10月3日 (火) 16:29 (UTC)
>世宗を書き入れた記憶がないので、名前を挙げられて驚いています。
2005年12月31日21:27の版を見てそうおもったのですが、220.109.17.21氏の書いたものを元通りにしただけということでしょうか?世宗については加える方向でよろしいでしょうか?Siyajkak 2006年10月4日 (水) 09:00 (UTC)---微修正Siyajkak 2006年10月4日 (水) 16:02 (UTC)
- あー、これは消されていたのを戻したときですね。失礼しました。Kuro-hato 2006年10月7日 (土) 04:34 (UTC)
どうも、らりたです。世宗に関しては賛成です。カルロス3世については私には判断できる知識がありません。あと、ナポレオン・アレクサンダー大王については上のチンギスなどと同様に征服者としてのイメージが強すぎて名君という言葉にはあまり馴染まないような気がします。参考までに。それと勝手ながら節を分けさせていただきました。らりた 2006年10月4日 (水) 09:10 (UTC)
- 所で「名君の対語は暗君」とありますが、名君と対になる言葉としては暗君は不適切でないでしょうか?暗君の対義語は明君ですし。「名君という言葉に対して、暗君・暴君などという言葉がある」などという表現に改めるべきではないでしょうか。らりた 2006年10月5日 (木) 12:06 (UTC)
李氏朝鮮の世宗については、賛成意見多数、反対意見なしということで合意が得られたとみなし加筆しました。Siyajkak 2006年10月7日 (土) 11:35 (UTC)
[編集] 無断な追加書き込みがめだちます。
名君の記事の例示に無断な書き込みがなされています。少なくとも追加書き込みの場合は、記事本文の注意書きにあるようにその人物の業績をこのノートで論じて、Yakouhaiさん、らりたさん、Siyajkakに協議を呼びかけてください。Siyajkak 2006年10月3日 (火) 14:25 (UTC)
[編集] 追加の提案
以下2名の掲示を追加することを提案します。 1 古代ペルシア・ダレイオス1世 「帝国」を作った君主です。後の世の帝国は、洋の東西を問わず例外なく彼の影響を受けています。名君という場合に、絶対に外せない一人である(むしろ、後の世に影響を与えた名君のプロトタイプである。)と思料いたします。
2 タイ・ラーマ5世 東南アジアがすっぽり抜け落ちているので、地域的なバランスをとるため。で、同地域から一人選ぶとなると、この人でしょうか。 彼の行ったチャクリー改革については多言を要しないと思います。
以上、ご検討されたく。Yacchi 2006年10月20日 (金) 06:44 (UTC)
タイのラーマ5世は良い提案であると考えます。ダレイオス1世はどうでしょうか?私自身の意見は賛成寄りですが、ペルシア戦争の当事者というイメージが強く、全面的な賛成には躊躇します。
私としては地域バランスという点から、エジプトのムハンマド・アリー、エチオピアのメネリク2世、インカ帝国のパチャクテクを推薦したいと思います。パチャクテクは文字通り征服者なのですが、アメリカ大陸から名君を選ぶとしたらということで推薦します。
あと、議論を蒸し返すようで申しわけないのですが、オゴデイを名君に入れるのはどうも違和感があります。決して優れた点がない君主であったとは思わないのですが、内政面での評価で選ぶとしてもどうしてチンギス・ハーンとクビライがなくてオゴデイなのでしょう?--のりまき 2006年10月29日 (日) 00:11 (UTC)
- 地域バランスも大事でしょうが、名君というからには名前を聞いただけで業績を思い浮かべられるほどの知名度も重要かと思われます。ダレイオス1世はペルシア戦争の敗者のイメージが強く、エチオピアやインカ帝国の君主に関しては、全く名前を聞いたこともありません。名君をイメージできるかと言われますと苦しいかと思われます。また、ムハンマド・アリーは名君というよりも一代の梟雄としてのイメージが強く、名君かと問われますとやはり疑問符をつけざるを得ません。ラーマ5世は王様と私などで知名度も高く、業績も列強に植民地化させなかったという点で名君という称号に相応しいかと思われます。222.158.70.172 2006年10月29日 (日) 15:29 (UTC)
ダレイオス1世については、ペルシャ戦争でギリシャを侵略して敗北したイメージがあまりにも強いです。ですから、むしろユダヤ人にパレスチナへの帰還をみとめたキュロス2世などがイメージ的に名君に近くなりますがぱっとしません。 地域的なバランスもあるのでラーマ5世もやぶさかではないですが、アンコール王朝のスールヤヴァルマン、ジャヤヴァルマン、マジャパヒト王国のハヤム・ウルクがどうなるかと考えてしまいます。あとベトナムの君主にも優れた政治家はいたと思うし、このあたりは慎重を期すべきだと思われます。 インカ皇帝パチャクチを加えるという意見がありますが、それならかってメソアメリカ文明やアンデス文明の研究者のはしくれだった身としては、テスココ王ネサワルコヨトルを加えないわけにはいきません。それからパチャクチは業績から考えても軍事指揮官のイメージがどうしても強いです。Siyajkak 2006年11月27日 (月) 10:09 (UTC)
- Siyajkak様初めまして。のりまきと申します。確かにパチャクテクよりもネサワルコヨトルとその息子ネサワルピリの方が名君という名に相応しい君主であったと思います。ただ、あまりこの場で知名度を重要視しすぎるつもりはないのですが、それこそネサワルコヨトルやネサワルピリって誰?と言われてしまいそうなのでパチャクテクを推薦しました。それでも知らないと言われてしまいましたが……それにしてもアドワの戦いでイタリアを破り、アフリカにあって植民地化を食い止めたメネリク2世についてもやはり知名度が問題になるのでしょうか?業績的に真に名君に相応しいかどうかは疑問を持たれても良いと思いますが。のりまき 2006年11月30日 (木) 10:36 (UTC)
[編集] 名君と呼ばれる理由に付いて
提案なのですが、名前をただ並べるのではなく、なぜ、どのような人々が、その人物を名君と評価するのか?をきちんと1人1人に説明を加えてみてはどうでしょうか?読者としてはその人物の事跡のどのようなことが同時代、或いは(この項目に書き込んでいる方々を含む)後世の人に評価されたのかは気になる所だと思いますがどうでしょう?--Houkun 2006年12月12日 (火) 07:34 (UTC)
- 編集合戦になると思いますし、一つ一つの項目が果てしなく長くなると思います。良い事績を並べれば反対に悪い事績も書かなければ正当な評価とはいえないという議論にも発展しかねません。個々の業績については各々の人物のページに書けばよいことだと思います。Kuro-hato 2006年12月12日 (火) 14:29 (UTC)
- いつも私の不備を編集してくださり、本当にありがとうございます。なるほど、編集合戦になる可能性はあると思います。しかしながら、この項目自体がもともと編集合戦になってもおかしくないような物です。現状、さほど編集合戦が問題になっていない事を見ると、きちんと断っておけば大丈夫ではないでしょうか?あと、私が書くべきであると思うのは個々の業績ではなく、どの業績を評価して名君としたか?です。現在例示されている人物に関しては私も大賛成です。しかし、主観的に決めた物を理由説明もなしに例示されても納得の出来ない人もいるのではないか?と考えました。悪い事績も良い事績も各々の人物のページに書けば良いと思います。しかし、何故名君として選んだか?という『評価』に関してはこのページに書くべきではないかなぁと。分量については1人2行前後で。しかし、実際には難しいかもしれませんね。駄文失礼します。--Houkun 2006年12月13日 (水) 02:29 (UTC)
基本的には編集合戦を避ける、ないしは最低限になるようとどめるということです。原則として削除や追加はなく、誰もが賛同するような場合にのみ例外的に追加や削除があるとお考えください。中国の君主のうち、例示されているのが唐の太宗と康熙帝だけであることからご察しください。Houkunさんのご意見には一理あるとは承知しつつも、Kuro-hatoさんの危惧するような編集合戦になる虞れがあるので大変申し訳ありませんが例示のみにとどめたほうがよいかと思います。Siyajkak 2006年12月14日 (木) 16:41 (UTC)
- 「何故」を言い出すときりが無いというのは同感です。同じ注釈を入れるならば「誰が」を入れられれば良いと思います。例えば唐太宗ならば『宋名臣言行録』に宋太宗が唐太宗に及ばないと言ったというエピソードがあり、宋太宗と朱熹に(わざわざ例示として挙げることからも)名君と考えられていたという証明になります。全部に付けるのは大変かもしれませんが・・・。らりた 2006年12月15日 (金) 09:32 (UTC)