黄菊
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黄 菊(こう ぎく、ファン・ズー、Huang Zu、1938年9月 - )は、中国の政治家。 中共中央政治局常務委員、国務院第一副総理で党内序列は第6位。
1938年、浙江省嘉善に生まれる。元の名は黄徳鈺。1956年から1963年まで、清華大学電機工程学部で学ぶ。卒業後は上海の工場で技術者として勤務し、次第に工場の党務をこなすようになる。上海市において長期にわたって実権を握っており、中央入りを含めて江沢民の肝いりとされる。江沢民に対しては賈慶林と共に愚直なまでに忠実。
2006年1月、突然常務委員が全員出席するはずの会議からその名前が消え、香港紙は、黄が膵癌であるためと書き立てた。これに対して、外交部は入院の事実は認めたものの黄が実際に癌であるかどうかについては答えなかった。黄は、6月に北京市で開催された会議に出席し健在をアピールしている。
9月24日、上海市党委書記の陳良宇が社会保険基金の不正融資問題に関連して解任され、黄菊と妻、弟と融資先企業の関係者との不明瞭な間柄が噂された。
11月8日、北京市の末端クラスの人民代表選挙の投票が行われ、常務委員もそれぞれの選挙区で投票を行ったが、黄菊は10月28日から「視察活動」で上海に滞在しているためだが、代理人が投票をしたことが報じられた。常務委員がこれほど長期間北京を空けているためだが、常務委員全員が出席する会議などに連続して欠席している点や、職位はそのままにして党と政府の職務にはタッチさせないとの決定を党政治局が下したとの内部情報を元に、事実上政治生命は終わったと指摘する香港誌もある。
[編集] 主な履歴
- 1983年 - 上海市党委常務委員、市工業工作党委書記
- 1984年 - 上海市党委常務委員、市党委秘書長
- 1985年 - 上海市党委副書記
- 1986年 - 上海市副市長を兼務
- 1987年 - 上海市長、中央委員の候補として推薦されるが中央は朱鎔基を選択する
- 1991年 - 朱鎔基が副総理に就任し、上海市長に昇格。
- 1994年 - 中共中央政治局委員、上海市党委書記
- 2002年 - 中共中央政治局常務委員
- 2003年 - 国務院第一副総理