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静岡県立沼津東高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

静岡県立沼津東高等学校(しずおかけんりつぬまづひがしこうとうがっこう)は静岡県沼津市にある静岡県立の単位制高等学校。旧制沼津中学。地元ではぬまとう(旧制ではぬまちゅう)と呼ばれる。単にひがしこうとも。全般的に在校生や卒業生などの関係者が「ぬまとう」と、それ以外の人が「ひがしこう」と呼ぶ傾向にある。全日制普通科、理数科及び定時制普通科が設置されている。

目次

[編集] 沿革

  • 1901年(明治34年) 楊原村上香貫(沼津市御幸町)に沼津中学開校
  • 1946年(昭和21年) 夏の甲子園出場
  • 1948年(昭和23年) 新制の沼津第一高等学校に改称、定時制の課程設置
  • 1949年(昭和24年) 沼津東高等学校に改称
  • 1967年(昭和42年) 沼津市岡宮に移転
  • 1996年(平成8年)  全日制が単位制に移行
  • 2001年(平成13年) 創立百周年記念式典挙行

[編集] 主な行事

通った年代により内容が異なる場合があります。適宜追加・修正してください。

[編集] 入学ガイダンス

3月末に、合格発表および中学校の卒業式の後、入学式前の春休みに行われる。保護者とともに出席し、体育館で教務課と生徒課(ともに職員の組織)の説明を受ける。入学直後の実力テストの件や部活動加入の件が主な内容となる。その後保護者と新入生は別行動となり、新入生は教室で自治会役員からの説明を受ける。ここで校章や承認式まで身につけることになる胸章を受け取る。その後体育館に戻り、自治会三役(代議委員会・執行委員会・司法委員会の委員長)の説明を受ける。ここまでは普通のガイダンスである。

その後「応援団による説明」に移るのであるが、ここで静かな体育館に突然「お前ら全員立て!」との怒号が鳴り響き、竹刀を持った応援団員が入ってくる。あまりに突然のことなので非常に困惑する。訳のわからぬまま立つと竹刀で床を打ち鳴らす応援団員から「上級生が入ってきたら挨拶しろ!」とまた怒号が飛ぶ。しばらく静寂が続き、そのうちに遠くから下駄の音が聞こえてくる。そして下駄を履いた上級生の応援団員が体育館に入ってきて、それまでいた応援団員が挨拶をする。本来はここで挨拶をしろということなのであるが、困惑している新入生にいきなり挨拶などできる者はおらず、そこでまた応援団から怒号が飛ぶ。慌てて挨拶をするものの「声が小さい!」などとまた怒鳴られ、しまいには全員正座させられることもある。最後に応援団長が壇上に上がり、「入学式までに校歌、応援歌の計8曲を覚えてこい。お前らわかったか!」と怒鳴る。そこで返事ができず、また応援団から怒号が飛ぶ。

ちなみに、かつては入学後の応援練習で見本として一度上級生が歌った応援歌を、「あさってまでにおぼえてこい」とかいったあんばいであった。一度に二曲ぐらいのペースだったと記憶している。上記のように入学前に全部一括でおぼえてこいの方式になったのはその後である。当時はCDなどがなかったので、皆必死で部活の上級生から教わったものである。生徒手帳の歌詞のページにふりがなをつけるのが最初の作業だった。応援団員のいる部活の者は楽かと思われがちであるが、実態は上級生に恥をかかせまいとなおさら必死であった。

こうして、入学直後の応援団の恐ろしさは刷り込まれるのである。静岡県東部における最難関校である本校に合格し、入学に向けて期待を膨らませている新入生にとってはまさに寝耳に水である。

[編集] 対面式

入学後に行われる新入生と上級生の対面の儀式。上級生が並んで作った道の中を新入生が通る。その際に長髪の者や装飾品の類を身につけている者は胸倉をつかまれ、絞められる。静岡県東部の中学校男子生徒はほとんど校則により短髪であるが、沼津市立第一中学校(一中)は髪型自由であった。そのため上級生に目をつけられる一中出身者が多かった。ちなみに、誰かが捕まるとそこで行進が停止するため対面式の入場行進はえんえんと続くのであった。後述の通り東高の生徒は部単位で行動することが多く、しかも運動部はイベント時にその競技の運動着を身につける習慣があるため、柔道部や空手部は道着姿に下駄、剣道部に至っては竹刀持参でにらみをきかせる。そのため予備知識のない新入生は非常に怖い思いをする。

なお、この項目の筆者が出た対面式では生まれつきメッシュ(前髪が一房白)の女子学生がいて、ちょっと進むごとに頭を小突かれ、しまいには泣き出すという惨状が呈された。天然パーマや天然茶髪の新入生は要注意である。

[編集] 承認式/応援練習

新入生が上級生により沼東生と承認する行事。 新入生には、それまで朝の挨拶、昼休みと放課後に校歌およびすべての応援歌の練習への参加の義務が課され、香陵会館(食堂)の使用、下駄履きが制限される。また胸に新入生は胸章がつけられ区別される(1990年代中盤以前においては、胸章はなかった。ちなみに胸章は承認式後に回収されたのち自治会室で保管され、翌年以降も繰り返し使用される)。また同時に、自転車での通学も禁止されるため、毎年4月の入学式からの約一ヶ月間は、岡宮方面を通る朝のバスは、新入生で混みあう。バス会社は「かきいれ時」だが、遠方からの通学者と他の乗客にとっては少々迷惑な、春の風物詩である。 またこの応援練習によって部活動見学ができないため同学区の公立高校などに比べ、約1週間ほど新入生の部活動の開始が遅くなる。

承認式において、全上級生を前に校歌応援歌を歌い、承認を受ける。この儀式の最後に「脱章!」の掛け声とともに胸章をはずして空に投げ沼東生となる。応援歌が歌えないと練習時に生徒の前に出され、放課後屋上で応援団の指導を受ける。屋上での応援練習では、男女の区別なく裸足となり、歌えないとその場で屋上のコンクリートの上に正座させられる。(現在は体育座りになった)練習が終わって屋上から降りてくる新入生は足がしびれてふらつき、まっすぐ歩けないため、互いにぶつかり合って酔っ払いの集団のようになっている。信仰上の理由から応援歌を歌うことが出来ないという者が出現したことがある。応援団はずいぶん苦慮した模様である。 また、生まれつきの音感欠如(いわゆる音痴)の者がいて、歌詞はすべて覚えているのに歌にならない、歌詞を覚える以上の苦労をしたらしい、この指導に応援団は七転八倒したという伝説がある。

ちなみに応援歌の練習では応援団が非常に怖い。歌詞を間違えたり声が小さいと怒鳴られる。応援団は人数が限られているので、応援歌の練習では3年生の有志を募った(現在は応援団のみでの指導)。彼らはそれぞれが沼東生かくあるべしという自分なりの基準で1年生に接するため、場合によっては応援団以上に怖れられる存在である。これも緊張を強いられる面がある。多分、昭和の時代までは程度の差こそあれ男子生徒の多い高校では類似した現象がみられた。沼工(沼津工業高校)などに比べればあれでもソフトなほうだったという。平成16年度、応援歌の練習で4名が骨折。数年にひとりくらいのペースで、この応援練習のあまりの厳しさにショックを受け、入学早々退学してしまう新入生がいる、という噂がある。

平成17年度から前年度の骨折を受け、正座ではなくなった。だが、寒さにより体調を崩すものが続出。またこの学年は練習時の合格者が少なかったことから承認式が延期され、異例の追練習をやった。

平成18年度の応援練習では応援歌を間違えたものを座らせていき歌いきったものだけをあつめて指導するという方法がとられた。このため初日は脱落者が多く、歌詞を覚えているものでも一人で歌うことを恐れてわざと間違えたりしていた。しかし、実際、万衆環り視る中で、週の前半や初日にごく少人数で合格することはきわめて困難であり、達成するためには春休みからの周到な用意が必要である。

ここまで新入生は理不尽な思いを受け続けるため、現代において続けるのが厳しい行事であり、存続については賛否両論ある。ただ、多くの卒業生にとっていい思い出となっているのも事実である。

[編集] 香陵祭

毎年5月に開催される文化祭と体育祭及びその前夜祭・後夜祭。香陵祭の歌が作られる。香陵祭前は応援団を中心として、張りぼて作りに大忙し。近年はハリボテ係がその製作にあたっている。

  • 前夜祭
クラス対抗の障害物競走「ガチャピンレース」など
  • 文化祭
体育館では、講演会、吹奏楽の演奏、音楽部のミュージカルなどが行われる。校舎では、文化部の展示や舞台がある。中庭では、のど自慢や未成年の主張など独自性のない催しが行われる。応援団1年生は未成年の主張で、愛の告白をしなければならない。ただ、ほとんどやらせ。
※テニス部が「ウィンブルドン」なる模擬店を出す。1年生は売り子や出前にかりだされ、展示やステージ企画を見ることがほとんど出来ない。
※かつては「香陵ラーメン」という名物があった。ごく普通の醤油味ラーメンだったが、食料事情の悪かった時代にはたいへんなご馳走だったらしく、懐かしく思い出すという人も多い。当初は市内の専門店で修行した者が作ったラーメンで評判がよかったものの、次第に味がおちたらしく知らない間になくなった。衛生管理の面で問題が指摘されたのかもしれない。2001年に、百周年記念の一環として、「百周年記念事業特別委員会」による香陵ラーメンの再現が行われた。現在は市販品を中心とする軽食や飲みものになっている。女子生徒が大勢でかいがいしく面倒をみてくれるので、古いOBにとってはなんとなくうれしい状況である。
※有志による演劇などの出し物に事欠かなかった。しかし、やってみなくてはわからないような内容で、質はピンからキリのまさに玉石混淆であった。びっくりするほど見事な演奏もあれば、赤面必至の猥雑なものまであった。ステージの最前列付近(いわゆるカブリつき)は野次が得意の者で占拠され、飛び交う野次も楽しみの一つであった。古い卒業生には想像だに出来ないことだが、最近はカブリつきが女子で占拠され、黄色い嬌声が充満している。
※記念講演は、NHKの解説委員など様々な講師を招いて行われるが、熱心にメモを取りながら聴き入る者、居眠りをする者など生徒の姿勢も様々である。
  • 体育祭
部活動ごとに紅白にわかれて対決する。巨大な張りぼてと応援合戦が見物。応援団の1年生は女子から「きも~い」と連呼されてしまうようなことをさせられる。
※部単位の紅白分け。人数調整のため毎年多少の変動があるが、戦力均衡を考慮して運動部は基本的に固定している模様である。白組=柔道部、野球部、水泳部、バスケット部など。紅組=剣道部、陸上部、バレー部、空手部など。これで結構いい勝負になっていた。空手部員は競技中に技の使用を禁止されていた。しかし騎馬戦の競技中は、空手部員の蹴りに見舞われるのが恐ろしい。棒倒しの競技中に柔道部員の背負い投げにあった者もいる。
※体育祭用の応援歌が紅白ごとに存在し、香陵祭前に応援団を中心として練習が行われる。しかし応援団の指導が入学直後のそれほど厳しくなく、また完全な口伝えのため明確なメロディラインの把握が困難なこともあり、多くの生徒は完璧には歌えない。とりわけ上級生の応援歌に対するモチベーションは低く、こうした状況を憂いた応援団が体育祭の応援をボイコットするという事件も発生した(2003年)。
※近年は騎馬戦で不正行為(暴力や騎馬の再結成)が毎年問題となる。大抵各軍の大将同士の一騎打ちで勝敗が決せられる。
※張りぼての制作は地区会(注)ごとにやっていた。香貫の旧校舎時代に、人工衛星かなにかの張りぼてで、花火を組み込んでの演出をしたところ、本番でこれが炎上。それ以来、火気厳禁となった。いつのころからか張りぼての数が減って現在に至っている。香陵祭の準備期間中は、校内のいたるところで張りぼてに使う糊の匂いが漂っていた。糊は小麦粉を水に溶いてバケツなどで煮立てたものなので、日にちをおくと饐えたような独特の匂いがする。多くの卒業生にとって郷愁をさそう匂いである。
(注)地区会‥出身中学/出身地域ごとの学生会。前述の応援練習では容赦なくダメを出す怖い上級生も、地区会では応援歌を教えてくれる頼りになる先輩に変身する(こともある)。
  • 後夜祭
フォークダンス、応援団の解団式、花火など。
※応援団の解団式は、夕暮れ時に行われるが、雨天決行が基本。どしゃぶりのなかで大声を張りあげてのセレモニーとなった年もあった。解団式では3年生の応援団員がたいまつを両手に持って語る。この姿に涙する女子生徒も多い。
最後に祭典委員長(香陵祭の運営の中心になる人物)が閉会宣言を行うが、このとき「第○○回香陵祭を閉会します」の「閉会します」の前に全校生徒が「言うな!」と叫ぶのが恒例。

[編集] 高原教室

2年生の夏休み前に開催される修学旅行的な行事。「修学旅行的」というよりは、完全な修学旅行の代わりである。よってこの学校には、1年生の海浜教室と2年生の高原教室以外には、一般によくある修学旅行というものは存在しない。

4泊5日(以前は5泊6日だった)で長野県志賀高原の山々をおそろいの帽子を着用して登山する。一般の登山者の倍くらいのハイペースで3日間登山するという狂った行事だが、きれいな山や湖の景色と疲労の充実感で意外と生徒の評判はよい。(普通の修学旅行の方がいいと思う者も少なくないことも付け加えておく)ただしこの時期は梅雨の真っ只中であり、雨に祟られることが多く、泥だらけになりながら歩き回る「落武者の逃亡」のような、悲惨な登山になることもある。過去には、山岳部が夏の合宿前の訓練をかねてザックに缶ジュースを何ケースか担ぎ上げて、岩菅山山頂などで販売したこともある。ちなみに野球部は夏の甲子園の予選前なので基本的に参加しない。代わりに冬にスキーへ行くらしい。

生徒のほかに卒業生からなる医師も2、3名が同行する。

深いガス(霧)のなかを互いに声をかけあって進軍するという、ひとつ間違えば遭難かという状況もしばしば発生する(実際に、万一の事態を慮ってチョコレートなど非常食になるような食べ物を各自が分散して持ち歩いた)。新田次郎の小説のなかに放り出されたような体験となり、なかなかの思い出になった。まるまる4日間かけて一帯の山々を制覇し続けるので、地理に詳しくなってしまう。卒業後スキーで再訪した際、スキー自体は下手糞なくせに道案内ができてしまって不思議がられた。

[編集] 海浜教室

1年生の夏休み前に開催される行事。2泊3日で伊豆半島伊豆市(旧土肥町)で泳ぐ。最終日には数キロの遠泳が行われる。遠泳のあと支給される牛乳と漉し餡の串団子を懐かしく思い出す人も多いだろう。 (18年度の海浜教室では牛乳は支給されず、団子と甘露飴であった。)

※学校創立当時の校則に、「本校生徒は全員水泳部に所属する」という信じがたい一文があった。これは夏季水泳部と呼ばれていたもので、競技としての水泳を対外的に競うものではない。当時から生徒の基礎体力を養う上で水泳が奨励され、浜水泳が行われていた。海浜教室はその延長線上で現在も続いている(なお、対外的な競技をする水泳部はその後大正期に発足している)。

※海浜教室にも水泳指導のためにOBが助手として呼ばれる。水泳OBだけでなく、商船大学や水産大学などに進んだ泳ぎの達者な者が中心である。助手には生徒とは別の宿舎が用意され、学校から支給されたビールなどで毎晩宴会の状態となるのが常であった。それでも日中は生徒の先頭に立って水泳の指導をする使命があるので、体力勝負の仕事である。誰にでもつとまるというものではない。遠泳の先頭も助手がつとめる。最近は女子生徒が多くなったので助手も女性が増え、赤ちゃん連れで助手の助手を務めるような人も出現、ほほえましい光景も見られるようになった。

※2002年に台風の為に中止されるということがあった。海浜教室が中止されたのは今のところこの一回しかない。 海浜教室に限らず、本校においては「雨天中止」という言葉は基本的には存在しないようである。

[編集] 勉強合宿

毎年8月の後半に1、2年生を対象に、御殿場にある研修施設で行われる。御殿場で行われるのは「涼しい環境で勉強に集中する」ということらしい。 1年生の勉強合宿はほとんどの生徒が応募するが人数制限があり(約150名)、定員を超えた場合は成績で上位から参加者を決定する。2年生は応募者が少ないこともあり、ほぼ希望者全員が参加できる。 研修施設に缶詰で、午前中に講義、午後は自習、夕食後も自習という生活が数日間続く。多くの生徒は夏休みの宿題(特に数学)が片付くだけで終わってしまうようである。

[編集] 若人の家

若人の家とは沼津市の南端の大瀬崎にある沼津東高校のバンガローの宿泊施設である。若人の家部が管理する。5月ごろに1年生が行き、海岸やバンガロー周辺を清掃した後で、若人の家の歌を習う。

なお、卒業生、在校生が申請により使用できる。電気、水道、ガスコンロ完備。利用は無料。

※学校創立60周年記念事業の一環として設置された。土地の造成工事から生徒が休日を利用して行ったため、この時期の卒業生には、「苦役」の思い出がつよい。部ごとに予算を与え、バンガローを建設した。したがってバンガローには部の名前がつけられていた。「柔道小屋」「剣道小屋」など。しかし生徒の手づくりのバンガローは、建設現場の物置程度の出来で、床は傾き電気もなかった。ろうそくの明かりと蚊取り線香の匂いが漂う中で、一晩中語り合う機会を提供してくれる場として、またとない貴重な存在だった。現在は綺麗なバンガローに建替えられている。

※食事は当然自炊、カレーと豚汁(伝統として"ぶたじる"と読むらしい、「沼東ヨンヤ節」の歌詞にも"ぶたじる"のフレーズが出てくる)が定番メニューだったが、空手部の連中はなんとちらし寿司を作っていた。柔道部の闇鍋で、セミを食べた者は少なくなかった。

※かつては運動部の大半と応援団が夏期休暇中にこぞって「合宿」と称して利用していた。現在は利用者は少ない。 最近聞いたところでは水泳OBのグループが利用する程度。 交通の不便さなどが原因と思われる。

※参考までに、少なくとも昭和の時代までは学校行事の単位として部が中心的であった。(全員入部制)

[編集] 全校読書会

夏休みの課題として、1・2年生には読書感想文が課される(3年生は受験勉強のため課されない)。教師陣が1人1冊ずつ推薦図書を挙げ、生徒はその中から1冊を選び、感想文を書いて提出する。その後その本を推薦した教師と感想文を書いた生徒で読書会が行われる。

どの本を選ぶかは完全に自由であるため、中には自分が推薦した本の感想文を誰も書いてくれない教師も存在する。また、同じ感想文を書いた生徒が他におらず、推薦した教師とマンツーマンの読書会になる生徒もいる。

推薦図書が発表された後、夏休み直前に、自分の推薦した本を読んで感想文を書いてくれるよう生徒を勧誘する教師も存在する。

[編集] 遠足

秋ごろに遠足がある。影の薄い行事。行き先は天城山、箱根、丹沢など。富士急ハイランドなどの場合も。近年は大学見学と称して、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)や横浜国立大学へ見学に行く。行き先はどうやら学年部の教員の好みに左右されているようだ。

[編集] マラソン大会

1・2年生を対象に行われ、10km(男子)を走る行事。沼津東の立地的特性により、非常にアップダウンが多いコースになる。

※ほぼ同じコースを運動会でも使う(回る回数が異なるだけ)、そのときはクロスカントリーと称していた。コースの起伏といい、畑の畦(あぜ)道を走る区間ありで、実態としてはクロスカントリーに近い。近道のズルをする者が後を絶たず、要所にマーカーを立たせて掌にマジックで印をつける、トライアスロンのような処置もした。

マラソンコースを含んだ学校周辺地域にて土地区画整理事業が開始され、これに伴う工事車両の往来により路上の危険度が高まったため、2002年から(沼津地区の大多数の中高同様)千本海岸で行われている。距離の変化はなし。アップダウンはなくなったものの、強い海風を終始まともに受けるため、決して以前よりも楽になったとは言い難い。

※風邪などでマラソン大会を欠席した者も、後の体育の授業の際に同じコースを走らされるという「追マラソン」なる迷惑な制度も存在した。

[編集] 球技大会

毎年秋に行われる行事。その日は授業なしで一日かけて行われる。バスケットボール、フットサル(ハンドボール)、ソフトボール、テニス、卓球等の競技が存在。また、自分の所属する部の競技には参加できない。ほかに大きな行事のない三年生を中心に非常に白熱する。普段運動不足の三年生は張り切りすぎて足をつるものが続出。バスケは女子の声援を浴びる花形種目である一方、フットサルなどにいたっては、西グラウンドの片隅でひっそりと行われ決勝といえど応援はクラスメイトだけだったりもする。ソフトボールでは教員チームの桁外れの打撃力の前に多くのクラスが打ちのめされる。

[編集] ボート大会

春にひっそりと行われる行事。古くは日露戦争での日本軍の勝利を祈願して始められたのが起源と言われているが、真偽のほどは定かではない。4人で1チームとなりボート部員をコックスとしてナックルに乗船し1対1のトーナメントを勝ち抜いていく。近年は大会そのものがこれまたひっそりと行われなくなっていた。

昭和40年代までは結構盛大な行事であった。本番前の半月くらいの期間は、希望すれば練習として空いているナックルフォアとコックスを貸してくれた。漕ぎ手(出場予定者)が泳ぎが達者とわかると練習で海まで漕ぎ出した。コックスが勝手に操舵するのでなされるままであった。そういう体験者の一人であるが、辺りが暗くなった海上で、たとえようのない不安な気分になった。

[編集] 特記事項

沼東特有の事象を列挙する。

[編集] 学校生活

  • チャイムが存在しない。
代わりにブザーが鳴る。多くの生徒はこれを入試で初めて耳にするが、入試で緊張している時に突然非常に大きな音量で鳴り響くのでかなり驚く。入学直後もしばらくは驚く。馴れてくると長ったらしいチャイムよりずっと機能的であることに気づくようになる。
  • 履き物は下駄も可。
生徒手帳に「下駄も可」とかかれている。
サンダルでの通学は怒られるが、下駄での通学は褒められるというような珍事もしばしばある。
野球の応援には全員下駄が原則だった。女子も婦人ものの下駄を持参していた。これは履物としてだけでなく応援の際の楽器(鳴り物)でもあったため。通学用の革靴が3000円から5000円するのと比べて下駄は500円から1000円程度と廉価であり、通学の履物として定着していた。しかし、父親の桐柾目(まさめ)の下駄、(これは高級品で5000円はする)を履いてきてその日のうちに割った者もいた。ただし、上の「承認式」で沼東生として承認されるまでは下駄履きは自転車通学とともに禁止されている。応援練習がひととおり終わった数日後、昼食時の校内放送で、「応援団から一年に告ぐ、明日より脱帽と下駄履きを許可する。大切に履くように。」というのが突然流れる。「承認式」以前の時期のことである。なお、脱帽とは、帽子をかぶらなくてもよいという意味である。かつての沼東生は、他の高校が革靴に制帽で登下校するなか、下駄を履いて制帽を被らずに登下校していた。なお、生徒手帳では帽子について次のように書いてある。 帽子はかぶってもよい。かぶる場合はフランス型を原則とする。 
現在の野球応援では下駄踊りは一部の生徒(強制的に1年生とやりたい人達)が行う。下駄は大体部室にある。
  • 校則が少ない
生徒による自治と関連するが、いわゆる校則といえるようなものを意識することがなかった。それでも一応は明文化されたものがあるが、それを読む者はすくない。一度だけ話題になったのは、次のようなもの。
※いわく、「専ら(もっぱら)客に酒を飲ませることを目的とした飲食店に、生徒だけで立ち入ってならない。」
専ら客に酒を飲ませるというのだから、酒以外の飲み物もおいてある店は該当しない。いまの世の中どんな飲み屋にだってウーロン茶くらいはおいてあるので、実質的には本人の自覚ある行動に任せられていた。 
最近では夏季における開襟シャツの裾だしや、冬季におけるマフラーの自由化、コート着用を認めるよう自治会(主に代議委員会)が中心となり活動した。
山線大岡駅前には沼津東高生専用駐輪場がある。岡宮校舎はいずれの駅からも遠く、御殿場・裾野方面から通学してくる生徒にとっては、大岡駅の専用駐輪場はありがたい存在だが、少々人目につきにくい場所にあるため、外部からの盗難にあったり、無銭乗車してこっそり駅のホームからフェンスを越えてくる人とばったり遇ってしまったりすることがたまにある。最近は防犯カメラが設置された。
古くから御殿場市や県境の小山町から通学する生徒が多かった。なかには神奈川県の山北町や松田町あたりの者もいた(市内に下宿していた)。そこまでする者は当然成績優秀者が多かった。
  • オートバイ通学*
昭和40年代まで、オートバイで通学する者もいた。なかには開通間もない東名高速を使って御殿場から乗りつける猛者もいた(現在の岡宮校舎は東名沼津インターが近い)。他人のオートバイに貼ってある許可証を剥がして父親の自家用車に貼ってマイカー通学をやってのけた生徒まで出現した。昭和50年頃にはそうした姿はなくなった。なお、オートバイ通学の許可を得るためには県警白バイ隊による講習に参加する必要があった。講習会で白バイ警官のスーパーテクニックに触れ「白バイと追いかけっこするのだけは止めよう」と思う生徒も多かったようだ。(休憩中にマックスターン実演をせがまれた若い警官が実際にやってしまい、生徒の拍手を浴びたが実は始末書ものだった、という微笑ましいエピソードもある。)
オートバイ通学を認めてきたことは、普通課の高校としては数少ない定時制の存在が背景にある。部活が終わり、昼間の生徒が帰るころ、定時制の生徒が登校してくる。グラウンドやプールの照明装置は、定時制のための設備である。いわゆるスクール水着ではない大人の女性の水着姿を眺めたくていつまでも帰宅しない者もいた。
  • 早弁(はやべん)の習慣
昼休みの時間に行われる応援練習のため、1年生は入学直後から早弁が習慣になる。この習慣はその後も続き、実質的に弁当はいつ、どこで食べていても不思議でない風潮が出来上がっていた。部室に食べかけのまま置いてあった弁当をイヌに食べられ、帰宅後空の弁当箱を見て「今日はきれいに食べたわね」と褒められたという悲喜劇も聞いたことがある。
  • 上級生と先輩の峻別
上級生とは、ひとつ間違えば同級生になりうる者のことで、1年生にとって2,3年生がこれにあたる。先輩とはすでに卒業した者、つまり同級生になりえないOBのこと。こういう用語の解説をする教師がいて、一応の納得をしていた。
通常、上級生に関してはさん付けで呼び、先輩は「○○先輩」と呼ぶことになっているが、先輩に対してもさん付けで呼ぶ場合がほとんどである。
  • 仰天放送*
校内の放送は、部活の放送部が昼を中心に独自の番組を流していた。しかし、職員室からの呼び出し等で突然切断される。その呼び出しがすさまじい。一切名乗らず「だれそれ(ファーストネームのみ)、ちょっと来い」しまいには「ちょっと来い」だけというものあった。これでも呼ばれた本人にはわかるらしく、ある者がある教師のもとに走っている。
  • 卒業生の先生 vs それ以外の先生
この学校を語る上で、影響力という点で避けては通れないのが、沼津東高校を卒業して母校に帰ってきた教諭の存在である。進学校なので、大学の教育学部等を卒業して母校に赴任する先生は多く、職員室内でも一大派閥を構成している。これらの先生方は、伝統を好むOB各位からのプレッシャーもあってか、総じて愛校心や「ここは特別な学校である」という思い入れが異常に強く、沼津東高校のアイデンティティ・伝統の継承に大きな役割を果たしている反面、古い伝統の押し付けに反発する在校生たちや、普通の進学校であろうとする他の先生たちとの間で、しばしば軋轢を生じている。卒業生の先生が「沼東生としての誇りを持て」とスピーチした後で、「私は『沼東生』という言葉はキライ」とスピーチし、生徒たちの前で露骨に対立した大人気ない先生もいる。そんな対立を、生徒たちの方は意外と冷めた目で見ていたりする。

[編集] 自治会・応援団

  • 自治会
いわゆる生徒会のこと。自治会とよばれている。戦後、新制の高等学校として再出発した際、かつて卒業生の多くが進学した旧制高等学校を意識して、生徒による自治を実現する組織ということで自治会が発足した。民主主義の基本原則にしたがって三権分立のしくみとした。代議委員会(立法)、執行委員会(行政)、司法委員会(司法)からなる。これらをまとめて「自治会三会」または単に「三会」と呼ぶ。
旧制中学校時代からの校歌の一節に、「我が同胞の自治の里」とあるので、こうした自治の理想を追いもとめる気風は以前から受けつがれてきたものであろう。
任期は半年であるが、期間が少し変則的であり、前期が6月から11月、後期が12月から翌年5月となっている。そのため、自治会役員はホームルーム内から選出することになっているが、4・5月にはクラス替えによって役員不在となるホームルームも存在する。
役員は5月末と11月末に1・2年生の各ホームルームから選挙で選出される。代議委員と司法委員は1名ずつ、計16名が選出される。一方で執行委員はこれら2つと比べると人数が多く、各ホームルームから1~3名選出され、人数は全体では25名程度になる。
代議委員会は自治会の最高機関とされており、校則を制定できるということになっている。近年では前述のマフラーの自由化等を行った。
執行委員会は代議委員会決議の執行が主な職務となっているが、実際には行事の運営が専らの活動である。特に、9月に行われる球技大会はほとんど執行委員会のみで運営される。加えて、各部活動の予算の決定や会計の管理を行うというかなり大きな権限を有する。活動内容が最も多いことと人数が多いことから、自治会三会では最も目立つ。
司法委員会は生徒裁判を開く権限を持つ。かつては頻繁に裁判が行われた時期もあるようであるが、現在では全く行われていない。司法委員会が最も活躍するのは、4月の新入生へのバス乗車指導や自転車の点検であろう。また、校内に部活動等で掲示を行う場合には、掲示物に司法委員会の判子が押されていないと掲示できない。
かつては、自治会三会の委員長および応援団長は東京大学に入学しなければならないという恐るべき規則があったようである。
  • 応援団
応援団は部ではなくホームルームから選出された者で編成され、自治会の執行委員会の一部であり、その正式名称を「応援団運営委員会」という。
本校においては通常「援団(えんだん)」と略されることが多い。
承認式の直後、4月に級長等の選挙を行う際に、応援団の候補となる男子生徒を4名選出し、選出された者は別室へ移動した後、団長と面接を行い、その中から1名が応援団となる。
実質的には柔道、剣道、空手など(いわゆるコワモテする部)の部員から選ばれていた。現在は応援団の選出は承認式の直後に行われることから、入学直後にホームルーム内で目立つ存在となった男子生徒が選出されてしまうことが多い。
  • 応援歌が多い。
ほとんどの応援歌が旧制高等学校寮歌の替え歌。歌詞が難しく、内容を完全に理解して歌っていたものは多分皆無。漢文の試験で「応援歌を現代文に訳せ」というのが出題されたこともある。逆に応援歌の歌詞に使われている意味不明の単語が漢文に出てくることが稀にあり、その時生徒によっては意味もなく感動を覚える者もいる。
※応援歌は楽譜がなく口伝えのため、年代によって旋律などが異なる。歌詞も多少変化している。歌詞に年数が使われているところは年代によってそれが「八十年」だったり「百年」だったりする(現在は「百年」)。同窓会やOB会で年代の異なる者どうしで歌うと、期せずしてハモッたり語呂がずれたりして歌ったあとしばらく話題になる。現在では新入生向けに校歌(N響)+応援歌のカセット(最近ではCD)が販売されている。校歌と応援歌を収録したCDは、香陵記念館(図書館)1階の同窓会事務局で販売している(定価1500円)。校歌についてはフルコーラス版、ワンコーラス版のほかになんとカラオケバージョンまで収録してある。ワンコーラスのみの校歌は、いつでも甲子園で使えるようにアレンジされたものだと考えられる。同窓会やOB会の際には会場のBGM用として貸し出しもしている。また野球応援・香陵祭のみで歌われる曲もある。ちなみに香陵祭のは早慶応援歌や軍歌の替え歌。若鷲の歌はたまに右翼の街宣車が流している。
  • 式典時の校歌斉唱は応援団が指揮を行う。*
販売されるCDには校歌は伴奏が入った状態で収録されているが、多くの場合は応援団の指揮によるアカペラである。指揮はCDのものと比べて著しくテンポが遅く、またヘ長調からハ長調へと調も変わるため、初めてこれに接する新入生は面食らう。一方、カセットやCDの校歌に初めて接する古いOBは逆の意味で面食らう。新入生が応援団の指揮で初めて校歌を歌う対面式において、CDの速さで歌ってしまい応援団から「速すぎる!」と怒鳴られるのは最早定番となっている。吹奏楽の伴奏つきで校歌を歌う機会は、入学式、卒業式以外ではほぼ皆無といってよい。

[編集] 部活動

  • 厚生部が存在した。
部活動を学友会ともいうが、大別して運動部、文化部、そして厚生部というカテゴリーがあった。戦後、新制高等学校として発足した当時、経済的理由で通学できない生徒が多く、この対策として、校内で営業を認められた部があった。購買部、理髪部、食堂部、清掃部などが知られている。当初は各部ともに資本金10万円で発足し、一般の事業所にならって経路処理をしていたという。当然部員に給与が支払われた。社会の安定とともにその存在意義が薄れていき、徐々になくなっていった。清掃部は全員で清掃するのが当然という風潮により廃止。理髪部はGIカットが廃れ、長髪の流行とともに淘汰された。食堂部は保健所の指導により廃止。購買部は昭和50年頃に廃止が職員会議により一旦決定されたが、生徒自治会の反対により存続となった。現在は廃止されている。現在、運動部にも文化部にも属さない部としては、先の「若人の家運営委員会」がこれにあたる。
  • 部室が生活の拠点*
全員入部制や習熟度別クラス編成などに関連するが、部室が学校生活の拠点となっていた。ホームルームよりはるかに居る時間が長いし、私物も部室に置いていた。朝まず部室で履物を替え、ホームルームで連絡を聞く、その後授業で校内を放浪する。大学と同様、休み時間は教室移動のための時間である。昼は部室で過ごす。午後も授業がおわればそのまま部活である。校舎一階に下駄箱があるにはあったが、自分の下駄箱がどこかを知らずに卒業するものが多かった。この傾向は運動部でことのほか顕著であった。これは、2,3年生の駐輪場が体育館の地下にあり、そこから運動部の部室はすぐ近くだが下駄箱は遠く、下駄箱に靴を置いてから教室へ行くのはかえって遠回りになるという理由もあった。ただし1年生は駐輪場が下駄箱の目の前にあるため、下駄箱を使用している生徒も多い。が、中にはわざわざ遠回りして部室へ寄ってから教室へ向かう1年生も少なからず存在する。
  • フェンシング、ボート、ホッケーのような比較的競技人口の少ない競技で高校総体の常連。
※こうした部員には私立の大学を中心に無試験の推薦入学のオファーが多かった。まだ5校しか推薦がないなどと嘆く者までいて、周囲からうらやましがられることもあった。
  • 王将コース/外周コース
「王将コース」といっても、「餃子の王将」のコース料理ではない。学校を出て、グルメ街道の「餃子の王将」の前で折り返し、また学校に帰ってくるという、コースである。体育のマラソン大会の練習や、運動部のウォーミングアップによく使われる。ただし近年は国道246号バイパスの延伸に伴い、学校の周辺地域の再開発計画が進んでおり、王将コースの存続にも少なからぬ影響があるものと、危惧されている。
加えて、「外周コース」というものも存在する。これは王将コースのように遠くへは行かず、学校の敷地の周囲を走るコースである。とは言うものの1周約1.5kmほどあり、それなりにアップダウンもあるので意外ときつい。こちらは通常の体育の授業の準備運動でよく使用されている。

[編集] 行事

  • どんな行事にもフォークダンスが付き物。
※全校の女子をかき集めても3年生の男子より少ない時代が続いた。それでも行事ではフォークダンスがあり、必然的に男同士のペアが出現し、怪しい雰囲気であった。昭和50年代では、香陵祭のフォークダンスに参加できるのは3年生の男子と女子全学年だけで、あとは2年生の応援団員は特別に参加を許されていた。フォークダンスの間、1、2年生の男子はスタンドで「見学」していた。現在は男女比がほぼ同等なので、機会は少ないないが、若干男子の人数の方が多いため、男子同士で踊る組ができる場合もある。これを通称「ブラックゾーン」と言う。香陵祭においては、3年生にブラックゾーンができないようにするため、1年生の女子の一部が3年生と踊るようにしている。
  • 花火係と歌係も行事には付き物。*
    • 花火係:市販の花火を大量に用意して仕掛け花火ふうに点火する。木枠に小さな花火を「香」「陵」「祭」の字の形に貼り付け、速火線(火薬の入った強力な導火線)でつなぐ。その他、プロの花火師を呼んで本格的な打ち上げ花火も数発打ち上げる。空き缶をロケット花火を打ち上げる台に使うために、一人3本の缶コーヒーを飲んで体調を悪くしたり、そのロケット花火の台が倒れて自分の方に飛んできて制服に穴を開けてしまったり、地味だが、実はなかなか体を張った仕事である。花火の湿気を防ぐための乾燥剤(海苔などに同封されているもの)は、花火係の生徒の各自宅からの持ち出しであり、係の生徒のもとには、香陵祭が終わってもしばらくは、家中の乾燥剤が集まり続ける。(経験者談)  
    • 歌係:旧制高等学校の寮歌などが大半。「ああ玉杯に花うけて」「紅萌ゆる」「都ぞやよい」など、高校生でありながらヒットチャートの歌より先にこんな歌をおぼえてしまう。現在は、沼東ヨンヤ節を除き香陵祭用のオリジナル曲(海浜教室や高原教室でも、生徒の公募で選ばれる)や今時のJ-POPが流れる。
  • 職員劇
香陵祭のステージで毎年恒例の出し物として、職員による劇があった。出し物は桃太郎的なシンプルで他愛もない内容だが、その年々の社会風俗を取り入れた演出で人気が高かった。ストリーキング(昭和40年代のおわりごろ)には、会場全体が息をのんだ。生徒はともかく、父兄まで観るなかでよくやったものである。

[編集] 校舎・施設

  • 校舎内部がおそろしく汚く、老朽化が進んでいる
教室といわず廊下、階段といわず、校舎の内部がおそろしくきたない。原因は簡単で掃除をしないからである。教室や階段の踊り場には小さな砂場が出来ていたし、わたぼこりも多かった。集めれば楽に座布団が作れるくらいであった。それでも一応上履きと下足の区別はあったが、守る者は少なかった。「スリッパで地上を歩いてはいけない」という張り紙を見たことがある。
岡宮移転当時の校舎が現在も使用されているため、築40年になろうとしている校舎は老朽化がかなり進んでいる。雨が降れば渡り廊下に雨漏り受けのバケツが必ず用意される。しかし2002年には全教室に冷暖房が完備された。
  • 不思議な構造
中校舎2階と北校舎2階を結ぶ渡り廊下には屋根が存在しない。そのため、雨天時には濡れる。
中校舎3階の、2階の渡り廊下の真上になぜか扉が存在する。
3年生の理数科の教室は異様に広い。
  • 運動施設の充実
グラウンドが2面あるため、グラウンドを使用する部活動は広々と活動できる。西グラウンドのトラックは1周300mである。
テニスコート、50mプール、格技場など、その他の施設も充実している。
トレーニングジムが存在し、自由に利用することができる。
しかし屋外の施設が充実している一方で体育館は手狭であり、体育館を使用する運動部は窮屈である。
  • ニュートンのリンゴの木
英国の科学者、サー・アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見するきっかけになったとされるリンゴの木。その末裔にあたる木が本館の西側にある。もとの木の枝を東京大学付属植物園から譲り受けて接ぎ木したものなのだそうだ。卒業生である長倉三郎氏のはからいで贈られたという。まだ若い木なので実をつけるまでにはなっていないが、そのうちリンゴ泥棒が出没することだろう。味はさておき、その実を齧ってみたいとひそかに思っている者は多いはずである。
  • 香陵会館
略して「こうかん」と呼ばれる。
1階は食堂であり、ここで昼食をとる生徒も多い。昼休みには食堂の入り口でパンを売っている。
中でも「ミリオンパン」の人気が高く、体育祭のパン食い競争にも使われるほどである。
食堂内には飲み物の自動販売機も設置されている。ただし、缶飲料は館外持ち出し禁止となっている。
2階は畳敷きの宿泊施設になっており、運動部の合宿に使われる。また、棋道部などここで活動する部活動も一部存在する。
  • 図書館
この学校の歴史を語る上で欠くことができないのが、図書館である。沼中時代からの創立以来、図書館の整備には非常に力を入れ、当時全国トップレベルの分不相応なまでに充実した設備と蔵書を備えていたと伝えられている。また太平洋戦争中においても、図書館への被害を最小限に食い止めるため、あまり戦火が及んでいない御殿場や小山などの生徒の自宅に蔵書を避難させていたという。そのような教室外の学習を重視する当時のアカデミックな校風が、文壇や学界に人材を輩出する土壌になったことは、想像に難くない。一階にはマントルピースを備えたラウンジがあり、そこにおいてあるビリヤードのセットなどとあいまって、文化の匂いの濃厚な空間が提供されていた。なお、ビリヤードは、幾何学の実体験(数学)ならびに運動エネルギー保存の法則の実証設備(物理)という、教育的効果が評価されたことによる。一応の存在理由があった。
現在の岡宮の地に移ってからは、校舎の一部を図書室として細々と続けるしかなく、それまでのような立派な図書館はなかなか実現できなかったが、旧校舎を知る卒業生の図書館への思い入れは強く「後輩たちにも図書館を!」と願う卒業生たちの多大な援助を受け、1993年に、自習室やちょっとしたホールまで備えた大変立派な図書館「香陵記念館」が完成した。一県立高校でここまでの図書館を備えている学校は、おそらく全国でもそうそうないであろう。ときは「活字離れ」であり、受験勉強に忙しいこともあって、この香陵記念館も例に漏れず、完成以来生徒に有効活用されているとは言い難い状態であるのも事実だが、立派な図書館がある意味・ありがたみは、卒業して何年か経ち、大人になってからわかるものなのかもしれない。
図書館内に塾や予備校のような個人ブースを完備した自習室が設置されている。こちらは3年生を中心に比較的よく利用されているようである。
地下に広い階段教室や会議室を有しており、ここで授業が行われることもある。特に会議室は文系の地歴2科目選択者の地歴の授業や理系の倫理選択者の倫理の授業など、選択者が少ない科目の授業で比較的頻繁に使用されている。
蔵書数は現在5万冊あまり。国立大学の図書館で1学部あたり20~25万冊が平均といわれており、沼津市立図書館でも42万冊であることを考えると、単純に蔵書数でいえば跳びぬけて充実しているというわけでもない。

[編集] 学習面

  • 入学後の学力低下の傾向
入学後、最初の夏季休業(夏休み)までの期間、1年生にとっては過酷な行事スケジュールが集中するため、学業に集中しにくい環境となる。入学時の平均学力は県下でもトップクラスなのだそうだが、半年後には平均すれすれまで低下する。そのままのペースに陥る者も少なくない。しかし、3年生の夏以降、各自の集中的な追い込みによって、平均が回復する。進学実績がそのことを証明している。しかし、現在では浜松北高や静岡高校はおろか韮山高校や富士高に有名大学の進学実績で及ばないことが多い。(OBに送られる同窓会誌で進路担当の言い訳が聞ける)
世間的には進学校とされる高校であるが、生活面でも学習面でもメリハリがない状況が、進学実績を下げる要因となっていると思われる。
  • レベルの高すぎる数学の試験問題*
校内の定期学力考査、すなわち試験における数学の問題が難しく、相当のハイレベルであった。のちにいくつもの医学部に合格するようなトップクラスの者でも100点満点の試験で70点程度、平均が30点台ということも多かった。100点満点の試験で平均が20点前後で、40点とれば学年でトップ10に入るというケースも見られた。一ケタしか取れない者も少なくなかった。
150分の長時間の試験であった。伸びる者をさらに伸ばすねらいがうかがえる。その一方で、一ケタ得点の者でも置き去りにされた(落ちこぼれた)意識をもたずにすむ側面もあり、そういう者がのちに国立大学に合格したりしている。
  • 夏季空中自習室*
受験勉強が本格化する夏休みの三年生は、予備校の講習で上京する者、山寺に籠もる者など各自が集中できる工夫をこらす。そうしたひとつの形として、休み期間中開放されていた教室で机を積み上げて自習に没頭する姿が毎年のようにみられた。1教室を1,2名で使用し、机を3段に積み上げすべての窓を全開にして自習する。 椅子が一体になった机の時代なので積み上げても安定がよかった。手をのばせば天井に届くような空中で、誰にも邪魔をされずに各自のペースで自習をすすめていた。汗になればその場で着替えてプールに向かう。そのままの恰好で机に向かう姿も見られた。 
  • 暗例(あんれい)
当校オリジナルの英語の副教材、正しくは暗誦用例文集、略して暗例(あんれい)と呼ばれている。いつの編集なのか知らないが、英語の教師が寄ってたかって例文を作ったものと推測される。入学直後に配られる。1~2行の短い英文が羅列してあるだけのもので、片っ端からひたすら暗記するという単純な教材。もともと簡素な装丁のもので、1年もたてばぼろぼろになる。勝手に内容を変えて楽しむこともあり、そこまでいったとすればこの教材は有効であろう。卒業後20~30年経っても結構憶えていたりする。 現在なお使用されおり(1990年代後半に抜本的な変更が行われており、冒頭の My knife cuts better than yours.という例文は平成17年度で25,6才のOB・OGが最後である)、御殿場線の車内で一心不乱に憶えている姿を最近も見かけた。OBはそれを上から覗き込んでにやにやしたり。傍目には異様な光景であろう。
  • 短縮授業
災害時や大きな行事の際に、授業時間を短縮して行うもの。通常の1時限55分(現在は通常50分授業、詳しくは後述)のところを、50分(短縮1)、45分(短縮2)、40分(短縮3)の3通りのレベルがあった。わずか5分刻みではあるが、授業自体をカットすることを避ける仕組みであった。
  • 55分授業
2001年度まで火~金曜日は1時限が55分授業であった。月曜日は7時限にLHR(ロングホームルーム)を行うことから50分授業であった。2002年以降、完全週5日制によって土曜日が休みとなったため、火~金曜日も授業時間確保のために7時限目を行う必要が生じたことから、毎日50分授業となった。
当時(第2・4土曜日のみが休みであった頃)は「A週(土曜日が休みでない週)・B週(土曜日が休みである週)」というものが存在した。月曜日の5・6時限はA週は土曜日の1・2時限の科目、B週は土曜日の3・4時限の科目の授業を行っていた。科目ごとの授業時間数調整によるものである。

[編集] 著名な卒業生

(ちなみに卒業後、文学界に入られた、井上靖、大岡信、芹沢光治良の御三方は日本ペンクラブの歴代会長に就任している、【第5代が芹沢(在任期間、1965年~1974年)、第9代が井上(1981年~1985年)第11代が大岡(1989年~1993年)となっている】)

(また、上記御三方と長倉三郎氏は学校所在地でもある沼津市より沼津名誉市民の称号も送られている【なお、芹沢、長倉の両氏は沼津市出身でもある、なお井上靖は転居による編入で、入学時は旧制浜松中学(井上が転校後直後に学校名が旧制浜松第一中学と改称)に入学、在学していたが、陸軍軍医であった父が台湾への赴任となり、単身赴任で台湾へ赴任した為(赴任直前まで浜松市に在住)井上は残った家族と沼津市に移り、通学していた。(なお、在学当時は湯ヶ島村(現:伊豆市湯ヶ島)に、戸籍があった)また大岡信については、在学当時、出身地で近隣の三島市在住で三島から通学していたこともあり、名誉市民を送る時には(2003年、文化勲章受賞時)三島市からも同時に名誉市民を送る事となり、異例の2都市同時名誉市民授与となった。】)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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