隠し球
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隠し球(かくしだま)とは、野球で、走者に気づかれないように野手がボールを隠し、走者が塁から離れた時に触球して走者をアウトにするトリックプレイを指す。隠し球という言葉は公認野球規則で定義されているわけでも、また用語として用いられているものでもないが、一般に広く普及している野球用語である。英語ではhidden ball trickなどと呼ばれるが、こちらも野球規則などに定められているわけではない。
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[編集] 概要
隠し球は、投手がボールを持っているように見せかけ、投手以外の野手がボールを隠し持ち、走者が離塁した際に触球をすることで行われることが多い。ただし、投手がボールを持っていないのに投手板を跨いだり、捕手とサインの交換をするなどの偽装はボークとなる。ここで、走者はボールインプレイのときに離塁して触球されるとアウトになるのであるから、プレイが一段落したところで審判員にタイムを要求し、タイムが宣告されボールデッドになってしまえばアウトになることはない。球審がプレイを宣告し、再びボールインプレイとなるときは、
- ボールデッドになった後、投手が新しいボールか、もとのボールを持って正規に投手板に位置して、球審がプレイを宣告したときに、競技は再開される。(公認野球規則5.11)
と定められているので、一度ボールデッドとなれば、ルール上、隠し球が起こることはない。逆に言えば、隠し球自体はルール上は禁止されておらず、反則ではない。ただし、このように必ず成功するわけでもなく、失敗すれば投手にボークが宣告されたり単に試合時間が延びるだけになってしまうこともある。
隠し球を行うとき、投手はボールを持たずに投手板に近づくことは出来ないため、マウンド近くでウロウロするなど挙動不審な行動を起こしてしまうことがあり、それによって攻撃側が隠し球に感づくこともある。また、隠し球に対する防衛策として、一塁と三塁のベースコーチが走者にどの野手がボールを持っているかを伝えることがある。そのため、一塁走者や三塁走者に対して隠し球を行うことは難しいが、二塁走者に対してはベースコーチからの指示も遠くなるので一・三塁に比べて狙いやすいとされる。
日本においては、戦前は「卑怯である」という理由で禁止されていた。近年は、行なったチームが卑怯だと見られてしまうなどファンからの印象を気にしてか、プロ・アマ問わずあまり見受けなくなった。一方、メジャーリーグでは頻繁にというほどではないが戦術の一つとしてよく試みられる。アメリカでは日本と違い、定められたルールの枠内で知恵を絞って相手を出し抜くことは卑怯とはみなされない。むしろ、上述の野球規則をかいくぐってまで見事に成功させたことに喝采が(もちろん引っかかったチームのファンからはブーイングが)送られる。
[編集] 隠し球にまつわる記録
- 1965年6月10日の近鉄バファローズ対南海ホークス戦で、9回表二死一塁で代打が起用された場面のこと、球審がプレイを宣告した直後、リードのため離塁した南海の一塁走者ケント・ハドリはボールを隠し持っていた近鉄の一塁手・高木喬に触球され、一塁塁審もアウトを宣告した。しかし、「代打起用のためタイムがかけられた後、投手がボールを持って正規に投手板に位置する前に球審がプレイを宣告したことが規則違反である」と南海監督・鶴岡一人が指摘し、球審もこれを認めたため、アウトは取り消された。
- 通常、隠し球といえば走者が塁を離れた隙を突いて野手が駆け寄って触球するが、クリーブランド・インディアンズの三塁手マット・ウィリアムスは、1997年にちょっと変わった方法を使った。ボールをグラブに隠したままカンザスシティ・ロイヤルズの三塁走者ジェド・ハンセンに歩み寄り、「ベースの泥を払うから、ちょっとどいてくれ」と言ったのである。ルーキーだったハンセンは、オールスター常連のスター選手であるウィリアムスの言葉に素直に従って塁から離れ、あっけなくタッチアウトとなったのである。
- 2005年8月12日のマーリンズ対ダイヤモンドバックス戦でマーリンズのマイク・ローウェル内野手が、2004年9月15日のエクスポズ(現・ナショナルズ)戦に続いて2年連続で隠し球を成功させるという記録を達成した。日本でも、横浜ベイスターズの佐伯貴弘一塁手が、2001年に当時巨人の清原和博に、2005年の交流戦でロッテのサブロー選手に、2006年には巨人の李承燁に対しても隠し球を成功させている。しかし李の時はその後に試合を決定付けるホームランを打たれるという復讐がなされた。
[編集] 派生
上記から、交渉事などで不利な局面に備えて最後まで隠しておくもの、切り札、という意味でもよく使われる。