藤井孝男
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藤井孝男(ふじい たかお、1943年3月14日 - )は日本の政治家。岐阜4区選出の前衆議院議員。新日本製鉄副社長や参議院議員をつとめた藤井丙午の三男。座右の銘は『零即無限』。
[編集] 略歴
1965年3月、成城大学経済学部卒業。同年4月、アラビア石油株式会社入社。1971年より2年間カタール石油株式会社に出向し、アラビア半島カタール国で石油開発事業に従事。1973年アラビア石油株式会社に復帰し、水野惣平社長秘書として勤務。12年間の民間企業に勤めた。1977年に退社し父である参議院議員藤井丙午の秘書となる。1981年、丙午の死去により参議院岐阜地方区補欠選挙に自民党公認候補として立候補し初当選1986年7月参議院議員2期目当選、第3次中曽根内閣で大蔵政務次官。1992年7月参議院議員3期目当選を果たし、参議院自民党国会対策委員長等の要職を歴任。
1993年6月、参議院議員を辞職し同年7月の第40回衆議院議員総選挙に鞍替え出馬し当選。以後4期連続当選。ただし1996年の小選挙区制導入後は同区選出の金子一義とコスタリカ方式をとっていた。1997年9月の第2時橋本改造内閣で運輸大臣に就任。衆議院運営委員長、予算委員長等歴任。2003年9月には自民党総裁選挙に出馬。
2005年7月5日、郵政国会で反対票を投じた。このため同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自由民主党の公認を得られず無所属で出馬。同党公認で出馬した金子一義に惜敗。その後自民党から正式に離党勧告処分が下り、離党する。
2006年11月、自民党に復党し、2007年の参議院選挙に出馬し、参議院に鞍替えするとの報道がなされる。