ノート:聖徳太子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
593年に推古天皇が即位すると、(中略)翌593年に摂政となり...とありますが、推古天皇の即位と聖徳太子の摂政就任と、どちらの年が正しいのでしょうか。あるいは「翌」が間違いなのかも知れませんが... a perfect fool 10:38 2003年12月31日 (UTC)
- a perfect foolさんのおっしゃっている部分は、一見論理的には誤っているようですが、暦法の問題を考えると問題は一応消えます。
- 推古天皇が即位したのは、日本書紀によれば、崇峻天皇5年12月8日で、聖徳太子が摂政になったのは、推古天皇元年4月10日です。それゆえに、推古天皇即位の年(崇峻天皇5年)の次の年(推古天皇元年)に、聖徳太子は摂政になったといえます。
- ですが、崇峻天皇5年も推古天皇元年も西暦の年代ではありません。そこで、西暦に換算します。崇峻天皇5年はおおむね西暦592年(一応ユリウス暦を前提に進めています。)に相当しますが、崇峻天皇5年の最後の1ヵ月半は西暦593年になります。(旧正月が今の日本の暦で、1月終わりから2月はじめぐらいになることと同じようなものです。)それゆえに、崇峻天皇5年12月8日は、西暦593年です。また、推古天皇元年4月10日は、西暦593年です。
- 誰か、うまくこのことを記事の方に表現してくれませんか? 私には簡潔にまとめられなさそうです。 Auf 10:58 2003年12月31日 (UTC)
-
- 暦の違いでしたか... 西暦上では同じ年でも、確かに少なくとも「その年」とは書けませんものね^-^;
- 例えば、もしかしたらこれは望ましい表現ではないかも知れませんが、もし「次の年」という事を強調したいのであれば、当時の元号を使う以外ないのかも知れません。あるいは、「翌年(593年)」とか「翌年(西暦では593年)」といった表現の方が文章的な違和感は緩和される様な気もしますが、如何でしょう。a perfect fool 19:21 2003年12月31日 (UTC)
「Nnhさんが書いた文」でいいと思います。太子の概略を書き、実績を書くのが何故いけないのか、その理由をこのノートへ書いておくべきです。理由も書かない、ログインもしないでは、ウィキペディアの秩序を乱すもとです。「日本の歴史」関係に理由も書かないで、気に入らない部分を削除する人がよくあります。やめて下さい。
まあ、日本史関係は、どなたでも知っておられることばかりなので、皆さん気軽な気持ちで書き換えるのでしょうけれど、内容をよく読んでから書き換えたらいいと思います。それから、日本歴史は誰でもがよく知っておられるということの外に、知らず知らずのうちにその人の立場というか、考え方というか、思想みたいなのが絡んでいるのだろうと思います。知らず知らずのうちにです。どうでしょうか。Shikire 05:23 2004年1月25日 (PST)
ずっと気になってはいたのですが、Aufさんの暦についての説明の書き込みに
-
- 『崇峻天皇5年12月8日は、西暦593年です。また、推古天皇元年4月10日は、西暦593年です。』
- とありますが西暦593年の12月8日の後に、西暦593年4月10日が来るのでしょうか。
- また、歴代天皇の一覧では33代推古天皇の在位は592年12月8日から628年3月7日となっています。
- 暦についての知識がないのでよく理解できません。どなたかすっきり表現してくれないでしょうか。
いまさらすみません。(2005年11月30日 (水) 11:16 JST 60.237.119.249さん)
-
- 月日まで新暦換算されていない(年だけを出して議論している)ので判りづらくなっているのだと思います。上に書かれている中で、「12月8日」、「4月10日」は旧暦、「西暦593年」は新暦です。月日まで換算すると、崇峻天皇5年12月8日はユリウス暦593年1月15日、推古天皇元年4月10日はユリウス暦593年5月15日です。「歴代天皇の一覧」は、旧暦の正月における新暦の年を年末まで使用することにしていますので(その旨注記があります)、「592年」と書かれています。(本当は全部新暦換算を併記すれば良いのでしょうけどね……)nnh 2005年12月15日 (木) 08:13 (UTC)
目次 |
[編集] ノートへ転載、要削除(特定版)
このノート:聖徳太子の2005年6月30日(木)01:14(UTC)の編集にて、[1]からの転載がありました。特定版削除が必要と考えます。 - Gombe 2005年6月30日 (木) 02:08 (UTC)
[編集] 聖徳太子の誕生日
574年2月7日
[編集] 聖徳太子架空説
「ただもし聖徳太子の存在を否定するとなると、では何故架空の話をでっち上げる必要があったのかを説明しなければならない。(蘇我一族(極悪人の扱い)との関係を説く人もいるが、合理的な説明はなさそうだ。)」の記述は不明です。説明が無いということはないでしょう。その点についてのたとえば大山誠一の説明や、対する反論などを紹介することはできないのですか? Shinobar 2006年4月22日 (土) 12:19 (UTC)
ちょっと調べても、次のようなものが見付かります。Shinobar 2006年4月22日 (土) 23:34 (UTC)
面白い動きがあるものですね。イエスや仏陀が実在の人物ではない云々という説を唱えるものは以前からありましたが、こんどは聖徳太子虚構説ですか。リンク先の毎日新聞によると、大山氏の発言として、
- 'まだ学問的に納得できる反論はない。今後も絶対ないという自信がある」と言い切っている
ここまで「言い切っちゃう」と、反論不能性とかで疑似科学と呼ばれる可能性もありますけど。大山氏は学術雑誌に論文としてこの説を投稿しているのでしょうか。それが学者生命をかけて主張しているかどうかのポイント。しばらくワッチします。紫苑 2006年4月23日 (日) 11:35 (UTC)
反証不能ですよ。日本史には720年の『日本書紀』を遡る文献資料がありませんから(たぶん焚書に逢ったんでしょう)。中国の資料を使うか、あとは物証ですが、もう新しいものは出ないでしょう。それから、大山氏をはじめ、聖徳太子虚構説を唱えている人たちは、立派にアカデミックな人たちです。戦前の有名どころでは津田左右吉とか。Shinobar 2006年4月23日 (日) 14:17 (UTC)
- 架空説についてあまり (今の方向で) 記事をふくらませる必要、日本書紀に架空の話が記載されているかもしれないことについて理由の提示の必要はないのではないでしょうか。架空説に対してのみここで (日本書紀の記述の信憑性について) 説明が必要だとは思いませんし、「合理的な説明はなさそうだ」の部分にいたってはほぼ編者の主観のように読めます。Shinobarさんが引用されている部分の文章が丸ごと不必要なものではないでしょうか。かなり前からある「ただし、実在を否定する決定的な史料は無い。」の一文もかなり恣意的な気もしますし、架空説についてWikipediaの編者が評価をしようとしているような、2つめの段落自体が不要のようにも思います。後ろの即位説や九州王朝天皇説のように説の説明だけに留めておいて、それを評価するような記述は避けておくのがよいのではないでしょうか。評価的なことを記述する場合は、学者等の意見や説を紹介するに留める、あまり分量が多くなるようだったら聖徳太子の記事には説の紹介だけを残して単独で別記事をたてる、という方向性ではどうでしょう。219.2.18.25 2006年4月30日 (日) 02:27 (UTC)
2006年4月30日 (日) 13:37 に「一般的でない仮説」にされちゃってますが、聖徳太子像のほとんどが虚構であるというのがむしろ主流のようですよ。『聖徳太子虚構説を排す』が出版されていますが、こちらのほうがトンデモ本であることが目次だけ見ても分かります。教科書の表記が「聖徳太子」から「厩戸王」に変わるのは「聖徳太子」が信仰にもとづく表記だからということでしょうが、そうして区分けしたときに、厩戸王の実績で確実なものは冠位十二階と遣隋使の2つしか残りません。これとて、厩戸王が当時の政権の指導者であればという仮定の上のものです。大山誠一の説が必ずしも主流でないというのは、主には聖徳太子信仰がいつ、なにゆえ発生したかという部分に攻防が移っているようです。 Shinobar 2006年5月1日 (月) 00:22 (UTC)
「一般的でない仮説」の表題を戻しました。 理由:
- 大山説は史学の定説ではない。
- 他の2つの仮説も定説ではない。したがって「一般的でない」が必要。
- なお「仮説」とは別に蔑称でもなんでもなく、科学的な方法段階のひとつです。
紫苑 2006年5月1日 (月) 14:38 (UTC)
- 諸説(仮説)にしました。理由は非実在説が有名になれば定説でなくとも「一般的」になるためです。なお私見では科学では定説においても仮説であると存じます。Izayohi 2006年5月1日 (月) 22:55 (UTC)
「仮説」は問題ないが、「一般的」という言葉に価値判断が含まれている。何を「一般的」と呼ぶか。世間に聖徳太子が歴史的人物と信じる人は多いが、研究者の間では、それは怪しいというほうが常識。「定説」があるのなら他を「異説」と呼べばよいが、では「定説」はあるのか? Izayohiさんの「諸説(仮説)」が適当だと思います。Shinobar 2006年5月1日 (月) 23:17 (UTC)
議論を受けて「一般的」を避けて、「定説」でない仮設としました。紫苑 2006年5月2日 (火) 02:46 (UTC)
この件に関し「定説」は無いと思います。「通説」ならあるのかもしれませんが。Shinobar 2006年5月2日 (火) 05:20 (UTC)
[編集] 意外な影響
2006年4月24日以来「聖徳太子が残した現代への意外な影響」の項目が付加されているが、一般に知られている影響を挙げずに「意外な」影響だけを挙げるというのはおかしい。また、十七条憲法が与えた影響だけを指摘するならば、十七条憲法の独立記事があるので、そちらに記すべきである。Shinobar 2006年4月26日 (水) 00:43 (UTC)