等々力陸上競技場
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等々力陸上競技場(とどろきりくじょうきょうぎじょう)は、神奈川県川崎市中原区にある陸上競技場。等々力緑地内に集中するスポーツ施設の中心的存在となっている。「等々力緑地公園陸上競技場」(とどろきりょくちこうえんりくじょうきょうぎじょう)という呼び方もされるが、施設正面や川崎市の公文書などには等々力陸上競技場とあるため、項目名もそれに倣う。
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[編集] 概要
- 日本陸上競技連盟公認(2種)グラウンド
- 所在地:神奈川県川崎市中原区等々力1-1
- 施設面積:35,048m²
- 陸上トラック:8レーン
- 天然芝フィールド
メインの陸上競技場は25000人収容。ただし2002年から2004年までのフロンターレ戦はJ2所属のためそれほど観客が見込めなかったことから、ゴール裏2階席は特に大勢の観客が見込める試合や雨天時を除いて開放せず18000人程度の収納であった。
これまでフロンターレの主催試合では9回(2002年に1回、2003年に2回、2004年に1回、2005年に2回、2006年に3回)、1試合の入場者数で2万人台を記録している。現在の最多入場者数記録は、2005年3月12日のフロンターレ対浦和レッズ戦(24332人)。
メインの陸上競技場は日本陸上競技連盟第2種公認を受け、8レーンの陸上トラックを保有している。川崎市内の学校などの競技会や、高校や大学の記録会などで使用されているが、使用日程ではフロンターレ戦が優先されるので、トラックの頻度はそれほど高くはない。
この他、300mトラックを持つ日本陸上競技連盟第3種公認の補助競技場を持つが、こちらはかなり荒れた状態になっている。また、現在の公認基準に照らすと、補助競技場のトラックを400mに改修しないと、メインの陸上競技場は第1種認定を受けられない事になっている。
公衆無線LANは使えない。
2008年の第92回日本陸上競技選手権大会の会場に決定し、改修工事を行うことになった。陸上競技場は日本陸上競技連盟第1種公認へ、それに合わせて補助陸上競技場も400m全天候形に整備されることになる。
[編集] 沿革
かつてこの地域は多摩川が蛇行する氾濫原で、1912年に川の流れが整理され、境界が変更されるまでは東京府荏原郡玉川村等々力に属していた。その後、多摩川の砂利採取が進み、昭和前期にはその跡地に東横池と呼ばれる池が点在するようになった。戦後に川崎市が東横池の一部で買収と埋め立てを計画し、整備された公園施設の一部として1962年に陸上競技場が完成した。メインスタンドのみがベンチ、バックスタンドとサイドスタンドは芝生席という、当時としては標準的、ただし現在から見るとかなり貧弱な施設であった。当初から川崎市民のスポーツ施設として活用される一方、1965年から始まったサッカーの日本リーグでは読売クラブ、東芝(現・コンサドーレ札幌)、NKK(日本鋼管)がホームスタジアムとしていた。(読売は東京都稲城市に本拠があるため、東京都内各地の主要競技場も使用された)
1993年のJリーグ発足時には読売クラブが改名した読売ヴェルディ(ヴェルディ川崎、現在の東京ヴェルディ1969)が引き続きホームスタジアムとして使用したが、観客収容数は約1万人弱であり、J1規格を満たさないなどスタジアム施設の拡充は間に合わず、芝のはがれを隠すため緑色に塗装した砂をまいたという事件もあった。Jリーグ一の人気チームとなったヴェルディ戦のチケットはプラチナ化し、ヴェルディやそのサポーターからの不満を更に強める結果を招いた。一方、ヴェルディはJリーグ発足前から東京移転の希望を公言しており、チームを引き留めるためにも施設整備は急務で、川崎市の長期構想では川崎区臨海部での国際級スタジアム建設(5-7万人規模)まで盛り込まれた。
その後、同年秋から2年間をかけてメインの陸上競技場でスタンドの増築を施すことになり、まず1994年秋にゴール裏を立見に、またバックスタンドを二層スタンドにして1万6000人収容で仮オープンした。1995年にはゴール裏も二層式となり2万5000人収容でグランドオープンした。併せてオーロラビジョンをホーム側ゴール裏、得点掲示が出来る電光掲示板をアウェー側ゴール裏にそれぞれ設置した。ただし、ヴェルディはこの年まで3年連続出場したチャンピオンシップでの主催試合をいずれも国立霞ヶ丘陸上競技場で開催し、川崎市との関係が一層疎遠になる原因となった。また、この頃からヴェルディ戦の観客動員数が急減し、グランドオープン後の等々力は閑散とするようになった。
1997年には富士通サッカー部を前身とする川崎フロンターレが誕生、等々力に本拠地を置く2つ目のプロサッカーチームとなった。フロンターレは1999年のJ2優勝でJ1昇格を果たし、2000年には公式戦での「川崎ダービー」4試合がすべて等々力で実現した。J1ではヴェルディの1勝1分、Jリーグヤマザキナビスコカップ準々決勝ではフロンターレが1勝1分で勝ち抜けた。
しかし、フロンターレは2000年のJ1年間成績で16チーム中最下位となり、1シーズンでJ2に陥落した。加えて、2001年からヴェルディが東京都調布市の東京スタジアム(現味の素スタジアム)へ移転したため、川崎ダービーは1年で終了し、等々力(および川崎市内)でのJ1開催は2005年のフロンターレJ1再昇格まで待つ事になった。
2002年、川崎市がワールドカップにおけるクロアチアキャンプ誘致を目指し、芝生の全面張り替えやスタンドの一部改修などを実施したが、結局キャンプ誘致には失敗した。しかし、その改良は現在でも効果を発揮しており、アクセスや設備の良さからトヨタカップのために来日したレアル・マドリードやACミランの練習場としても使用されるなどの実績を積んで、過去の汚名を返上している。
[編集] 交通
東日本旅客鉄道(JR東日本)南武線武蔵中原駅、東急東横線・東急目黒線新丸子駅からそれぞれ徒歩15分程度。
また、南武線・東横線・目黒線武蔵小杉駅から南武線武蔵中原駅をまでを結ぶバス路線と、同じく武蔵小杉駅から東急田園都市線高津駅を経由して東急田園都市線溝の口駅・南武線武蔵溝ノ口駅までを結ぶバス路線があり、これらの駅からバスによるアクセスが可能。このほか、武蔵小杉駅からは市民ミュージアム行きバス路線もある。
- 武蔵小杉駅・武蔵中原駅からはバスで約10分、高津駅からは約15分、溝の口駅・武蔵溝ノ口駅からは約20分の「市営等々力グランド入口」バス停を下車し徒歩5分。
- 昼間の試合の場合は東海道線川崎駅からもバス利用が可能であるが(約40分)、川崎駅からのバスは本数が少ない為、武蔵小杉駅まで南武線できてバスを利用した方が便利である。
川崎フロンターレの試合のある日は武蔵小杉駅から競技場までの直通の臨時便が運行される。(満員になり次第随時発車)試合終了後にも武蔵小杉駅行、溝の口駅行の臨時便が運行される。
なお、多摩川の対岸にある東急大井町線等々力駅と競技場を直接連絡する交通機関はない。
[編集] 周辺施設
- 等々力緑地
- 川崎市市民ミュージアム、とどろきアリーナ、プール(夏季のみ)、テニスコート、釣り堀、サッカー場、硬式野球場
- 多摩川河川敷
- まんが寺(常楽寺、日本まんが博物館)
- 富士通川崎工場
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