献文帝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姓名 | 拓跋弘 |
年号 | |
廟号 | 顕祖 |
字 | - |
諡号 | 献文皇帝 |
生没年 | 454年-476年 |
在位 | 465年-471年 |
父 | 文成帝(長男) |
母 | 李貴人 |
献文帝(けんぶんてい, 454年 - 476年, 在位464年 - 471年)とは、中国北魏の第五代皇帝である。廟号は顕祖。諡号は献文皇帝。
目次 |
[編集] 生涯
456年に立太子され、465年に即位した。治世初期は幼少であった為丞相の乙渾が実質的に統治していたが、母の馮太后が乙渾を殺害し称制を行った。
469年に長男・拓跋宏を以って立太子し親政を開始する。三等九品の制を定め国内の統治を整備し、次の孝文帝の盛期の礎を築いた。
471年には譲位し、太上皇帝を自称した。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 李思皇后
- 封昭儀
- 韓貴人
- 孟椒房
- 潘貴人
[編集] 子
カテゴリ: 魏晋南北朝時代の人物 | 中国史の人物 | 454年生 | 476年没