火山列島
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火山列島(かざんれっとう)
火山列島(かざんれっとう)は小笠原諸島に属する島嶼群。硫黄列島(いおうれっとう)とも呼ばれる。東京とグアムの中間のあたり、東経141-143度、北緯24-26度付近に位置する。硫黄島、北硫黄島、南硫黄島からなる。
火山列島の名どおり、この3つの島は富士山(約548km3)をしのぐ体積を持ち、いつ噴火してもおかしくない状態である。特に硫黄島には明らかな地熱現象と隆起現象が見られる。また周辺にも大きな海山が少なくない。
島 | 緯度 | 経度 | 体積 | 備考 |
---|---|---|---|---|
北硫黄島 | 北緯25.448 | 東経141.241 | 3,338km3 | |
硫黄島 | 北緯24.703 | 東経141.367 | 1,412km3 | |
南硫黄島 | 北緯24.226 | 東経141.465 | 1,271km3 |
※数値は「日本の第四紀火山カタログ」火山データベースに基づく
[編集] 歴史
1543年にスペインのサン=ホワン号が発見したといわれているが、その記録にははっきりしない所があり、最初の確実な目撃例は1784年(1779年とも)にキャプテンクックの部下であるゴアが硫黄島を発見した時だといわれている。
その後、1887年に東京府知事らが硫黄島を視察し、1891年9月に正式に日本の所轄となり、1893年からは硫黄島で硫黄の採掘が始まった。
1899年に北硫黄島、1904年に硫黄島への入植・定住が始まり、1940年に東京府小笠原支庁硫黄島村が設立された。
太平洋戦争勃発が近くなると、日本軍は硫黄島の防備を強化し、1933年に滑走路を設置した。1937年にはそれを拡大整備し、千鳥飛行場となった。さらに1941年からは硫黄島の砲台の設置工事が始まった。
太平洋戦争が勃発して2年半後の1944年6月15日より米軍による空襲が始まり、北硫黄島と硫黄島の住民1094名は7月16日までに全員本土に強制疎開させられた。
そして、1945年2月19日に米軍は第4・5海兵師団を硫黄島に上陸させた。戦闘は3月26日まで続いたが、最後に米軍が同島を占領した(硫黄島の戦い)。
両軍の損害は、日本軍は栗林忠道陸軍中将以下約20000名が戦死し、1033名が負傷した。米軍も約7000名が戦死し、約20000名が負傷した。死傷者数では米軍が日本軍を上回ったが、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦闘は、ペリリュー島とこの硫黄島の戦いのみである。
戦後、火山列島はアメリカの施政権下に置かれたが、1968年に小笠原諸島と共に日本に返還された。しかし1984年、小笠原諸島振興審議会具申により旧硫黄島島民の帰住は不可とされ、旧島民一人につき見舞金45万円が支給されることになった。今も島民の帰島はかなっていない。
[編集] 周辺
火山列島周辺の体積1000Km3を越える海山など
- 沢海山
- 西之島
- 海形海山
- 三福海山
- 福神海山
- 南春日海山
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