江川紹子
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江川 紹子(えがわ しょうこ、1958年8月4日 - )は、新聞記者出身のジャーナリスト。 国際情勢や国内の社会問題に関して活発な言論活動を展開し、特にオウム真理教に関する取材で広く知られている。
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[編集] 人物
東京都杉並区生まれ。千葉県立船橋高等学校普通科、早稲田大学政治経済学部卒業後、1982年から1987年まで神奈川新聞社で社会部記者として警察取材や連載企画などを担当。29歳で退社しフリーライターとなる。
1989年に坂本堤弁護士一家が行方不明となって以来、オウム真理教問題の取材を始める。その存在がオウムに疎まれて暗殺が計画され、未明の就寝中部屋にホスゲンガスを注入されたが、音に気づいて電灯をつけたところ犯人たちが逃げ、噴霧された量が少なくて済んだため難を逃れた。
オウム真理教の活動が活発化する中、一部の宗教学者やマスコミが、オウムに対して融和的な姿勢を示す中、オウム真理教の危険を過小視せず、命がけとも言える姿勢で取材を続けた事で、その活動が高い評価を受けた。 1995年、菊池寛賞を授与される。その後、週刊文春にオウム裁判のルポを連載するが、オウム事件への関心が低下する中、このルポルタージュは終了する。
一方、坂本弁護士一家殺害事件に関して、TBSがオウムに未編集ビデオを見せていた事が発覚し(TBSビデオ問題)批判を集めた際には、TBSのニュース23に出演して、「TBSの報道姿勢」を生放送で厳しく批判し、その後の一時期はTBSへの出演をやめていた。TBSがこのビデオ問題について自らを検証番組を作り、その経過を見て、番組が放送された後に出演辞退を解く。
最近では教育問題やイラク戦争に対する発言も多い。
2006年8月に、松本智津夫被告の四女の後見人となる意向を表明した。これは教団から離れ自立したいという四女側の強い希望からであり、四女自ら江川にメールを送り、これを江川が承諾した。オウムの一連の事件を第一線で取材に当たってきた江川には生命の危険すらあったのは言うまでもない。それにも関わらずオウム事件の真相を追及し続け、ましてや「事件首謀者の子供」の後見人にまでもなるというこの覚悟は各方面から高く評価された。ただし8月28日現在、四女側が家裁に申し立てを行った段階であり、実現するかどうかは不透明である。
[編集] 言動
ネット上にHP「江川紹子ジャーナル」を開設し、オウム問題のみならず、国際情勢や国内の様々な問題について論評している。
- オウム真理教に関して
- 坂本弁護士事件では「何が何でもビデオを見せるべきではなかった。見せたとしても弁護士事務所に報告すべきだった」とTBSを強く批判した。
- オウムへの破防法適用に関しては、自身ホスゲンガスで殺されかかっていたにもかかわらず、「この法律は有効ではない。むしろ団体規制法の下で監視する方が、教団は弱体化し、大きな事件も防げる」として反対に回った。
- 反対理由:仮に破防法を使って形式的に解散させると、”元”信者の監視がしにくくなる。教団という組織がなくなっても、オウム的な歪んだ危険な価値観や発想はのちの時代に伝えられてしまう。それより、教団を残して監視をしつつ、ひとりでも多くの信者がこの団体の呪縛から解き放たれるようにし、新たな信者を入れない努力をする中で、この世代で消滅させていくという形が一番確実と考えたからである。
- 2006年9月15日に地下鉄サリン事件の麻原彰晃被告の死刑判決が確定したことに関連して、読売テレビのウェークアップ!ぷらす(2006.9.16放送)およびフジテレビのワッツ!?ニッポン(同日)において、被告側の弁護団が控訴趣意書を期限内に提出しなかったことが控訴審が一度も開かれないままの異例の死刑確定へと繋がった点に触れ、「弁護団が控訴趣意書の提出を拒否したのは出来る限り裁判を長期化させようとしたためであるのは明白で、自らの主義に固執したために結果的にそれが被告(麻原)の裁判を受ける権利を奪うことになったのではないか(要旨)」と弁護団の法廷戦略を厳しく断じた。その一方で、オウム側の被害者への補償が未だ進まない状況を問題視し、「教団側がすべき補償を国家が一旦立て替え、国家が直接に教団側からそれを請求するといった形をとってもよいのではないか」と発言し、補償を強く望む被害者側の救済が急務であるとの考えを示した。
- そのほか
- 1995年、阪神大震災後、現地の状況を取材するが、この際のルポは、発表する予定であった月刊誌マルコポーロが、ガス室問題で廃刊となった為、発表されなかった。マルコポーロ事件においては、廃刊の切っ掛けとなった記事の内容は支持しないとしながら、同誌を廃刊に追い込んだ圧力団体の行動に対しては、民主主義の原則を超えている(月刊『創』)という批判を加え、花田紀凱マルコポーロ編集長の立場を部分的に擁護した。
- クリントン大統領を非常に高く賞賛した他、同大統領(当時)の夫人であるヒラリー上院議員に対しては、熱狂的ともとれる共感を自身のサイト上で述べている。
- 自民党の加藤紘一に共感を持っているように見られる。
- 小泉首相の靖国神社参拝には批判的である。
- 社民党の辻元清美が執行猶予中に立候補したことなどに批判的であった。
- 第二次世界大戦については、社民党や共産党の立場に近いスタンスを取っている。
- 拉致問題については消極的な姿勢が目立つ。特に当時の首相・小泉純一郎が北朝鮮を訪問し、5人の拉致被害者が帰国した際には、拉致被害者を一旦北朝鮮に帰すのも仕方がないのではないか、といった意見を自身のサイトで書いていた。このように、北朝鮮をほとんど批判をしない事は、サンデー毎日のコラム「千思万考」においても同様であった。
- 堀江貴文の一連の騒動については、多くのコメンテーターが仕事をもらっているメディア側に有利な意見が多い中、一貫して中立的な立場で冷静なコメントをしている。
- 最近では、「若者の就職」をテーマに取材していると紹介された。
- ボクサーの亀田興毅について、マスメディアの殆どが何故か『腫れ物に触る雰囲気』で批判しないが、TBSのサンデーモーニング(2006.5.7放送)で「格下選手にああいう挑発をしたりするのは良くない。スポーツマンらしくない」と疑問を呈した。
[編集] 坂本弁護士とのかかわり
坂本弁護士にオウム信者の家族を紹介したのは当時新聞記者だった江川本人であり、そのオウムとの繋がりを作った当事者として安易な強行姿勢でオウムを追い始めたのが後の坂本弁護士一家殺害事件に絡んでいると一部の報道関係者に指摘されている。後にTBSビデオ問題で騒がれている中で何度も出演する本人の姿勢は強行的な姿勢とは別に「名前売りが目当て」など評される事がある。
[編集] テレビへの出演
コメンテーターとしてオウム事件やその他の社会問題について発言している。
[編集] 著作
- 冤罪の構図 「やったのはおまえだ」(1991年3月) ISBN 4-390-60347-7
- 救世主の野望 オウム真理教を追って(1991年3月) ISBN 4-87652-203-0
- 横浜・弁護士一家拉致事件 ヒューマン・リポート(1992年4月) ISBN 4-406-02068-3
- 桜田淳子と統一教会のウソ(共著)(1992年10月) ISBN 4-87047-236-8
- 大火砕流に消ゆ(1992年11月) ISBN 4-16-346970-2
- 六人目の犠牲者 名張毒ブドウ酒殺人事件(1994年4月) ISBN 4-16-348420-5
- 冤罪の構図 「やったのはおまえだ」(1994年10月) ISBN 4-390-11552-9
- 「オウム真理教」追跡2200日(1995年7月) ISBN 4-16-350580-6
- 「オウム真理教」裁判傍聴記 1(1996年12月) ISBN 4-16-352300-6
- 全真相坂本弁護士一家拉致・殺害事件(1997年4月) ISBN 4-16-352760-5
- 「オウム真理教」裁判傍聴記 2(1997年10月) ISBN 4-16-353450-4
- 証言10代 もっと言いたい!私たちのこと(編集)(1998年11月) ISBN 4-14-080392-4
- 学校を変えよう!(編集)(1999年6月) ISBN 4-14-080435-1
- 魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか(2000年8月) ISBN 4-12-003042-3
- 私たちも不登校だった(2001年10月) ISBN 4-16-660203-9
- 生きる力を育むために 15の知恵(編著)(2003年2月) ISBN 4-7887-0268-1
- イラクからの報告 戦時下の生活と恐怖(2003年3月) ISBN 4-09-405531-2
- 人を助ける仕事 「生きがい」を見つめた37人の記録(2004年4月) ISBN 4-09-405532-0
- 冤罪の構図(2004年8月) ISBN 4-7974-9426-3
- 大火砕流に消ゆ 雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの(2004年12月) ISBN 4-7974-9511-1
- 名張毒ブドウ酒殺人事件六人目の犠牲者(2005年7月) ISBN 4-7974-9761-0
- カブールの本屋 アフガニスタンのある家族の物語(訳)(2005年7月) ISBN 4-87257-578-4
- 父と娘の肖像(2006年3月) ISBN 4-09-405533-9
- オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚 上巻(2006年8月) ISBN 4-289-50132-X
- オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚 下巻(2006年8月) ISBN 4-289-50133-8
[編集] 外部リンク
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