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武田信玄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Disambiguation"武田信玄" のその他の用法については武田信玄 (曖昧さ回避)をご覧ください。
武田信玄 凡例
時代 戦国時代
生誕 大永元年11月3日1521年12月1日
死没 元亀4年4月12日1573年5月13日
改名 太郎(幼名)、
武田晴信→徳栄軒信玄
戒名 法性院機山信玄
官位 従四位下、大膳大夫。信濃守。贈従三位
氏族 武田氏清和源氏河内源氏甲斐源氏
父母 父:武田信虎、母:大井の方
兄弟 弟:武田信繁、武田信基、武田信廉
一条信龍松尾信是河窪信実
姉:南松院(穴山信友室)、
妹:禰々諏訪頼重室)ほか
正室:上杉朝興の娘
継室:三条公頼の娘・三条の方
側室:諏訪頼重の娘・諏訪御料人
禰津元直の娘・禰津御寮人
油川源左衛門の娘・油川夫人ほか
武田義信海野信親(竜芳)武田信之
武田勝頼黄梅院北条氏政室)、
見性院穴山信君室)、仁科盛信
葛山信貞、松姫織田信忠と婚約)、
武田信清菊姫上杉景勝室)、
真竜院(木曽義昌室)

武田 信玄たけだ しんげん)は、甲斐国戦国大名。信玄とは法名で、は晴信。官位従四位下、大膳大夫。

甲斐守護を代々務めた甲斐源氏武田氏の嫡男として生まれ、隣国の信濃に進入、上杉謙信川中島の戦いを行ないつつ勢力を広げて信濃をほぼ平定。甲斐、信濃、駿河西上野遠江三河美濃の一部を領するが、上洛の途上、三河で病没した。越後の上杉謙信と5度にわたって川中島の戦いで干戈を交えたことでも有名。

風林火山の軍旗を用い、甲斐の虎と呼ばれ、率いた武田騎馬軍は戦国最強と評される。大正期には従三位を贈られ、今もなお広く人気を集めている戦国武将の一人。

目次

[編集] 生涯

[編集] 甲斐守護

大永元年(1521年)11月3日に武田信虎の嫡男として甲斐国・積翠寺城で生まれた。幼名は太郎。勝千代とは同族の穴山信君の幼名との混同。

父は甲斐源氏の名門・武田氏の第18代当主・武田信虎で、甲斐を統一して戦国大名としての地位を確立した勇将である。信玄が生まれた大永元年(1521年)に甲斐は駿河の今川氏親の命を受けた福島正成率いる15,000人の軍勢に攻められていたが、武田軍は信玄の誕生を知って士気を奮い立たせ、今川軍を撃退したと言われている。

天文5年(1536年)に今川氏輝が死去し、今川義元が家督を継ぐと今川氏と和睦し、義元の斡旋を受けて、太郎は三条公頼の娘を室に迎える。同年に元服し、室町幕府第12代将軍・足利義晴から偏諱を受け、名を「晴信」と改める。初陣は信濃の海の口城主・平賀源心攻めであるとされる。大永5年(1525年)に弟の武田信繁が生まれると、父の寵愛は信繁に移り、晴信は徐々に疎まれるようになったという。

天文10年(1541年)、21歳で家老の板垣信方甘利虎泰らと相談して、父を駿河に追放し、武田家第19代家督を相続する。信虎追放の理由は後世の史書には悪行のためと記されているが、真偽のほどは不明。信虎は各方面での戦争を続け、国人勢力の統率に強力なリーダーシップをとる一方で、うち続く戦争と苛烈な政策により、奉行衆の造反を招いている。晴信の家督相続、そして、父・信虎の追放を甲斐の領民たちは歓迎していたとも記されている。

[編集] 信濃平定

歌川国芳画
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歌川国芳画

父を追放した直後、上原の諏訪頼重と林の小笠原長時が甲斐に侵攻してくるが、晴信はこれを撃退した。そして天文11年(1542年)6月、晴信は逆に諏訪領内に侵攻する。折しも諏訪氏内部では諏訪頼重・高遠頼継による諏訪宗家を巡る争いが起こっていたため、晴信はこれに介入し、高遠頼継と手を結んで諏訪頼重を滅ぼし、諏訪を平定した。続いて同年10月、諏訪領の分割問題から高遠頼継と対立し、高遠軍を小淵沢で破った。

天文12年(1543年)、信濃長窪城主・大井貞隆を攻めて自害に追い込んだ。天文14年(1545年)4月、上伊奈の高遠城に侵攻し、高遠頼継を、続いて6月には福与城主・藤沢頼親も滅ぼした。

天文16年(1547年)、志賀城の笠原清繁を攻める。このとき、笠原軍には上野上杉憲政の援軍も加わったため苦戦したが、8月6日の小田井原の戦いで武田軍は上杉・笠原連合軍に大勝する。ところがこのとき、晴信は敵兵の降伏を許さず、3,000人の敵兵全てを虐殺し、さらに女子供を人質・奴隷にするなど過酷な処分を下した。この事件が信濃の国人衆に晴信への不信感を植え付け、信濃平定を大きく遅らせる遠因となったといわれている。同年、分国法である甲州法度之次第(信玄家法)を定める。

天文17年(1548年)2月、晴信は信濃北部に勢力を誇る村上義清と上田原で激突する(上田原の戦い)。しかし兵力で優勢にありながら武田軍は村上軍に敗れて家老の板垣信方・甘利虎泰ら多くの将兵を失ってしまった。信玄自身も傷を負い甲府の湯村温泉で30日間の湯治をした。これに乗じて同年4月、小笠原長時が諏訪に侵攻して来るが、晴信は7月の塩尻峠の戦いで小笠原軍に大勝した。

天文19年(1550年)7月、晴信は小笠原領に侵攻する。これに対して小笠原長時にはすでに抵抗する力は無く、林城を放棄して村上義清のもとへ逃走した。こうして、中信は武田の支配下に落ちた。

勢いに乗った晴信は9月、村上義清の支城である砥石城を攻める。しかしこの戦いは後世に砥石崩れと伝えられ、武田軍は大敗を喫し、横田高松小山田信有らをはじめとする1,000人以上の将兵を失った。

しかし天文20年(1551年)4月、真田幸隆の策略で砥石城が落城すると、武田軍は次第に優勢となり、天文22年(1553年)4月、村上義清は葛尾城を放棄して越後の長尾景虎(上杉謙信)のもとへ逃れた。こうして東信も武田家の支配下に入り、晴信は信濃をほぼ平定した。

[編集] 川中島の戦い

第四次川中島の戦い
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第四次川中島の戦い

天文22年(1553年)4月、村上義清の要請を受けた長尾景虎が5,000の軍勢を率いて信濃川中島に進出してくる(第1次川中島の戦い)。しかし晴信も景虎も軍を積極的に動かすことなく、5月には両軍ともに撤退した。

8月、景虎の支援を受けて大井信広が謀反を起こすが、晴信はこれを直ちに鎮圧した。

天文23年(1554年)春、長尾景虎に対抗するため、晴信は長男の義信の正室に今川義元の娘を迎え、また娘を北条氏康の長男・北条氏政に嫁がせて、後北条氏とも同盟を結んだ。今川氏と北条氏は武田家を仲介として、氏康の娘が義元の長男・今川氏真に嫁ぐことで同盟を結び、甲相駿三国同盟が成立した。

弘治元年(1555年)4月、武田軍と長尾軍が川中島で対峙する(第2次川中島の戦い)。しかし戦果は無く、駿河の今川義元の仲介により、両者は10月に和睦して撤退した。晴信は長尾軍が越後に撤退すると、かねてから景虎に通じて反抗していた木曽義康木曽義昌父子を攻め、これを屈服させた。弘治2年(1556年)には信濃北部に進出する。

弘治3年(1557年)、長尾景虎が川中島に進出してきたことにより、再び武田軍と長尾軍の対峙が始まる(第3次川中島の戦い)。しかし両軍共に戦果は無く、さらに景虎の留守中に加賀越中一向一揆が起こったため、長尾軍は撤退した。

永禄2年(1559年)5月、晴信は出家して「信玄」と号した。

永禄4年(1561年)9月10日、武田信玄軍2万と上杉政虎軍1万3,000との間で、4度目の川中島の戦いが行われる(第4次川中島の戦い)。この戦いは今までの川中島の戦いで最大規模の戦いとなり、両軍合わせて6,000人余の死者が出たと言われている。この戦いで武田軍は信玄の弟・武田信繁、諸角虎定山本勘助、三枝守直ら有力武将の多くを失ったという。

永禄7年(1564年)にも上杉軍と川中島で対峙したが、衝突することなく終わっている(第5次川中島の戦い)。

[編集] 今川・北条との戦い

川中島の戦いののち信玄は矛先を上野に向けたが、上野には上杉旧臣長野業正がいたため苦戦した。しかし業正が永禄4年(1561年)に死去すると、武田軍は後を継いだ長野業盛を激しく攻め、永禄9年(1566年)9月には箕輪城を落とし、上野西部を制圧することに成功した。

永禄3年(1560年)5月、武田氏の盟友であった今川義元が、織田信長によって桶狭間の戦いで討たれたことにより、今川家が衰退の兆しを見せ始める。このため、信玄は今川氏との同盟を破棄して駿河に侵攻しようと計画するが、義元の女婿である嫡男・武田義信とその傳役・飯富虎昌が激しく反対する。信玄は永禄8年(1565年)に飯富虎昌を切腹させ、永禄10年(1567年)10月には義信を廃嫡し、自殺に追い込んだ。

そのうえで、永禄11年(1568年)12月、三河の徳川家康と共同で駿河侵攻を開始する。今川軍も抵抗したが、松野山で荻清誉を、薩垂山で今川氏真軍を破り駿府城へ入った。しかし今川氏と縁戚関係にあった北条氏康が、今川氏の援軍に駆けつける。さらに駿河征服を企む家康も氏康と同盟を結んで信玄と敵対したため、北条・徳川連合軍と戦う不利を悟り、永禄12年(1569年)4月にひとまず甲斐に撤退した。

9月、信玄は2万の大軍を率いて、北条を叩くべく上野・武蔵相模に侵攻する。10月1日には小田原城を包囲するが、その4日後には早くも包囲を解いた。北条は追い討ちをかけ、10月8日、三増峠において武田信玄軍と北条氏照北条氏邦軍が激突、武田軍が大勝した(三増峠の戦い)。

こうして北条氏康を抑えた上で、元亀元年(1570年)7月、再び駿河に侵攻し、完全に平定した。

[編集] 甲相同盟

永禄11年(1568年)9月、足利義昭を奉じて織田信長が上洛を果たした。ところが信長と義昭はやがて対立し、義昭は信長を滅ぼすべく、信玄に信長討伐の御内書を発送する。信玄も信長の勢力拡大を危惧したため、元亀2年(1571年)2月、信長の盟友である徳川家康を討つべく、遠江・三河に侵攻する。信玄は5月までに小山城、足助城、田峯城、野田城、二連木城を落としたうえで、甲斐に帰還した。

元亀2年(1571年)10月3日、北条氏康が小田原で死去、後を継いだ次男の氏政は、「再び武田と和睦せよ」との亡父の遺言に従い、謙信との同盟を破棄して弟の北条氏忠北条氏規を人質として甲斐に差し出し、12月27日には信玄と甲相同盟を結ぶに至った。この時点で武田家の領土は、甲斐一国のほか、信濃駿河上野西部、遠江三河美濃飛騨越中の一部にまで及び、石高はおよそ120万石に達し、全盛期を迎えたのである。

[編集] 西上

信玄は信長と永禄8年(1565年)、信長の養女が武田勝頼に嫁ぐことで同盟を結んだ。その養女は武田信勝(信玄の嫡孫)を出産した直後に死去したが、続いて信長の嫡男・織田信忠と信玄の娘・信松尼の婚約が成立し、織田氏と武田氏は引き続き同盟関係にあった。

元亀3年(1572年)10月3日、将軍・足利義昭の信長討伐令の呼びかけに応じて、上洛するため甲府を進発した。約3万の全軍のうち、5千を秋山信友に預けて信長の領土・東美濃に、山県昌景に5千を預けて家康の領土・三河に、そして自らは馬場信春と共に2万の大軍を率いて青崩峠より遠江に攻め入った。

信玄率いる本隊は10月13日、只来城、天方城、一宮城、飯田城、各和城、向笠城などの徳川諸城を1日で落とした。山県昌景軍は柿本城、井平城(井平小屋城)を落として信玄本隊と合流し、秋山信友軍は11月までに東美濃の要衝である岩村城を落とした。

これに対して、信長は浅井長政朝倉義景石山本願寺などと対峙していたため、家康に3千人の援軍を送る程度にとどまり、家康は10月14日、武田軍と遠江一言坂において戦ったが、兵力の差と信玄の巧みな戦術に敗れた(一言坂の戦い)。12月19日には、遠江の要衝である二俣城を陥落させた。

これに対して、家康ははじめ浜松に篭城の構えを見せたが、武田軍の動きを見て兵1万1,000を率いて出陣、遠江三方ヶ原において、12月22日に信玄と一大決戦を挑む。しかし兵力の差、並びに信玄の戦術の前に大敗を喫し、徳川軍は多くの将兵を失い、壊滅的な打撃を受けた(三方ヶ原の戦い)。このとき、家康は馬で逃走する際に、恐怖のあまり馬上で脱糞したと伝えられている。

しかしここで盟友浅井長政の援軍として北近江に参陣していた朝倉義景の撤退を知る。信玄は怒り義景に文書を送りつけた(伊能文書)。しかし義景はその後も動こうとしなかった。

そのため、信玄は軍勢の動きを止め刑部において越年したが、元亀4年(1573年)1月には三河に侵攻し、2月10日には野田城を落とした(野田城の戦い)。

[編集] 最期

しかし野田城を落とした直後から、信玄の持病が悪化し、武田軍の進撃は突如として停止する。このため、信玄は長篠城において療養していたが、病状は一向に良くならず、4月初旬には遂に甲斐に撤退することを決意する。

4月12日、軍を甲斐に引き返す途上の信濃国駒場(長野県下伊那郡阿智村)で病死した。享年53。戒名:法性院機山信玄。菩提寺:山梨県甲州市恵林寺

[編集] 遺言

信玄の遺言については、信頼の置ける同時代史料が存在せず、後世の史書物語などで断片的に伝えられているだけなので、本当に信玄の遺言なのかの裏付けはとれていない。

  • 勝頼に対して「自分が死した後は上杉謙信を頼れ。また三年間を喪を秘せ」と言い残したと言われている。
  • 重臣の山県昌景に対して、「源四郎。明日は瀬田に我が武田の旗を立てよ」と言い残したという。

[編集] 辞世の句

「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」

[編集] 政策

新田開発
武田氏の本拠地である甲斐は平野部が少なく、年貢収入に期待ができなかった為、新田開発を精力的に実施した。それまで河が氾濫して農地に向かなかったような土地でも農耕が可能なよう、信玄堤と呼ばれる堤防を築き上げ、河川の流れを変え、開墾した。
金貨の製造
日本で初めて金貨である甲州金を製造した。甲斐には豊富な埋蔵量を誇る金山が存在し、南蛮渡来の掘削技術や精錬手法を積極的に取り入れ、莫大な量の金を産出し、治水事業や軍事費に充当した。また織田信長や上杉謙信に敵対する勢力への支援など、外交面でも大いに威力を発揮した。

[編集] 人物

甲府駅前の武田信玄像
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甲府駅前の武田信玄像

右の甲府駅前の銅像の元になった、有名な彼の肖像画については、近年別人説が出されている。

人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。
「どれだけ城を堅固にしても、人の心が離れてしまったら世を治めることはできない。情けは人をつなぎとめ、結果として国を栄えさせるが、仇を増やせば国は滅びる」。この言の通り、信玄はその生涯の内一度も甲斐国内に新たな城を普請せず、堀一重の躑躅ヶ崎館に住んだ。但し、後背には詰めの城である積翠寺城があり典型的な戦国武将の居館ともいえる。また、この言葉は後世の創作であるとも言われるが、能く信玄の理念を顕しているとも言われる。
其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山
「その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し、(知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し)」。孫子に記された言葉であり、しばしば風林火山と略される。信玄はこれを軍旗とし戦った。また、その軍旗は恵林寺の住職快川紹喜の書と伝わる。
「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」
勝者に驕りが生じることを戒めた言葉。信玄死後、連戦連勝を重ねた勝頼が長篠で一敗地にまみれたことを重ねると、実に説得力のある戒めである。

信玄が衆道の相手春日源介(後の高坂昌信)に、浮気の弁明をする手紙が現存する。当時は男色は一般的であると言うより、女色よりも高尚であり男のたしなみと認識されていた。

仏教の信仰は篤かったとされている。信玄自身は在家出家しながらも俗世との関わりを絶たずにいた。ただこれは信玄だけでなく、当時の多くの武士も在家出家後も出家以前とほぼ同じ生活を送っていた。当時の有力寺社は僧兵神人と呼ばれる武装した下級の僧侶神職を抱え、俗世に関わり、武装闘争をも辞さなかった。信玄はこれ等宗教勢力の一員もしくは協力者ともいえる関係であり、これには仏教を通じてこれ等の宗教勢力と手を結び一揆を操ることで、他の大名への牽制や戦力の分散をさせるといった狙いや、信玄に比叡山の僧が大僧正位としての地位を与え信玄がそれを喜んで受けたことからも自身の地位の向上といった目的もあったようだ。また、本願寺の顕如には自分の娘を嫁がせてさえいた。このような事からも、信玄個人だけでなく武田家は宗教勢力との関わりが深かったと言える。

躑躅ヶ崎館に、水洗トイレを設置している。躑躅ヶ崎館の裏から流れる水を利用した仕組みで、信玄はここをと言う名称で呼び、用便の他、書斎等にも使っていた。家臣が「何故、厠を山と言う名称なのでしょう?」と尋ねた所、信玄は「山には常に、草木(臭き)が絶えぬから」と機知に富んだ回答をしている。

[編集] 逸話

  • 信玄は、かなり前から病を患っていたものと思われる。信玄ははじめ上洛を開始する日時を10月1日としていたが、それを10月3日まで先延ばししたのは、信玄の病が一時的に悪化したためと言われている。
  • 信長が鉄砲隊・兵農分離を採用したのに対して、信玄は石礫隊・半農半士を採用し、信長が居城を交通・戦略の便に応じて次々と変更していったのに対して、信玄は生涯、交通の便が悪い甲斐を本拠とした。
  • 信玄は情報収集を重要視し、「三ツ者」と呼ばれる隠密組織を用いて、情報収集や諜報活動を行なわせたと言われている(甲陽軍鑑では三ツ者のほか、素破とも表現されている)。信玄が戦争に常に勝利し続けたのは、常に情報収集が素早かったためと言われている。このため、信玄は甲斐に居ながら日本各地の情報を知っていたことから、まるで日本中を廻っていたかのような印象を持たれ「足長坊主」と異称された。
  • 上洛のとき、「甲陽軍鑑」において、次のようなことを信玄自らが述べたという記述がある。
「遠州・三河・美濃・尾張へ発向して、存命の間に天下を取つて都に旗をたて、仏法・王法・神道・諸侍の作法を定め、政をただしく執行はんとの、信玄の望み是なり」

[編集] 研究

死因
持病の労咳(肺結核)、肺炎、あるいは胃がん若しくは食道癌による病死説が有力である。徳川勢の鉄砲弾による傷が原因との説があり、武田軍が三河国野田城を攻囲中、信玄が城中から聞こえる笛の音に惹かれてやってきたところを狙撃され負傷したのだというが俗説である。これは「松平記」など徳川方の史料だけにしか見解が無いため、恐らくは信玄を討ち取ったという手柄を徳川一族のものにしたいという創作ではないかとされている。
その死の影響
信玄の死は、信長と互角以上に戦える人物がいなくなっただけではなく、反信長勢力の衰退を招いたといえる。このため、信長や家康が反攻に転じる機会となってしまった。また、武田家家中においても、信玄が生前に勝頼に対して家督相続を行なわなかったため、勝頼時代の家臣と信玄時代の老臣が衝突し、結果として武田家の内部分裂を招くことになったため、信玄の死は武田家滅亡の遠因を成したと言える。
父の追放について
近年、信玄は老臣の操り人形で、父追放は左右の者のクーデターだという説がある。その理由に、信玄が16歳にて初陣に出たと言う輝かしい日に、秋山信友は日記に、今川家の家督争いを書いているというが、信友の生年から事実かどうか疑わしい。なお学会の見解としては20歳にて初陣に出たという意見で一致しているが、これは戦国大名としては遅すぎるので、このような説が出たと思われる。
軍事指揮能力と戦略眼
戦国最強の軍団を作り上げ、また織田信長も信玄とは直接的な戦いを避けた。戦績が49勝2敗20分けという驚異的な勝率から戦上手という評価は、まさに信玄に相応しいものであるが、しかしその一方で以下のような戦略的な失点があり、上洛や天下統一には至らなかった他、武田家滅亡の一因ともなったと考えられている。
  • 今川家への侵攻による上洛遅延・・・桶狭間の戦いの後、今川家を攻める際に、嫡男・義信が自身の妻の実家が今川家であることから、それに反対したが、信玄はそれを聞かなかった。その結果、義信は傅役・飯富虎昌を通じて謀反を起こそうとしたが失敗し、義信は妻と強制的に離縁させられ蟄居、後に自害(病死とも)、虎昌もまた責任を取って自害する。そして、今川家の本拠である駿河に侵攻、見事に勢力下に置いたが、信玄による一方的な三国同盟の破棄に怒った北条氏康はそれまで敵対していた上杉謙信と同盟を結び、信玄に対して敵対の意志を見せ、その後氏康が病死するまでこの関係は修復することはなかった。これにより信玄は上洛への時期を大幅に遅らせた。
  • 嫡男死亡に起因するお家騒動(可能性)・・・上記にあるように嫡男・義信の死は後々にも影響した。信玄死後に家督を継いだ勝頼に対して、重臣達があまり信頼しなかったのは、義信の死を勝頼の陰謀だと疑ったからともいわれる。義信は正嫡でもあり重臣達の信頼を得ていた。勝頼はかつて信玄が滅ぼした諏訪氏の側室の子であり、4男である。通常なら家督を継ぎにくい身分である事である。

[編集] 系譜

清和源氏の中の河内源氏系の新羅三郎義光を祖とし、代々甲斐守護を務め甲斐源氏と呼ばれる武田氏の第十九代当主に当たる。武田家は源平時代には武田信義が、源頼朝源義仲と共に、平清盛討伐の命令を受けるなど、昔より武力に秀でていた。

信玄の妻は左大臣である三条公頼の娘の三条の方(または三条夫人)のほか、諏訪頼重の娘など、多数の妻がいたという説もあるが、史料的に確認できるのは、三条の方、諏訪御料人禰津御寮人油川夫人の四人である。現在では、信玄の妻はこの四人だったというのが、通説になっているようである。

[編集] 神将

武田二十四将
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武田二十四将

武田信玄に仕えた武将達の中でも特に評価の高い24名の武将を指して武田二十四将(武田二十四神将)と言う。原典は江戸時代に作られた浮世絵浄瑠璃で、正式に武田家中で二十四将と言う区分や呼称は存在しない。選ばれた武将達も時代は離れており、全員が同時期に信玄に仕えていた事は無い。庶民の評価で決まったものらしく、資料によっては顔ぶれが違うものもあるが、一般的な二十四将は以下の武将があげられる。


[編集] 関連項目

史料
映画
テレビドラマ
小説
漫画
甲斐武田氏歴代当主
1541~1573
先代:
武田信虎
次代:
武田勝頼
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