松本人志
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松本 人志(まつもと ひとし、男性、1963年9月8日 - )とは、日本のお笑い芸人である。通称は「松ちゃん」、子供の時のあだ名は「まっつん」。兵庫県尼崎市出身。血液型B型。左利き。3人兄弟の末っ子(次男)。現在、独身であり未婚。身長172cm。
お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は「浜ちゃん」こと浜田雅功。1983年デビュー。吉本興業(大阪本社)所属で、吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生。
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概要
1990年代以降、お笑い界のみならず世間一般の「お笑い」そのものに対する考え方や価値観に大きな変革をもたらし、今なお絶大な影響力を与え続けるお笑い芸人。その攻撃的かつアーティスティックな笑いを職人の様に作り出す姿勢から、同業の芸人にはもちろんのこと、ミュージシャンや俳優、作家など各界著名人にも多くの熱烈なファンを持つ。
瞬間的な発想力に長け、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)でのフリートークにおける、視聴者からの質問にその場で思いついた解答を出して笑いを取るというスタイルは、いわゆる創作的なニュアンスが強い「漫才」そのものの概念を壊し、立川談志や笑福亭鶴瓶から「ダウンタウンが漫才を殺した」と逆説的な賛辞を受けた。また、同番組の制作会議ではスタッフとの何気ない会話から自身が思いついたことを次週の企画として決定することがしばしばあり、同番組プロデューサー・菅賢治は自著(「菅ちゃんの笑ったもん勝ち」1996年/ごま書房)の中で「色んな芸人さんを見てきたけど、彼(松本)は別次元の芸人」と評している。また、漫才出身だがコントの評価も高く、演じ方にも身が入っており、そのスタイルを自らのラジオで「憑依芸」「憑依芸人」と名づけて語った。他に志村けん、内村光良の名を挙げている。
既存の言葉を独自の意味・用法で使うセンスに優れる。松本が広めたと言われる「笑えない、面白くない」意味での「寒い(サブい)」や「落胆する」意味の「ブルーになる」、自分の非を咎められキレることを意味する「逆ギレ」、痛々しい様や哀れを意味する「イタイ」、また性癖に限らず人をとSとMに分ける発想などは、今や日常レベルの日本語として定着しつつある。
自身のレギュラー番組や舞台などには演者としてだけでなく、制作にも積極的に関わる。「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)やその他ソロで行ったコント制作においては、放送作家が書いた台本を基にして内容を構築していくという従来のコント制作とは一線を画し、松本の発想により作り上げられたものが多い。数々の共演を果たした東野幸治によると、作られた台本も現場において更に変更され、共演者は事前に台本は読まず、松本の口伝により台詞を覚えるという事が、松本コントの常道であったと語る。
過度の編集によりウソで形作る番組制作の手法(いわゆる「やらせ」の一種)を嫌っている。かつて演芸番組に出演した際、ある若手の芸人がネタが滑っていたのにも関わらず「ダウンタウンのライバル」扱いされており、本放送の中でもダウンタウンがネタをやったときと同じくらいの拍手が編集で足されていたことや、1994年10月に放送された「FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル」(フジテレビ)の編集で映像をつなげて他の芸人のネタに松本が爆笑しているかのように見せる編集などに憤りを感じた、と自著の中で語っている。
また、時折身内をネタにし、自身の出演するテレビ・ラジオ番組にも出演させることがあり、漫才やコントまで披露した事もある。
略歴
- 1982年に兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、中学時代からの友人であった濵田雅功に誘われ、開校間もない吉本興業のタレント養成所・吉本総合芸能学院(NSC)に入学。同校の1期生となる。濵田とコンビを結成し、1983年にデビュー。NSCの同期にトミーズ・ハイヒール・内場勝則らがいる。
- デビュー後数年はなかなか芽が出ず、同期の芸人たちに遅れをとったものの、1987年から始まったレギュラー番組「4時ですよーだ」(毎日放送、関西地区ローカル)で人気を博した。それから程なくして東京に進出し、フジテレビの深夜番組「夢で逢えたら」などを経て全国区の知名度を得る。
- 1989年10月から「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ系列)、1991年からは「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系列)と冠番組が次々スタート。松本自身は出演のほか番組の企画・構成も担当し、お笑い芸人としての腕を磨いていった。
- 1994年から1995年にかけて、松本が週刊朝日に連載していたエッセイを単行本化した「遺書」「松本」がタレント本としては異例のベストセラーになった。「遺書」は250万部、「松本」も200万部の売り上げを記録。これにより1994年度の高額納税者番付でタレント部門の1位に輝く。それ以来現在も、相方・浜田と共に番付の常連として毎年必ず上位に顔を出している。
- 1990年代後半にはコンビを離れて個人での活動も目立った。テレビ番組「一人ごっつ」シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮)」、観覧後観客に値段を決めてもらうという異例の料金後払い制ライブ「松風'95」、オリジナルコントビデオ作品「松本人志VISUALBUM」など、精力的に作品を作り続けていった。
- 1997年10月、「ダウンタウンのごっつええ感じ」スペシャルが、プロ野球・ヤクルトスワローズの優勝決定試合の生中継に急遽差し替えられた。出演者に全く事前連絡がなかったことに対して、松本はフジテレビ側に強く抗議し、「番組に対するボルテージが下がった」として自ら突然の打ち切りを発表。これ以降、フジテレビとの関係悪化も懸念されたが、他の仕事に影響はなかった。この事件に関して松本は「最終的には打ち切ったのは自分。これでおあいこ。フジに恨みは無い」と語っている。
- 1998年夏、「ガキの使い」内のトークコーナーにおいて「髪を坊主にしたい」と宣言し、その直後に実際に頭を丸め周囲を驚かせた。これ以降松本は坊主頭がトレードマークとなっている。これ以降、著書などでついてしまったイメージを良くも悪くも一新した。
- 相方の浜田が時折テレビドラマに出演する一方で、松本はドラマに出ない姿勢を貫いていたが、2000年に自身の原案で『伝説の教師』(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演。松本本人のキャラクターと重なる型破りな教師を演じ、高い評価を得た。
- 2001年10月12日、復活スペシャルと題して放送された「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」が9.0%という低視聴率に終わり、雑誌等のインタビューで「本当に面白い事はテレビではもう出来ないと悟った」「需要がないのにやっても仕方ない」と語った(ちなみに同番組は後にDVD化されヒットセールスを記録)。また、2006年4月から第2日本テレビにおいてVODにて新作コント「Zassa(ザッサー)」を配信している。
- 近年は、構成作家の高須光聖と出演しているラジオ番組「放送室」(TOKYO FM)において、私生活や自身の昔話などを赤裸々に語っている。中でも2003年12月には「高須ちゃん生誕40周年祭り」として武道館での公開録音(無料)を行い、共通の幼馴染3人(サプライズで浜田も登場)も参加し、3週に渡って放送された。
- 2006年1月、さまぁ~ずの三村と組んでコントを披露したが、シュールなネタであり、会場の客に女性客が多かったためか、ブーイングを受けた。当人は勿論、審査員であった志村けんも何故ブーイングが起こったのかわからない様子であった。
お笑い芸人としての原点
少年時代に漫画「天才バカボン」(赤塚不二夫作)が大好きで、自身も真似して漫画を描いていた。また赤塚の弟子であるとりいかずよしの「トイレット博士」にも影響を受けたという。
父親の仕事の関係上、様々な公演チケットがよく手に入る環境にあり、吉本新喜劇などの舞台をよく観に行っていた。テレビのバラエティ番組も好きで、ザ・ドリフターズなどの番組もよく観ていたほか、笑福亭仁鶴らの落語も聴き、これらでお笑いの基礎を自然に学んでいった。また観るだけでなく学校の友人と漫才コンビを組んで実際に人前で演じるなど、小中学校の多感な時期をお笑い漬けの環境で過ごした。
あまり裕福な家庭ではなかったため、家庭の用事を手伝うなど手が掛からない子供であり、限られたものを使って自分で遊びを発明するなど創意工夫の中で発想力や想像力が鍛えられた。また兄の影響で早い時期から大人の文化に触れる機会が多かったという。
高校卒業後は印刷会社への就職が決まっていたものの、友人であった浜田が競艇選手の試験に落ち、その同時期にNSCの開校という偶然が重なり、お笑いの世界に飛び込んだ。吉本に入った当初は漫才ブームの過渡期であったこともあり、様々な舞台で多くの先輩らの漫才を見て学んでいった。
人物像
- 特技は自動車の運転、縦列駐車。趣味はビリヤード、ゲーム。
- フィンセント・ファン・ゴッホとアンネ・フランクを敬愛している。事実、松本に密着したドキュメンタリー番組『松本人志の本当』(1999年/NHKBS)では実際にオランダへ出向き、アムステルダムにあるゴッホ美術館とアンネが実際に「アンネの日記」を綴った場所であると言われている隠れ家を訪れている。
- 尊敬する芸人は志村けん、島田紳助、大竹まこと、そして相方の浜田雅功。志村けんについては「年をとってもコントが出来るんだから凄い」「お笑い一筋で浮気をしない」、島田紳助については「引き芸だから損はしているだろうが他人を面白く見せる技術は凄い」と絶賛している。大竹まことに関しては、「あの犯罪者のような毒気、畳の上では往生できないような雰囲気は芸人として見習うべきだ」と述べた。また、自身の著書「遺書」には「ダウンタウンDX」で紳助と共演した際に「ダウンタウンに漫才では負けた」と素直に負けを認めたところが格好良い、と書かれている。また「松本」に藤山寛美を絶賛する記述も見られる。
- アダルトビデオ好き。写真週刊誌FLASHにてアダルトビデオを借りる姿が掲載されたこともある。掲載された写真がカメラマンが撮影したものではなく、店舗の監視カメラ映像を掲載したことに怒り、FLASHの発行元の光文社らを訴え、2006年3月31日に勝訴した。監視カメラの映像で報道される前例を作ると、芸能人は完全にプライバシーを失ってしまうため訴えた、とプレイボーイで連載しているコラムでその理由を述べた。松本紳助でも「テレビでアダルトビデオを買ったりしているのも言っているのに撮る意味がわからない」と怒りを露にした。
- AV女優・松本コンチータの名付け親(松本のファンである本人が「松本」姓をもらう許可を得た。コンチータは”立チンコ”を並び替えたもの)である。松本コンチータの名前の一件は「ダウンタウンの素」に素人としてハガキを送ってきたコンチータのネタが採用され、生電話で決まったもの。
- 風俗好き。1日に3軒をハシゴして自己嫌悪に陥ったことがあるとガキのトークでギャグにしている。しかしながら、ソープランド等の女性と直接性交渉をすることを目的とする風俗は好まず、性感マッサージ一辺倒で、性感嬢は職人だと絶賛している。また、以前コントの衣装から毛じらみをうつされた経験があり、一時期自身の番組などで何度もネタにしていたためか、「毛じらみ」が彼の代名詞になった。完治したはずの今でも、ごくたまに毛じらみを発見する事があるらしい。
- 売れる芸人の三要素、として「ネクラ」「貧乏」「女好き」を挙げている。「自分はこの三つを満たしているからここまで凄い芸人になった」、という発言もしている。
- 若手時代にやすし司会のザ・テレビ演芸に出演したところ、親を小馬鹿したネタについてやすしに壁に叩きつけられ「そんなもん漫才やない。チンピラの立ち話やないか!」と言われた事に対して、自著で「あの時殴っておけば良かった」と発言。後に「ごっつええ感じ」においてコント「やすしくん」が好評となり、シリーズ化されたものの、最終話放送数日後にやすし死去。このため、やすしの芸を認めるファンや、やすしの身内から、コント「やすしくん」が松本によるやすしへの報復と敵視され、マスコミからも大変なバッシングを受けた。テレビ番組のひとつのコントに対して、制作著作のフジテレビでもなく、同じく制作著作にかかわる吉本興業でもなく、冠であり所属するダウンタウンでもなく、発案者であり演技者であるとはいえ、一出演者に過ぎない一個人である松本人志が集中砲火を浴びたというのも、彼の存在感ゆえの出来事だったと言える。ちなみに当時、この件については一切ノーコメントを貫いた。後に「どんなに論理的に説明することができても、一度生まれた悪意は消えないから」と対マスコミに対して会見をひらかなかった心情を吐露している。
- いわゆる「長者番付」の常連でありながら、安価な食べ物を好み、どん兵衛とペヤングソース焼きそばが大好物。また、後輩芸人たちと食事に行き、数百円のチャーハンを食べて「世界一うまいなぁ」と感動し、雨上がり決死隊の宮迫博之から「やっすい舌!」と呆れられた事もある。後輩たちと旅行に行った先での夕食がどん兵衛だったこともある。これを逆手に取って「超ドケチ芸人」「おちょこ」(器が小さいという意味)と自虐ネタも披露している。ガキの使いで「松本ドケチ裁判」が開かれ、松本のドケチぶりが暴露、その裁判で自腹で百万円分の打ち上げ花火を購入し打ち上げることになった。その背景には、幼い頃、裕福な家庭ではなかった事や「4時ですよ~だ。」でブレイクするまで苦労があった為である。しかし一方では、高級車を2週間で買い換えたり、イタリアの高級家具カッシーナの数百万円のソファーを購入したり、後輩への引っ越し祝い(テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ソファー等)は欠かさない。また大先輩西川きよしの新築祝いには、一枚ものの立派な卓を送り、大変感激したときよし師匠自らテレビで発言している。また島田紳助が出資しているお好み焼き屋の開店祝いには、紳助から請われた名前入り青海苔を進呈している。
- プロ野球嫌いで有名だが、小学生の頃は中日ドラゴンズの帽子を被っていた。これは、周囲の子どもが皆巨人の帽子を被っていたからという天邪鬼な性格故の理由のほかに、当時中日で活躍していた“まつもとるきつら”という自分と同じ苗字で変わった名前の投手の、捕手からボールを受けたらすぐに投げる投球スタイルが好きだったから。ちなみに“まつもとるきつら”とは松本幸行(まつもとゆきつら)のことである。
- どちらかというとインドア派だったが、2005年の誕生日にメールが一件しか来てなかったことにショックを受け、一念発起。「これからはアウトドアになる」という松本の発言に島田紳助は「やっと来たか!」と感動していた。
- ファッションについてもこだわりがあるようで、夏はBVDの白いTシャツにジーンズだけという非常にシンプルなもの。番組では相方浜田のラフな服装に対して、松本はスーツを着用することが多く、ネクタイの先をズボンに入れるのが独自のスタイルとなっている。1995年には、番組が用意したアディダスのジャージを着用する松本を、爆笑問題太田光が「アディダスの広告塔」と揶揄したことがあり、今田耕司や板尾創路らが激怒。太田を呼び出し「土下座するか、芸人を辞めるか、今すぐ鉄パイプイスで殴られるか、どれか選べ!」と三択をせまり、土下座させたと週刊誌に書かれたこともある(週刊誌に書かれた記事については、太田夫人であり爆笑問題が所属する芸能プロダクションタイタンの社長でもある光代夫人自ら、記事内において完全否定)。デビュー当時は、当時流行っていたDCブランドのスーツが大好きで、ラジオ番組でファンと登山に行くという企画のときもスーツで現れ、スタッフやファン、浜田を引かせたという逸話がある。東京進出のころからジーンズにジャンパーなどのラフな服装にシフトし、その後は「ガキの使い~」の収録などではジャージ姿で出演することも少なくない。坊主にしてからは、BVDのTシャツにジーンズが、彼のトレードマークにもなっている。冬季にはBVDの上にアディダスやナイキのジャージがおなじみである。しかしながら2006年夏、7年続いたBVDファッションも少し変えて行きたいと発言している。
- かつてはヘビースモーカーとして有名で、嫌煙家協会から毎年禁煙啓蒙のために発表される喫煙者ランキングの常連であり、著書などにも禁煙に対しての激しい怒りをつづっていたが、心機一転2003年に禁煙成功。禁煙のきっかけを、一時期禁煙に成功していた島田紳助の勧めと勘違いされてるが、本当のきっかけは日本テレビの土屋氏。ちなみに2006年現在紳助氏、土屋氏ともに禁煙を断念したが、松本は現在も全くタバコを吸っていない。また、2005年には嫌煙家協会から卒煙表彰の申し出があったが、松本からのリアクションは全くない。
- THE HIGH-LOWS(元THE BLUE HEARTS)の甲本ヒロトと親交がある。滅多にテレビに出ない甲本と自身の番組中で何度も共演しており、また松本も、ハイロウズのアルバムジャケットのデザインを手がけたり、CMに出演するなどしている。ヒロトが作詞した「日曜日よりの使者」は松本のことを歌っているといわれている。
- 佐野元春について自身のラジオ番組で「(日本の音楽界への貢献を)もっと評価されていい人」と語り、TV番組「4時ですよーだ」では佐野の楽曲「Young Bloods」を歌唱するなど好意的。またデビュー間もない頃の舞台での出囃子に同じく佐野の楽曲「ダウンタウンボーイ」を用いていたことがあるなど、少なからず関わりがある。
- 好きなアニメは「怪獣王ターガン」(特にヒューヒュー・ポーポー)「宇宙の騎士テッカマン」「科学忍者隊ガッチャマン」。特撮では「仮面ライダー」「スペクトルマン」「超人バロム・1」。バロム・1については、懸賞で実物大ポスターが当たり部屋に貼ったところ、「これチンコふくれとるがな」と父親に指摘されたことが心の傷となる。
- 好きではないカラオケだが、付き合いで行くと必ず歌うのが、さだまさしの道化師のソネット。詩に共感を覚えると語っている。
作品
松本人志個人での出演、監督作品を記載。ダウンタウンとしての出演作品はダウンタウンの作品の項目を参照。
アニメ
- きょうふのキョーちゃん
- フジテレビ系の番組ダウンタウンのごっつええ感じ内で放送されたアニメ。詳細は別項目で参照。
映画
- サスケ(2001年)
- 日本テレビ系のバラエティ番組「進ぬ!電波少年」にて企画されたショート・ムービー。あるアメリカの一般家庭にベビーシッターとしてやって来た、松本扮する忍者「サスケ」が一騒動巻き起こすというもの。アメリカ人を笑わせる事を目的として制作されたため、松本自身が求めているお笑いとは全く異なる作品であり、松本自身も全編英語で話している。そのことを松本自身は「自分の力の65%くらいでやるとちょうど良い。ただ、手を抜いてという事ではなくて、65%を本気でやる」と語っており、たとえ外国向けであっても松本の笑いに対する真摯な姿勢がうかがえた。この「サスケ」は現地のアメリカ人200人に向けて上映し、「個性的で面白い」「今までに見たことのない笑い」と好評を得た。
- 松本人志と高須光聖が出演するラジオ番組「放送室」によると松本が監督を務める映画が進行中であるが、詳細は伏せられたままである。すでに判明してる事項は以下の通り。
インターネット配信
ビデオ
- ダウンタウン松本人志の流 頭頭(とうず)(1993年7月9日)
- オリジナルビデオ作品。松本が監督・主演を担当。
- 寸止め海峡(仮)(1995年1月20日)
- 同名の松本人志1万円ライブのビデオ。
- 松本人志のひとりごっつ 其ノ一~其ノ九(1997年)
- 松本人志 VISUALBUM Vol.りんご「約束」(1998年)
- 松本人志 VISUALBUM Vol.バナナ「親切」(1998年)
- 松本人志 VISUALBUM Vol.ぶどう「安心」(1999年)
- わらいのじかん(2000年)
- わらいのじかん2(2000年)
DVD
- 松本人志自選集「スーパー一人ごっつ」Vol.1~5(2002年 - 2003年)
- HITOSI MATUMOTO VISUALBUM 「完成」(2003年)
- 松本人志のオリジナルコント集「VISUALBUM」全3巻をDVD化。メイキングや会議風景、「ZURU ZURU」ロングバージョン、「日影の忍者勝彦」のPVなどを収めた特典ディスク「Vol.メロン」と合わせて4枚組の限定版BOX仕様。
- HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.りんご「約束」
- 「VISUALBUM」第1弾。「システムキッチン」「げんこつ」「古賀」「都…」「ミックス」を収録。
- HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.バナナ「親切」
- 「VISUALBUM」第2弾。「ZURUZURU」「マイクロフィルム」「む゛ん」「いきなりダイヤモンド」「ゲッタマン」を収録。
- HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.ぶどう「安心」
- 「VISUALBUM」第3弾。「診療室にて…」「寿司」「巨人殺人」「荒城の月」「園子」を収録。
- 働くおっさん人形(2003年)
- 人志松本のすべらない話(2006年6月28日)
音楽作品
- 作詞家としてデビュー作は夢で逢えたらで作られた「甘茶でかっぽれ」
- 1993年に番組の企画で作詞し、所ジョージが作曲したバラード・「ラブハンター」を唄・浜田雅功でCDリリース。
- 坂本龍一・テイトウワのプロデュースで相方の浜田雅功と「GEISHA GIRLS (KEN&SHO)」として、1994、1995年にCDを発売する。
- 浜田が小室哲哉と組んだユニット「H jungle with t」で「NHK紅白歌合戦」に出演した際、松本が突如GEISHA GIRLSの衣装で現れ、思わぬ紅白初出場を果たす。ちなみにギャラは5万円だったらしい。
- 1997、1998年にはダウンタウンを中心としたユニット「エキセントリック少年ボウイオールスターズ」「日影の忍者勝彦オールスターズ」で作詞を担当。
- 2001年には吉本興業所属のお笑い芸人によるユニット「Re:Japan」の一員として、CD「明日があるさ」を発売する。
- 2004年11月17日、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)から生まれたユニット「浜田雅功と槇原敬之」のデュエット曲「チキンライス」の作詞を担当。歌詞は松本が幼少時代の出来事を歌詩にしている(作曲は槇原敬之が担当)。この歌詞の内容を見た槇原は、感動して泣いたほど。
食玩
- 松本人志 世界の珍獣(2003年)
キャラクター
- サザエボン
- サザエさんとバカボンのパパが合体したキャラクターを「4時ですよーだ」のワンコーナーで考案。数年後、このキャラクターを無断で使って商売をする心無い業者が現れ、この業者は長谷川町子・赤塚不二夫サイドに著作権法違反で訴えられた(この裁判と松本は関係ない)。このほか、松本は大喜利コーナーなどでぐったりしたパンダを書いたこともあるが、その数年後に「たれぱんだ」というキャラクターが商品化され、「あれは絶対オレのパクリや!」と激怒したが、「本当に訴えるのも恥ずかしいな」と訴訟はしていない。ちなみにその回で松本が回答したネタは「ぐったりパンダ」「首とれかけパンダ」「パンダの半ちゃん(内臓が見えている)」
出演
松本人志個人での出演作品を記載。ダウンタウンとしての出演作品はダウンタウンの出演の項目を参照。
テレビドラマ
バラエティー
- 一人ごっつ(1996年 - 1997年、フジテレビ)
- 新・一人ごっつ(1997年、フジテレビ)
- 松ごっつ(1998年、フジテレビ)
- わらいのじかん(1999年 - 2000年、テレビ朝日)
- わらいのじかん2(2000年、テレビ朝日)
- 松本紳助(2003年4月から松紳)(2000年 - 2006年、広島テレビ→日本テレビ)
- M-1グランプリ(2001年 - 、朝日放送)
- サイボーグ魂(2002年 - 2003年、TBS)
- 働くおっさん人形(2002年 - 2003年、フジテレビ)
- モーニングビッグ対談(2003年、フジテレビ)
- 人志松本のすべらない話(2004年 - 、フジテレビ系)
- ちちんぷいぷい(スタジオ乱入)
舞台
- 寸止め海峡(仮)(1994年)
- 松風'95 (1995年)
- スライド写真にコメントを付ける形式の単独ライブ。入場料を観客の評価に委ね、見終わった後に出口で払ってもらう「料金後払い制」をとった。
ラジオ
CM
- コカコーラ、缶コーヒー「ジョージア ZOTTO」(1996年)
- ツーカーカンパニーイメージキャラクター(2003年 - )
- サントリー、ビール「スーパーブルー」(2005年)
- 玉姫殿
- ザ・ハイロウズ、ベストアルバム「FLASH ~BEST~」(2006年)
著書
- 遺書(1994年、朝日新聞社)ISBN 4022568097
- 松本(1995年、朝日新聞社)ISBN 4022568984
- 松風'95 HITOSHI MATSUMOTO 4D-EXPO(1996年、朝日出版社)ISBN 4255960097
- 「松本」の「遺書」(1997年、朝日新聞社、上記2作の文庫化)ISBN 402261191X
- 松本人志 愛(1998年、朝日新聞社)ISBN 4022573007
- 松本坊主(1999年、ロッキング・オン)ISBN 4947599626
- 伝説の教師(2000年、ワニブックス)ISBN 4847013506
- 図鑑(2000年、朝日新聞社)ISBN 4022575506
- 松本紳助(2001年、ワニブックス)ISBN 4847014154
- テレビ番組「松本紳助」50回分の放送内容を収録。
- 松本シネマ坊主(2002年、日経BP社)ISBN 4822217337
- 日経エンタテインメントで連載する映画批評を単行本化
- 哲学(2002年、幻冬舎)ISBN 4344001664
- 松本紳助の第2弾。
- 松本裁判(2002年、ロッキング・オン)ISBN 4860520025
- 裏松本紳助(2002年、ワニブックス)ISBN 4847014731
- テレビ番組「松本紳助」51回~103回分の放送内容を収録。
- プレイ坊主 松本人志の人生相談(2002年、集英社)ISBN 4087803643
- 放送室(2003年、TOKYO FM出版)ISBN 4887450834
- 2001年10月開始。高須光聖をパートナーに現在も続くラジオ「放送室」のトーク集。
- 放送室の裏(2003年、ワニブックス)ISBN 4847015150
- トークに頻繁に登場した尼崎の同級生3人が、人間・松本人志を語る。高須光聖が徹底取材。
- 定本「一人ごっつ」(2003年、ロッキング・オン)ISBN 4860520246
- 松紳(2004年、ワニブックス)ISBN 4847015592
- 好きか、嫌いか - 松本人志の二元論(2004年、集英社)ISBN 4087804011
- 放送室 その2(2005年、TOKYO FM出版)ISBN 4887451199
- シネマ坊主2(2005年、日経BP社)ISBN 4822217442
- 好きか、嫌いか2 - 松本人志の最終裁判(2005年、集英社)ISBN 4087804224
関連書籍
吉本興業・松本人志未公認
- 怪人・松本人志の謎(1995年、コアラブックス)ISBN 4876932611
- 怪人・松本人志のホンマごっつ(1998年、コスミックインターナショナル)ISBN 4885328500
- 松本人志ショー(1999年、河出書房新社)ISBN 4309263712
- 松本人志 尼崎青春物語(2003年、コアハウス)ISBN 4898091393
連載
- 松本人志のプレイ坊主(週刊プレイボーイ、集英社)
- 松本人志のシネマ坊主(日経エンタテインメント!、日経BP)