李逵
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李逵(りき)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。
梁山泊二十二位の好漢。渾名は黒旋風で、二丁の坂斧(手斧)を得意としそれを振り回して相手を薙ぎ倒す際に噴き出す血煙が、まるで黒いつむじ風のように見えることから。また毛深く色黒で大柄なことからよく「鉄牛」とも呼ばれる。
怪力で武芸に優れた豪傑であるが、性格は幼児がそのまま大きくなったように純粋であり、物事を深く考えることは無く我慢もきかないため失敗も多い。宋江に非常に懐き、彼を絶対的存在と認識しており、宋江のためなら命を投げ出すことも辞さず、少しでも宋江の役に立ちたいと思うがため、何でも首を突っ込みたがる傾向にある。逆に宋江以外の権威は彼にとって全く無価値で、朝廷への帰順を考える宋江としばしば激しくやり合う。一方で幼児独特の残虐性や善悪の区別の曖昧さもそのまま引き継いだために、人を殺すことをなんとも思っておらず、無関係の人間を巻き添えにしたり女子供を手にかけることも厭わない。それゆえ宋江や晁蓋に叱責を買うことも多い。
仲間意識は強く、特に同じ豪傑タイプの鮑旭や焦挺等とは非常に仲がよいが、入山時いざこざがあった朱仝とは不仲で平和的な性格の楽和も李逵が苦手らしい。また彼の保護者的立場である戴宗や、呉用、燕青等機転の利く人間には頭が上がらない。水練は苦手でまったくのカナヅチである。
このように李逵は破茶滅茶で失敗も多いが憎めない部分もあるトリックスター的存在で、この手の破壊的快男子が喝采を浴びる中国では群を抜く人気を誇っている。しかし日本ではあまりに行動が短絡的で、無節操に人を殺すせいか辟易する読者も多く、好き嫌いがはっきり分かれる人物のようである。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] 生涯
沂州沂水県百丈村董店東の小作農の次男として生まれる。喧嘩で人を殺して村から逃げ出し、江州の牢役人戴宗の下働きになる。ある日噂で聞いて尊敬していた宋江が江州に流されてきた。戴宗の引き合わせで李逵は宋江と出会う。宋江をもてなそうと張り切る李逵だが、バクチに負けて暴れるわ、魚問屋の頭張順と喧嘩し溺死させられそうになるわで見事に空回りしてしまう。しかし宋江は怒るでもなく李逵の失敗をとりなし慰めてくれた。この時李逵の中で宋江は絶対的存在となったようである。
その後張順とも和解し、宋江、戴宗と四人で宴会を開くが、この時酔った勢いで作った詩が因で宋江は謀叛の罪をでっち上げられ、それを助けようとした戴宗ともども死刑判決を受けてしまう。この時梁山泊の晁蓋らは宋江達を救うべく刑場破りを画策するが、李逵は彼らと同時に二丁板斧を振り回して刑場に乗り込み邪魔するものを(見物人を含め)手当たり次第に斬りまくり、宋江救出後そのまま梁山泊の一員となった。
しばらく後宋江が家族を梁山泊に連れてきたり公孫勝が母親に会うため帰省したのを見て、故郷に残してきた母親が心配になった李逵は母親を迎えに行きたいと申し出下山する。途中自分の名前を騙る追い剥ぎを退治したりしてなんとか母親と再会した李逵だが、梁山泊へ戻る途中、李逵が水を汲みに行っている最中に母親を虎にさらわれてしまった。激怒した李逵はその虎の一家四匹を斬り殺すが母親は既に事切れていた。涙に暮れる李逵の所に近くの村長が現れ虎退治の英雄として歓待されるがそれは李逵にかかっていた賞金目当ての罠で捕り方の李雲に捕まってしまう。しかし心配した宋江が目付け役でよこした朱貴とその弟の朱富の助けで脱出しさらに李雲も加えて梁山泊へ帰還した。
その直後の祝家荘との戦いでは敵将祝彪を倒す手柄を立てるが、梁山泊と不戦協定を結んだ扈家荘まで切り込んでしまい手柄は帳消しにされる。また朱仝を仲間にする時、彼に懐いていた知事の息子を殺してしまい、激怒した朱仝と殺し合いにまでなる。その場は何とか収まるがそのまま梁山泊へ戻るのもバツが悪いため柴進の屋敷に逗留する。しかし、ここでも高唐州の知事高廉の義弟の横暴に耐えかね叩き殺してしまう。このため李逵を庇った柴進は高廉に捕まってしまい、さすがに責任を感じた李逵は彼を救出するため東奔西走した。また、この後朱仝とも一応和解した。
百八星集結後は歩兵隊隊長の一人となり鮑旭、項充、李袞とカルテットを結成し、切り込み隊長的役割を担う。李逵と鮑旭が手当たり次第に敵を斬り、項充と李袞が盾や飛び道具で援護するという形式はすさまじい破壊力を発揮。戦いの度大活躍した。朝廷への帰順には懐疑的で朝廷の詔書を破いたり「あんな奴ら皆殺しにして宋江兄貴が天子様になればいい」などと発言し宋江と罵り合いになるが、彼の意思が固いことを知ると結局これに従った。
その後は官軍となっても活躍を続け見事都に凱旋するが、鮑旭、李袞、項充は皆命を落としてしまった。特に気の合った鮑旭が死んだ時は人目も憚らず号泣するほどだった。李逵は武節将軍の称号と、潤州の司令官に任命され宋江、戴宗と別れるが、任地に赴いた後は鬱々とした日々を送っていた。そこへ楚州にいる宋江から呼び出され、喜んび勇んで赴く。李逵は宋江に出された酒を飲むが、突然宋江は涙を流し李逵に謝り出す。実は、酒は奸臣が恩賜と偽って宋江に贈られた毒酒であり、自分が奸臣に殺された時に一番反乱を起こしそうな李逵を、朝廷や民衆に迷惑がかからないよう道連れにしたのだった。
これを聞いた李逵は涙を流しながら「かまうもんか。兄貴が死んじまったら生きていたってしょうがねえ。おいらはあの世でもあんたの一兵卒だよ」と返した。そして潤州に戻ると宋江と同じ所へ葬るよう遺言し息を引き取った。李逵の最期の台詞は梁山泊の絆を端的に表す言葉として非常に評価が高く、アンチ李逵が彼のファンに変わることもあるほどである。
死後も徽宗の夢の中に現れ奸臣にいいように騙された事を罵って斬りかかったり、『水滸後伝』でも「官軍の使い走りなんぞになりやがって!」と戴宗を夢で咎めるなど、生前同様の破天荒振りを示した。