李瑞環
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李瑞環(りずいかん、1934年9月 - )は中国の政治家。天津市宝坻出身、1959年9月中国共産党に入党。
1958年、建国10周年祝賀の「北京十大建築物」の建設で木工青年突撃隊長として人民大会堂の建築を担当。期間内完成に貢献したと称賛され、「全国労働模範」 の称号を授与、北京建築労働者業余学校の入学を許可された。その後、1965年から1979年にかけて、北京建築資材料供給公司、北京建筑木材工場、北京建築資材工業局、北京市建委などに配属される。文化大革命では迫害を受けたが、1971年に復活。
1979年中国共産主義青年団書記、1982年天津市長、天津市党委員会書記。1987年中央政治局委員、天津市委書記(87年8月)と順調に出世していく。これには共青団や天津時代の先輩だった胡啓立の強い推薦があったという。
1989年の天安門事件で胡啓立(当時常務委員)は趙紫陽総書記とともに失脚した(その後復活)が、第十三期四中全会で中央政治局常務委員、中央書記処書記。93年から全国政治協商会議主席。
2002年11月の16全大では、内規の引退年齢70歳以下のため常務委員再選も予想されていたが、江沢民、李鵬、朱鎔基らとともに引退。2003年3月の全国政協で主席から引退した。
中共第十二期から第十五期中央委員。中共第十三期から第十五期中央政治局委員。中共第十四期、第十五期中央政治局常務委員。第八期、第九期全国政協主席。
前任: 李先念 |
全国政治協商会議主席 1993年-2003年 |
後任: 賈慶林 |