本因坊道悦
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本因坊道悦(ほんいんぼう どうえつ、1636年 - 1727年)は、江戸時代の囲碁の棋士。本性丹羽。伊勢、あるいは石見の国出身。準名人であるが、名人格とされている。
幕府は囲碁将棋の家元制度を整えていき、1664年、御城碁を城内の恒例の年中行事に定めた。
1668年、幕命により安井算知が名人を命じられた。これを不服とした道悦は即座に争碁を願い出た。 この時、道悦は「御公儀の命に逆らったのだから、勝ち負けに関わらず遠島の刑くらいは覚悟している。」との決死の覚悟であった。
1669年、算知との争碁が始まり、20局を打ち、見事道悦は打ち勝つ。この中で道悦の打ち方に道策の影響があったと言われる。 争碁に負けた算知は碁所の位を返上。翌年、道悦も幕命に逆らった事を理由に隠居する。
1727年、死去。