有害コミック騒動
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有害コミック騒動(ゆうがいこみっくそうどう)とは、戦後延々と繰り返されてきた漫画と保護者らの闘争の中で、悪書追放運動とならんで大規模な運動に発展した数度目のものである。
[編集] 経緯
- 1989年連続幼女誘拐殺人事件が発生、犯人がマンガ、アニメのファンであったことから、このようなものが人間に悪影響を及ぼすと言う風潮が高まる。これが全ての始まりである。
だが実際、犯人の宮崎はホラービデオマニアであり、有害な図書として昨今に紹介される性交渉を題材とした絵画の所持が確認されなかったことは、報道されない事実であり、女権団体などのテコ入れを禁じ得ない。
- 1990年、朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えると言う旨の社説を載せる。和歌山で「コミック本から子どもを守る会」が結成され、署名運動を展開。これに各地のPTAや「~親の会」が賛同、対象年齢が小学生と低めだった週刊少年ジャンプを特に非難した。北斗の拳、ドラゴンボールなどが暴力表現が過ぎるとして槍玉に挙がった。黒人差別をなくす会による手塚治虫批判も同時期である。80年代半ばから展開された性的描写の含む漫画への批判がこの運動に合流、出版社側は出版問題懇話会を設置し性的描写の自主規制に乗り出す。
- 1991年東京都議会が「有害図書類の規制に関する決議」を採択、青少年条例の強化に乗り出す。国会議員では、自民党の麻生太郎を会長に「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」が結成され、業界関係者を招致。自主規制の現状について説明させた。対して民間側では「『有害』コミック問題を考える会」が開催、出版社のみならず幅広い会員から構成され、後に同会は「マンガ防衛同盟」に改称。石ノ森章太郎氏が代表を勤め「コミック表現の自由を守る会」が結成された。