最高裁判所判事
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最高裁判所判事(さいこうさいばんしょはんじ)は、最高裁判所の長たる裁判官(最高裁判所長官)以外の最高裁判所裁判官のことをいう(裁判所法第5条第1項)。員数は14人。
最高裁判所長官を含む最高裁判所裁判官に関する一般的な事項は最高裁判所の項において述べ、この項目は最高裁判所判事に関する事項を扱う。
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[編集] 任命
最高裁判所判事の任命は内閣が行い、天皇が認証する。いわゆる認証官のひとつである。
最高裁判所判事の任命は、任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に最高裁判所裁判官国民審査(国民審査)に付される。
最高裁判所判事は、下級裁判所の判事を務めた裁判官だけでなく、検察官、弁護士、行政官、外交官、学識経験者(法学の教授等)からも任命される。これは最高裁判所が法律の運用や解釈に最終判断を下すために、多様な立場の法律専門家の見解を反映するためである。
判事が退官すれば、同じ出身分野から後任が選ばれるのが通例で、出身分野別の判事数はおおむね、裁判官出身5、弁護士出身4、検察官出身3に、行政官、外交官、学識経験者出身各1といった配分になっている。ただし、適任者がいない場合などには人数配分が変わることもある。各小法廷の構成も、特定分野の出身者が集中しないよう配慮される。
[編集] 権限
最高裁判所判事は、最高裁判所長官とともに合議体である最高裁判所の各法廷を構成しており、司法権の行使における権限は最高裁判所長官と同等である。
司法行政については、最高裁判所の裁判官会議において最高裁判所長官および最高裁判所判事による議決を行って、司法行政権および最高裁判所規則の制定権を行使する。
[編集] 待遇
最高裁判所判事の給与は裁判官の報酬等に関する法律(裁判官報酬法)に基づいており、月額において特別職の職員の給与に関する法律に基づく国務大臣、会計検査院長、人事院総裁の給与と同額である。また、検事総長とも同額である。給与は、在任中減額できないと憲法で定められている。
また、各自に1名の最高裁判所判事秘書官が配置され、機密に関する事務を掌らせている。
最高裁判所の裁判官の職に在つた者は、弁護士となる資格を有する(弁護士法第6条)。
[編集] 著名な最高裁判所判事経験者
(長官に就任した者については、最高裁判所長官の項を参照。)
- 真野毅(1947年(昭和22年)8月4日~1958年(昭和33年)6月28日) - 元第二東京弁護士会会長。
- 穂積重遠(1949年(昭和24年)2月26日~1951年(昭和26年)7月29日) - 元東京大学教授(民法)。
- 父は、民法起草者の穂積陳重。
- 田中二郎(1964年(昭和39年)1月16日~1973年(昭和48年)3月31日) - 元東京大学教授(行政法)。
- ほとんどの最高裁判事が70歳の定年まで任期を全うする中、67歳で依願退職した。
- 大隅健一郎(1966年(昭和41年)9月9日~1974年(昭和49年)10月1日) - 元京都大学教授(商法)。
- 下田武三(1971年(昭和46年)1月12日~1977年(昭和52年)4月2日) - 元駐アメリカ合衆国大使。
- 尊属殺人被告事件(最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決)で、ただ1人、尊属殺については死刑または無期懲役を処す刑法200条が合憲との反対意見を述べた。
- 団藤重光(1974年(昭和49年)10月4日~1983年(昭和58年)11月7日) - 元東京大学教授(刑法)。
- 刑法学の基礎理論として、行為無価値論の立場に立つ重鎮である。在職中にそれまでの共謀共同正犯を否定する立場から肯定する立場に転換した。
- 伊藤正己(1980年(昭和55年)1月19日~1989年(平成元年)9月20日) - 元東京大学教授(英米法)。
- 自衛官靖国合祀事件(最高裁判所昭和63年6月1日大法廷判決)で、15名中ただ1人反対意見(合祀を不法行為として遺族の請求を認める立場)を述べた。
- 味村治(1990年(平成2年)12月10日~1994年(平成6年)2月6日) - 元内閣法制局長官。
- 高橋久子(1994年(平成6年)2月9日~1997年(平成9年)9月20日) - 労働省婦人少年局長。
- 最初の女性最高裁判所判事。
- 大出峻郎(1997年(平成9年)9月24日~2001年(平成13年)12月19日) - 元内閣法制局長官。
- 奥田昌道(1999年(平成11年)4月1日~2002年(平成14年)9月27日) - 元京都大学教授(民法)。