川崎病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎病(かわさきびょう、英Kawasaki disease)とは、おもに乳幼児にかかる急性熱性発疹性疾患。1961年に日本赤十字社の小児科医川崎富作が患者を発見し、1967年に報告し名づけられた。病名は川崎医師の名前から採られたものであり、神奈川県川崎市とは無関係である。川崎公害に起因するぜんそくなどとの混同を防ぐため、「川崎富作病」と呼ぶべきだとの意見もある。
小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(英MCLS: MucoCutaneous Lymph-node Syndrome)とも言われるが、世界的に川崎病(KD)が一般的。もっとも、若いころの川崎医師は、MCLSと呼ばないで川崎病と呼ぶと「私はそんな名前は付けていない」と言って怒ったそうである。
医療情報に関する注意:ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。 |
目次 |
[編集] 症状
主な症状は以下の6つである。
以上6つの主要症状のうち5つ以上を満たすものを本症と診断するが、5つに満たない非典型例も多い。
さらに、長期予後として後に冠動脈に動脈瘤が数多く認められ、心筋梗塞により突然死に至ることがある。
[編集] 原因
2004年現在、はっきりとした原因は特定されていないが、冬に多く地域流行性があることから何らかの感染が引き金となって起こる可能性が示唆されている。
[編集] 治療
急性期治療の目的は、炎症反応の抑制・血栓形成予防・冠動脈瘤予防であり、免疫グロブリンとアスピリンを併用するのが通常である。この併用療法により48時間以内に解熱しない、または2週間以内に再燃が見られる場合を不応例とする。不応例には免疫グロブリンの再投与を行うか、ステロイドパルス療法が有用な例も報告されている、また冠動脈が拡張を来していないか心エコーによりフォローする必要がある。冠動脈病変が好発する第10病日で行い、異常が認められない場合には発病後6週で再検する。冠動脈病変が認められない場合、その時点でアスピリンを中止する。
[編集] 川崎富作
川崎富作は千葉大学出身である。大学内での出世コースに入らず日本赤十字社へ向かった、たたき上げの小児科臨床医である。大学教授ではなく、日本赤十字社医療センター内でも部長にとどまった。国際的な病名にまでなっている日本の医師のなかでは、例外中の例外に属する。 川崎病の発表当時は猩紅熱の亜型ではないか、あるいはスティーブンス・ジョンソン症候群の軽症例ではないかとの議論があり、一度はMCLSという病名が学壇で否定されたこともある。 何しろ大昔のことで、東大系の医師たちに「そんな病気はない」といっていじめられた、日本赤十字社医療センター内も東大系の医師の勢力が強く、副院長にもしてもらえず定年後も辛酸をなめた、などという、どこまで本当なのか定かではない伝説も残っている。のち、学壇は川崎富作に日本学士院賞を贈った。なお、広尾の日本赤十字社医療センターには川崎病診療の伝統がよく残っており、直弟子の園部友良(日赤医療センター部長)も厚生省川崎病研究班の班長をつとめ、「診断の手引き」改訂などに尽力している。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 医学関連のスタブ項目 | 膠原病