山茶花究
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山茶花究(さざんかきゅう、本名:末広峰夫(すえひろみねお)、1914年4月1日 - 1971年3月4日)は、昭和期の俳優、芸人。大阪府大阪市出身。
[編集] 人物と生涯
グラン・テッカール、カジノ・フォーリー文芸部員、ロッパ一座の役者を経て、1946年(昭和21年)に坊屋三郎、益田喜頓と伝説のボーイズ「あきれたぼういず」を再結成(第二次)。解散後は、戦後派新青年座などを経て、喜劇役者として映画界で活躍。森繁久弥との「駅前シリーズ」などの喜劇映画に多数出演。黒澤明、川島雄三作品の常連俳優でもあった。高利貸しやヤクザの親分など、嫌味かつ個性的な役どころなど天下一品の味わしを出し、悪役も善玉もこなす性格俳優として、日本映画黄金期に140作品以上の作品に出演した。風貌ではエラの張ったギョロ目が特徴的。この芸名は、九九の“さざんがきゅう(3×3=9)”に由来する。晩年は肺結核と糖尿病に苦しみ、死の床に見舞いに来た森繁久弥に「繁ちゃん、いっしょに逝こう」という言葉を残した。