小林雅英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
男子 野球 | ||
銅 | 2004 | 野球 |
小林雅英(こばやし まさひで、1974年5月24日 - )は、山梨県大月市出身の千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手で、背番号は30。愛称は「コバマサ」。千葉ロッテのクローザー(抑え/ストッパー)であり、その役割を評して「幕張の防波堤」といわれることもある。家族は妻と1女。
目次 |
[編集] プレイスタイル
武器は150km/h超の直球にほぼ同じ球速のシュート、120km/h台~140km/h台まで緩急のつけられる縦のスライダー。好調時のシュートは150km/hを超え、直球より速いこともある。
シュートを使い内野ゴロを取る、或いは縦のスライダーで三振を取って抑える形が多い。基本的に制球力は安定しておらず、力押しの投球スタイルになることが多い。
マスコミなど各メディアで縦のスライダーをフォークと呼称する場面が見られるが投げることはほとんどない(指が短くフォークは得意ではない上、縦のスライダーで充分フォークの役割を果たすことができるため)。
ものまね芸人の前田健に似ている。
[編集] 経歴
山梨県立都留高等学校-日体大-東京ガス-ロッテ(1998年・1位)
1999年 後半戦から先発として起用され、5勝5敗の成績を残した。前半戦などでのリリーフ起用をふくめれば46試合に登板している。
2000年 当時の山本功児監督によってリリーフに配置転換され、11勝6敗14セーブの好成績を挙げる。以後2003年まで3年連続の30セーブを達成している。 またこの年の7月2日対オリックス戦で、「打者0人」で勝利投手になった(小林が2球目を暴投し一気に三塁を狙った一塁走者イチローが三塁でアウトになったため)。これはプロ野球史上初のことである。現在でも小林以外に打者0人で勝利投手になった例はない。
2001年 5月25日の対日本ハム戦から30日の福岡ダイエー戦にかけてプロ野球新記録となる6日連続でセーブをあげた。
2002年 自責点4で防御率0.83に加え33試合連続セーブポイント(プロ野球記録)という活躍を見せた。セーブポイントは現在は廃止されているため、現時点では永遠に破られない記録となった。しかし好成績を残すも、2勝3敗38Sの成績を残した豊田清(現巨人)に最優秀救援投手のタイトルを奪われる。
2004年 アテネオリンピック野球日本代表に選出。日本代表のストッパーとして銅メダルに貢献。
2005年 5月18日の対広島戦において、プロ野球史上4人目となる通算150セーブを達成。登板数312試合目での150セーブ達成は史上最速。 初タイトルとなる最多セーブ投手賞(旧・最優秀救援投手賞)を獲得。
2006年 6月7日の対中日戦で9回裏に登板し、クリーンナップを三者凡退に抑えて日本プロ野球初の6年連続20セーブを達成。
- 日本生命セ・パ交流戦で、3勝0敗13Sの成績を挙げ交流戦MVPを獲得。ロッテの交流戦連覇に貢献した。
- 7月11日の北海道日本ハムファイターズ戦で通算194セーブとなり、江夏豊の193セーブを抜いて単独三位になった。
- 8月19日の日ハム戦で佐々木主浩、高津臣吾以来となる史上3人目の通算200セーブを達成。なお、この年はこの試合以降、一度もセーブをあげることができなかった。
[編集] 略歴
- 身長・体重:182cm 89kg
- 投打:右投右打
- 出身地:山梨県大月市
- 血液型:B型
- 球歴・入団経緯:都留高 - 日体大 - 東京ガス - 千葉ロッテ(1999年 - )
- FA取得:なし
- プロ入り年度・ドラフト順位:1998年(1位・逆指名)
- 英語表記:KOBAYASHI
- 推定年俸:25000万(2006年)
- 守備位置:投手
[編集] 成績
(stub)
[編集] 記録
- 2000年 打者0人で勝利投手(プロ野球史上初)
- 2001年 6日連続セーブ(プロ野球記録)
- 2002年 シーズン33連続セーブポイント(プロ野球記録)
17試合連続セーブ(パ・リーグ記録)
- 2004年 アテネオリンピック日本代表として銅メダルを獲得
1イニング3暴投(プロ野球タイ記録)
- 2005年 通算150セーブを達成、29セーブを挙げ、最多セーブ投手賞を獲得
- 2006年 交流戦MVPを獲得、6年連続20セーブ(プロ野球史上初)、通算200セーブ(プロ野球史上3人目)を達成
[編集] タイトルなど
-
- 2005年 29S
- オールスターゲーム出場 4回(00、01、05、06年)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
34勝27敗200セーブ 防御率2.72 奪三振428 登板数396
[編集] 人物・エピソード
- 各最速通算セーブ記録、連続試合セーブポイント、連続日セーブ、また数々の日本代表経験や例年安定したセーブ数を上げているなど「球界を代表するストッパー」と評すのに充分な活躍をしている。しかしながら、最優秀救援投手(最多セーブ)には縁がなく現在まで2005年の一度のみである(29S)。それ以外の年ではアテネ五輪に参加した2004年を除き30以上のセーブを上げているが、小林雅を上回るセーブを上げる投手が存在している。
- 薮田安彦、藤田宗一から小林に繋ぐリレーはロッテの“勝利の方程式”であり、一部メディアからは阪神の勝利の方程式「JFK」を捩って「YFK」と名付けられた。
- 毎回のようにヒットなどでランナーを出すも、ぎりぎりまで追い詰められながら最終的には抑えるという綱渡りな投球内容も多く、チームメイトの大塚明に「コバマサ劇場」などと揶揄されたこともある。
- 救援投手だが、「勝ちで試合を終わらせることができれば、3点差あったら2点までは獲られてもいいわけで」という自論を持つ。そのため、江夏豊から「お前は考え方が変わっている。変人だな。」と言われたことがある。
- 東京ガス在社時代は、お客様サービスセンターでクレーム処理をしていた(しかしほとんど聞き流していたのだという)。
- 入団してから不調や怪我による2軍落ちを経験したことがないのが自慢。(先発時代に登板間隔の問題で落ちることはあった)2000年からは固定されリリーフピッチャーを務めている(1999年にも36試合にリリーフ登板しているが、専任ではなかった)が、現在まで怪我に無縁である事からタフネスさには定評がある。
- 06年の登場曲は、戦ユニフォームの時はKAT-TUNの「Real Face」、誠ユニフォームの時は倖田來未の「WIND」をかけていたが、5月31日の登板時から川嶋あいの「一秒の光」を流している。この曲はこのために書き下ろされた曲であり、バファローズの大久保勝信、ホークスの和田毅に次ぐプロ野球選手への曲贈呈となった。
- チームには同じ小林姓である小林宏之がいるが、マリーンズファンからは名前ではなく「小林」で呼ばれる(小林宏之の方を名前から「ひろゆき」と呼ぶ)。
- ドラフト1位として臨んだ入団会見の席で婚約を発表し話題を呼ぶ。
[編集] 2005年の活躍
- 2005年シーズンは抑え投手として失敗はあるものの安定した活躍を見せ最多セーブ投手を獲得。チームのPO進出(レギュラーシーズン2位)に貢献。
- 2005年10月15日、ヤフードームで行われたプレーオフ2ndステージの対ソフトバンク第3戦、4-0で迎えた9回裏、それまで1stステージから全4試合でセーブを上げるなど好調を見せていた小林雅はリーグ優勝をかけ登板したが、先頭打者の四球を皮切りにヒット・タイムリーを浴び、最後は押し出しで4-4の同点に追いつかれるという大失態を演じてしまう。チームは10回に代わった藤田宗一が川崎宗則にサヨナラ打を浴び敗戦(敗戦投手は小野晋吾)。試合後、落ち込んでいたところを娘(顔が父親の小林にそっくりである)に電話で「バカ!」と叱咤され気を持ち直したエピソードは有名である。チームは4戦目も敗戦し、2勝2敗でリーグ優勝の行方は第5戦の勝敗に委ねられた。そして9回裏3-2と1点リードでマウンドへ上がる。先頭打者をまたも四球で歩かせ一打同点の場面を招くが、今度は川崎をレフトフライに打ち取りゲームセット。ロッテは31年ぶりのリーグ優勝を果たし胴上げ投手となる。
- 阪神との日本シリーズ第4戦に登板。先頭打者を四球で出したものの続く打者を抑え見事に胴上げ投手となった。
- 2005年11月13日のアジアシリーズ決勝三星ライオンズ戦でも最終回に5-1でリードの場面でマウンドに上がり、味方のエラーなども重なり2失点。しかし最後は三振で締め三度目の胴上げ投手となった。
[編集] 関連項目
千葉ロッテマリーンズ - 2007 | |
---|---|
00 代田建紀 | 0 荻野忠寛 | 1 大嶺祐太 | 3 サブロー | 5 堀幸一 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 福浦和也 | 10 大松尚逸 | 11 神田義英 | 12 藤田宗一 | 13 浅間敬太 | 14 小宮山悟 | 15 柳田将利 | 16 久保康友 | 17 手嶌智 | 18 清水直行 | 19 ワトソン | 20 薮田安彦 | 21 内竜也 | 22 里崎智也 | 23 大塚明 | 24 平下晃司 | 25 竹原直隆 | 27 古谷拓哉 | 28 加藤康介 | 29 小野晋吾 | 30 小林雅英 | 31 渡辺俊介 | 32 根元俊一 | 33 橋本将 | 35 三島輝史 | 36 黒滝将人 | 37 林啓介 | 38 中郷大樹 | 39 田中雅彦 | 40 渡辺正人 | 41 小林宏之 | 44 早川大輔 | 45 松本幸大 | 46 呉偲佑 | 47 山崎健 | 48 高木晃次 | 49 川崎雄介 | 50 ベニー | 51 龍太郎 | 52 塀内久雄 | 53 相原勝幸 | 54 黒木知宏 | 55 神戸拓光 | 56 木興拓哉 | 57 佐藤賢治 | 58 青野毅 | 59 細谷圭 | 60 成瀬善久 | 61 角中勝也 | 62 金澤岳 | 63 青松敬鎔 | 64 藤井宏海 | 65 南竜介 | 66 末永仁志 | 67 新里賢 | 68 早坂圭介 | 69 江口亮輔 | 70 定岡卓摩 | 99 田中良平 | |
2 監督 ボビー・バレンタイン | 78 西村徳文 | 79 井上祐二 | 75 高沢秀昭 | 85 袴田英利 | 88 荘勝雄 | 83 ランペン | 87 高橋慶彦 | 90 立花龍司 | 71 二軍監督 古賀英彦 | 76 佐藤兼伊知 | 81 園川一美 | 89 佐野嘉幸 | 72 平井光親 | 73 諸積兼司 | 77 吉鶴憲治 |
|
球団 | |
カテゴリ: 日本の野球選手 | 首都大学野球連盟の選手 | 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 | 1974年生 | 山梨県出身の人物 | 野球選手に関するスタブ