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塩川 達也(しおかわ たつや、1983年3月15日- )は、プロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属の内野手。背番号1。兵庫県神戸市垂水区出身。右投げ右打ち。180cm、79kg、血液型O型。
[編集] 経歴
- 2006年9月23日西武戦にて頭部に死球を受け途中退場。病院に搬送されたが検査の結果特に異常はなかった。翌日の出場は大事をとって見合わせる予定だったが本人が強く希望したためスタメン起用され、二安打を放つ。シーズン途中.250程度はあった打率が落ち込んで久しかったが、これ以降打撃が好調になる。塩川本人も「頭に当って目がさめた」とコメントした。
- 2006年9月27日オリックス戦にて先発の岸田護からファーム、一軍通じてプロ初の(ソロ)ホームランを放つ。結局この1点が決勝点となりチームは1-0で勝利した。なおこのホームランが楽天の球団生え抜きでは第1号となった。
- 2006年は沖原の不調により西村、草野とショートのレギュラーを争った。守備の西村、打撃の草野と特徴がはっきりしている両者の中間というのが当初の塩川のイメージで、特徴がない印象であったが西村の打撃のまずさと草野の不振もあって準レギュラー的な形で最も多く起用され、その中で塩川の色を徐々に出していった。打撃は基本に忠実にセンター返しを心がける。打率こそ高くはないが追い込まれてからが粘り強く、フォアボールまで粘ることもある。また相手のちょっとしたミス、隙につけこみ進塁を試みる抜け目のなさが光った。
- 2006年8月頃、室内での打撃練習中にストレッチとして左打席で練習していたのが橋上守備走塁コーチ(現・ヘッドコーチ)の目にとまる。本人は遊びのつもりだったようだが中々サマになっていたようでその後本格的にスイッチヒッター転向に向けて練習を始める。10月24日のフェニックスリーグ湘南シーレックス戦の6回第3打席にて、(鉄平のヘルメットを借りて)実戦で人生初の左打席に立つ。結果はファーストゴロであった。8回の第4打席でも左打席に立ち、一球ファールの後、カウント1-2からセカンドゴロに倒れた。現状では右打席ほど力が入らない状態ではあるがなんとかプロの球に当てることに成功している。11月5日、チーム内での紅白戦において左打席での初安打を放った。
[編集] 人物・エピソード
- 1番という「良い」背番号を背負っているが、これは球団に冗談で「1番が欲しい」と言ったら本当に1番を渡されてしまい、かえって焦ってしまったというエピソードがある。楽天創成期のドラフト一期生は期待をこめてかいい番号をもらっている選手が多く、塩川もその一人である。
- 野手ではあるがスライダーが投げられる。2006年オフに小学生向けの野球教室に講師として参加した際に、塩川が投手として登板し小学生のチームと対戦した。結構な自信を持っていたようだが、本気で投げた球を苦も無く打ち返されてしまい少々ショックを受けていた。
- チームメイトの鉄平がテレビ局のインタビューを受けている最中に終始からかい続けるなど性格はひょうきんでよく喋る。また「年下には絶対に負けたくない」と負けず嫌い。大学二年次、下級生で将来有望と言われ、当時「ショート三枚看板」と呼ばれた選手が全員野球部に入部してきた。塩川は競わされることもなく三塁手にされてしまい奮起、猛練習をして秋には遊撃手の定位置を奪い返したというエピソードがある。
- チームメイトからは苗字の一文字目を取って塩(シオ)と呼ばれているようだ。
[編集] 略歴
- 球歴・入団経緯 神戸国際大学附属高 - 東北福祉大 - 楽天(2005年~)
- プロ入り年度・指名巡 2004年(5巡目指名)
[編集] 背番号
[編集] 年度別成績
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク