南部晴政
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南部 晴政(なんぶ はるまさ 1517年(永正14年) - 1582年(天正10年))は戦国時代・安土桃山時代の戦国大名。南部氏二十四代当主。南部安信の嫡男。
若い頃から勇猛で知られており、1541年、南部氏二十四代を継いだ。まずは謀反を起こした工藤氏を討ち、家臣により焼失された三戸城を再建して南部氏を統一する。その後は勢力拡大に励み、戸沢道盛や斯波経詮、安東愛季らと戦い、これらに一時、領土を奪われて追いつめられたこともあったが、猛勇を見せて1569年に奪回に成功した。外交的にも1578年、織田信長に鷹を献上して誼を通じるなど優れた一面を見せ、南部氏の最盛期を築き上げた。その領土版図の広さは「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われた事からも伺われる。
近年の説では、この頃の南部氏は根城(八戸)系と三戸系に分裂しており、本来は根城系が南部氏宗家であったが、三戸系の晴政がこれを討って宗家の地位を奪ったの見方がある。これが事実であるとすれば、戦国大名としての南部氏の祖は晴政ということになろう。
しかし晴政の治世の晩年に、大浦為信が謀反を起こして津軽を奪い取り独立したために南部氏はやや衰退する。そのような状況下であった1582年に晴政は病死してしまったのである。だが、一説には嫡男晴継の誕生によって、後継者の地位を追われた娘婿の田子信直とその支持者によって三戸城を攻められて、晴継ともども殺害されたとの説がある。