交響曲第8番 (ブルックナー)
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アントン・ブルックナーの交響曲第8番ハ短調は、彼の交響曲のみならず、古今東西の交響曲における最高傑作に挙げられることもある名作である。80分の長大な曲であり後期ロマン派音楽の代表作に挙げられる。
目次 |
[編集] 作曲の経緯
作曲が開始されたのは1884年7月で、交響曲第7番の初演準備をしていた期間である。第8番は作曲が進められ、1887年夏に完成する(第1稿)。
ブルックナーは指揮者ヘルマン・レヴィに交響曲の完成を報告した。手紙で、第8番の完成を「私の芸術上の父」レヴィに報告したいと述べられている。レヴィがブルックナーからこれほどの敬愛を受けるようになったのは第7番のミュンヘン初演を成功させ、この作品をバイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈するというブルックナーの希望を実現させたためだった。
レヴィは第8番にも関心を示した。しかしブルックナーから送られた総譜を読むと、「演奏不能」と感じた。
レヴィはブルックナーの弟子であるフランツ・シャルクを通して「演奏不可能だ」との返事を送った。ブルックナーはひどく落胆したが、第8番の全面改訂を決意する。ブルックナーは他の作品にも大規模な改訂を施し始める。交響曲第4番、第3番が改訂された。
第8番に関しては、第3楽章から改訂がされ1889年3月4日から5月8日にかけて、続いて第4楽章の改訂が年7月31日まで行われ、さらに第2楽章スケルツォが改訂され、そして第1楽章、1890年3月10日に改訂は終了した。
これが「1890年・第2稿」であり、現在の演奏はほとんどこの稿を採用している。
[編集] 楽器編成
- 弦五部
5番~8番ホルンは第1・3・4楽章でワグナーチューバに持ち替え、テノール・チューバとバス・チューバを2本ずつ使用する。
なお「1887年・第1稿」では、第3楽章までは2管編成で書かれ、第4楽章で初めて3管編成となる。その他3番フルートが第3・4楽章でピッコロに持ち替える。
[編集] 楽曲の構成
[編集] 第1楽章
Allegro moderato
ハ短調。2/2拍子。3つの主題を持つソナタ形式。約14分~16分。(注意:解説は、ノヴァーク版第2稿に基づく。
弦楽器のトレモロで始まり、低弦に重苦しく悲劇的な第1主題が現れる。第1主題のリズム・動機は全曲を支配する。第2主題はト長調、楽譜にも breit und markig (明るく、はっきりと)という発想がある叙情的な主題である。この主題も転調を繰り返す。
オーボエの経過があり、第3主題は変ホ短調、弦楽器のピチカートで示される。せわしない動きの後に、強烈な下降音型が登場する不気味なものである。提示部は124小節からの変ホ長調の壮麗な全合奏により終わる。提示部では主調であるはずのハ短調の要素は少なく調的に不安定である。
展開部は第128小節から始まり、第1主題が模倣され、第1主題・第2主題が下向きに反転された形で展開されるが、ここは短い。反転された第2主題のブルックナー・ゼクエンツを繰り返した後、第225小節で二つの主題を重ねた激しく不協和なfffに達する。
長めの経過句があり、再現部は第291小節から第1主題が登場するがかなり変形され短い。第2主題と第3主題は型どおりに再現される。第369小節で第1楽章のクライマックスが訪れ、金管楽器群によってハ音が繰り返される。ブルックナー自身は、この信号のような強奏を「死の予告」と説明した。
それが静まり、第393小節から第1主題が消え入るような形で第1楽章を締めくくる。ブルックナー自身はpppのコーダを「あきらめ」と説明した。
[編集] 第2楽章
Scherzo. Allegro moderato
ハ短調、3/4拍子、A - B - A の3部形式。スケルツォ主部(A)とトリオ(B)もそれぞれ3部形式を取るため、このスケルツォ楽章は複合3部形式となる。14分~16分。
スケルツォ主部(A)の主要主題を、ブルックナーは「ドイツの野人(ミヒェル)」と説明した。この架空のキャラクターを通して、ブルックナーはこのスケルツォ楽章について多くの説明を試みている。「野人(ミヒェル)」とは“鈍重な田舎者”の意味合いが込められたものと言われている。
トリオ(B)は変イ長調、2/4拍子に変わり、 Langsam (ゆっくりと)の演奏標語がある。ブルックナーによれば、このトリオは「野人(ミヒェル)が田舎を夢見る」となっている。トリオではハープが大きな役割を果たすが、ノヴァークはハープを「できれば3台」の指示がある。トリオの第45小節から始まる中間部の最後、第57小節-第60小節にある低弦の旋律は「野人の祈り」を指しているという。このトリオは、「1887年・第1稿」から「1890年・第2稿」への改訂過程で、全く別個の形に書き直されたものである。「1887年・第1稿」ではハープが使用されていない。
やがてスケルツォ主部(A)が戻り、第2楽章を締めくくる。
[編集] 第3楽章
Adagio. Feierlich langsam, doch nicht schleppend
変ニ長調、4/4拍子 約26分。“Feierlich langsam, doch nicht schleppend”(荘重にゆっくりと、しかし引きずらないように)。A - B - A - B - A の5部形式。どちらの主題も2つの要素から構成され、より細かく A1・2 - B1・2 - A1 - B1・2 - A1・2 と図示できる。
第1主題(A)は第3楽章の冒頭で、 A1 の主要旋律は第1ヴァイオリンによって提示される。最初に A2 の要素が登場するのは第21小節で、ハープが登場し、上昇型のアルペジオ([[分散和音)])を奏でる。2つの主題要素がもう1回繰り返される。
第47小節から第2主題(B)に入る。B1 の主題はチェロで2回繰り返され、B2 の主題はテノール・チューバによって演奏され、第67小節から始まる。第81小節で一時的に3/4拍子に変わりA1 の主要旋律が木管楽器群により変ロ短調で演奏されて、音楽は次の部分へと移行する。
第1主題の再現は、第95小節から始まる。激的な転調へと続き、ハープを伴う A2 の要素は登場しない。ここは短く、第129小節から副次主題の再現に移るが poco a poco accel. (少しずつ、だんだん速く)の速度標語があり、調性を多少変える形で、2つの主題要素 B1 - B2 は前とほとんど同じ形で再現される。これが静まると、ヴァイオリンとヴィオラによるピチカートをバックにした経過句を経て、すぐに次の部分へと移行する。
第1主題の2回目の再現は第185小節から始まり、楽譜は12/8拍子の記譜に変わる。ここにも a tempo (wie anfangs) の速度指示があり、終始、弦楽の6連音符に支えられて進行し、第205小節で一斉に第1主題主要部を強奏する。この時点で弦五部はバックグラウンドの6連音符を担当し、他の楽器によるトゥッティが変ロ短調で第1主題を奏でるが、弦五部だけによる静かな経過部分があり、やがて突然の休止により途切れる。(第226小節)
流れを再開し、第239小節でシンバルとトライアングル、ハープも加わって最高潮を迎える。ここには Etwas bewegter (やや動きを加えて)の指示もあり、文字通り第3楽章最大のクライマックスを構成する。2回目の再現では A2 の部分も戻る。ハープがフェルマータで止まった後、4小節の経過句を経て、第259小節からコーダに入る。
[編集] 第4楽章
Finale. Feierlich, nicht schnell
弦五部が前打音つきの4分音符を連打する中から、第1主題が金管のコラールと、トランペットのファンファーレで奏でられる。コラールのようなこの第1主題は、ブルックナー自身によれば「オルミュッツにおける皇帝陛下)とツァーリの会見」を描いたものであり、「弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示す」。
休止が置かれ、弦楽器を主体とする第2主題が変イ長調で始まる。その途中(第93小節以後)から、交響曲第7番で用いられたモチーフが取り入れられる。
第3主題は変ホ短調のジグザグとした旋律でこの主題には nicht gebunden (音をつながずに)という標語もある。
第3主題が休止で中断すると、159小節からホ長調のコラールが入る。すぐに第1主題の荒々しい行進曲「死の行進」が入る。この後ソナタ形式の展開部に入るが、ほとんど第3主題と第1主題の交替で進む。
再現部は第437小節から始まり、第2主題は第547小節から、第3主題がハ短調で再現される。これは短く、すぐに第1楽章の第1主題が第617小節から全合奏で再現される。再び第3主題のリズムと交代しながら、コーダへと移行する。
コーダは第647小節から始まる。第1・第2ヴァイオリンが上昇音型を始め、テノール・チューバが荘重さを強める。まず最初に、第679小節からホルンによって第2楽章のスケルツォ主題が戻ってくる。やがてハ長調で、全4楽章の4つの主題の音形が重ね合わされる。第1楽章の主題はファゴット、第3・第4ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、コントラバス、バス・チューバが、第2楽章の主題はフルート・クラリネット・第1トランペット、第3楽章の主題はヴァイオリンと第1・第2ホルンが、そして第4楽章の主題要素は第1楽章のものと織り合わされて、全曲を力強く締めくくる。これが「闇に対する光の完全な勝利」と称賛されるゆえんである。
[編集] 版問題
この交響曲には1887年・第1稿と1890年・第2稿の2つの稿が存在する。1890年・第2稿にロベルト・ハース校訂のハース版とレオポルト・ノヴァーク校訂のノヴァーク版が存在する。この他にブルックナーの弟子であったヨーゼフ・シャルクが手をいれた初版(改訂版)があり、1939年ハース版が出版されるまでの演奏は改訂版の楽譜に基づくものであった。
1887年・第1稿はノヴァークによって1973年に出版されたがめったに演奏されない。指揮者でもこれを録音した人はエリアフ・インバル、ゲオルグ・ティントナー、ウラジミール・フェドセーエフ、デニス・ラッセル・デイヴィスぐらいである。またインバルは1980年にフランクフルトにて世界初演を行っている
なお、1887年・第1稿では多数の相違がある。例えば第1楽章コーダに続きがあり、再び第1主題に基づくfffの最強奏が戻ってきて、これにより第1楽章を締めくくっている。その他第2稿では削除された経過句やオーケストレーションなどの相違も多い。注目すべき相違としては、第1稿では139~143小節(第2稿では135~139小節に相当)にトランペットが重なっているが、このトランペットは第2稿では採用されていないが改訂版では採用されている点である。これは初版(改訂版)に高い正当性があることを示している。
- 改訂版も含めて考えれば、初演以来今日までにわたり演奏されているのは、ほとんどが「1890年・第2稿」である。
ハース版とノヴァークⅧ/2を比較すると、第1楽章では些細な相違点が見られる。第2楽章は全く相違点がない。 第3楽章・第4楽章では多くの相違点がある。第3楽章では1箇所の相違がある。ノヴァークⅧ/2側から見ると、第209小節に部分で、ハース版は10小節を含むことになる。第4楽章はさらに問題が複雑になり、両版を比較すると実に「5箇所」の相違がある。これらの箇所はブルックナーの自筆楽譜では「×」で消してある。ハースはこれらの部分をほとんど復活させたが、ノヴァークは「×」で消された部分をすべてカットしている。
以下第4楽章の相違点を列挙する。1:ノヴァーク版の第210小節~第214小節にかけての4小節。ハース版には20小節のフレーズがあり、ここではヴァイオリンの独奏がある。 2:ノヴァーク版の第236小節と第237小節の間。ハース版はここで4小節の“挿入”があり、展開部への移行を少し遅らせている 3:ノヴァーク版の第563小節~第566小節。ハース版では第2主題がそのままの形で再現され、ここで16小節がある。ハース版では、交響曲第7番の第1楽章展開部で用いられたモチーフの部分をヴァイオリンが大きく盛り上げる。 相違点4:ノヴァーク版の第577小節~第582小節。再現部の第3主題へと移行するつなぎの部分である。ノヴァーク版の場合は、第2主題後半部のリズムをそのまま持続させるが、ハース版では8小節による別の旋律を用いて第3主題へと移行する。5:ノヴァーク版の第636小節と第637小節の間。コーダへと移行する直前の部分で、ここで弦楽器が4小節のせわしいリズムを奏でる。ハース版ではここでさらに4小節の“挿入”があり、リタルダンドのペースを一定に保とうとしている。 これですべての版の相違点が終わり、ノヴァーク版とハース版で合計「38小節」の相違が生じたことになる
[編集] エピソード
- オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献呈された。皇帝はブルックナーの依頼により、楽譜出版の費用1500グルデンを支払うことに応じた。
- 交響曲第8番の初演は、1892年12月18日、ハンス・リヒターの指揮によりウィーン・フィルハーモニーの定期演奏会で初演された。ヘルマン・レヴィは当初マンハイムでカペルマイスターを務めていたフェリックス・ワインガルトナーをブルックナーに推薦した。ところが、ワインガルトナーは全く返事をせず、ブルックナーから再三の要請を受けた後、1891年4月に辞退の手紙を書いた。そのため初演指揮者が見つからない時期があった。そこでリヒターが1892年度のウィーン・フィル定期演奏会で初演することが決まった。
- 初演時のウィーン楽友協会の大ホールには、ヨハネス・ブラームスやフーゴー・ヴォルフなどの著名な音楽家たちも聴衆として訪れた。とりわけ第2楽章スケルツォと第3楽章アダージョが好評を受けた。ヴォルフは初演の1週間後に、この作品の成功を「闇に対する光の完全な勝利」と評している。
- 日本初演は1959年、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニーの東京公演にて行われた。
- 1887年・第1稿の初演についてはノヴァークによる校訂版が出版される以前に、未校訂の第1稿の草稿を用いたと思われる演奏記録があり(音楽の手帖『ブルックナー』青土社1981年による)、1954年5月2日にミュンヘンでオイゲン・ヨッフム指揮で第1楽章のみ初演、1973年9月2日にロンドンでハンス・フーベルト・ツェーンツェラー指揮で全曲初演とされている。ノヴァークによる校訂版については、エリアフ・インバルが1980年2月29日にフランクフルト・アム・マインにて世界初演を行っている。インバルは1998年7月8日には東京都交響楽団を指揮して日本初演も行っている。